豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

放射7号線大泉(西側)開通式

2025年02月16日 | 東京を歩く
 
 きょう2月16日(日)午前、散歩がてら西大泉の「いなげや」に買い物に行った。
 途中、春かすみが漂うような春の日ざしの向こうに人だかりがしていた。工事中の(というか工事は完成したまま長年放置されている)放射7号線の道路上にたくさんの人や何台もの車がとめられている。先日通ったときに「10月16日(日)放射7号線(大泉)西側開放」と書いた立て看板を目にしたから、工事は完成している道路を試験的に「開放」するのかと思ていたら、係の人に聞いたところでは今日午後3時から「開通」するのだという。
 それに先立って今日の10時から開通式が行われるのだという。われわれが通りかかったのは11時直前だったので、開通式のくす玉割りでも見ていくことにした。ところがこれがなかなか始まらない。ようやく始まったかと思ったら、くす玉のひもを引く区議会議員だの都議会議員だの、近所の各警察署長、消防署長だの、近隣の小中学校長だのが一人づつ紹介され、最後には近所の小学生代表までもが紹介され、くす玉が割られたのは11時半近くになっていた。まるで昭和にタイムスリップしたような光景であった。

        
              
  
 ぼくは中学3年の時に東京オリンピックが開催され、それに備えて1964年の夏頃に環状8号線(環八)の谷原交差点から戸田のボート会場までの道路(環八の延長だと思っていたが、環八は土地収用がはかどらずオリンピックに間に合わなかったため、その代替として開通した笹目通りと呼ばれる道路だった)が整備されたが、完成した道路は10月のオリンピック開幕直前まで車両通行止めになっていたので、ぼくは友だちと自転車で遊びに行った。クルマ(四輪やバイク)の通らない新しい道路を自転車で走り回るのは爽快だった。放射7号線未開通部分を歩くたびにあの頃を思い出していたが、それも今日でおしまいである。
 そのかわり、これからは大泉からこの開通したばかりの道路を通って保谷経由で、三鷹、武蔵境方面に今までより簡単に行けるようになる。多磨霊園に墓参りに行くのも少し楽になるだろうか、3月のお彼岸の時に試してみよう。ただし桜の季節には、亡くなった祖父母や母が好んで通っていた武蔵野市役所前や三鷹の線路沿いの桜並木を通るほうが先祖を偲ぶよすがになるか。

        
        

 買い物の帰りに再び通りかかると、開通式は終わっていて、来賓を乗せた車列が開通した道路を保谷方面から帰ってくるところだった。道路整理の係の話では行きは白バイが先導して行ったというから、上の写真の白バイが放射7号線延伸個所の最初の通行車両ということになる。
 きょう開通した区間と北園交差点の間はいまだに立退きすら終わっていないから、おそらくあと10年くらいは繋がることはないだろう。きょう開通式をやっていた(未開通区間の手前の)T字路で新座か大泉方面に曲がるしかない(上の写真の道路標式)。

 2025年2月16日 記