気ままに

大船での気ままな生活日誌

宍道湖ほとりで、かにづくし

2010-01-24 18:57:59 | Weblog
就職して最初の出張は山陰地方だった。一泊目は城崎温泉で、二泊目は松江の宍道湖ほとりのホテルだった。そのとき、宍道湖の夕陽がとてもきれいだったこと、出雲そばを食べたことはよく憶えている。先日、何十年ぶりに、ここ湖畔に泊まった。あのきれいな夕陽は、曇っていてみられなかった。それに出雲そばも食べられなかった。その代わり、おいしい”かにずくし”のお料理を”湖畔のお料理屋さんでいただいた。はじめて食べるようなお料理がいくつもあった。蟹をこんなにおいしくいただいたのははじめてだ(粗食倶楽部会員;汗)。

前菜は、蟹味噌和え、亀の手、海老朝日煮、アユ甘露煮、菜の花。こう書くと、魯山人みたいな料理通にみえるが、ただ、持ってきた、おしながきを見て、うつしているだけだ(汗)。お椀は親蟹味噌仕立。また、向付けの活蟹洗いもうまかった。

これはなんだったけ(汗)。蟹味噌甲羅焼きだったかな。おいしかった。

これは?蟹すき鍋の材料だったかな。

蟹の天ぷらがこんなにおいしいものだっとは知らなかった

室内が暗くなって、突如、炎があがる。蟹のブランデー焼き。これも良かったな。


食事は蟹雑炊。 そしてデザートは蟹シャーベットと蟹シフォンケーキ(うそどす)。食べるのに忙しくて、熱癇一本でおわってしまったのが残念。

お店の名前が、”なにわ”だった。島根県なのになぜ浪速なのか、それを知りたかったが、女将に聞くのを忘れてしまった。道頓堀あたりからきたのだろうか。
。。。

宍道湖の夕陽はみられなかったが、翌朝、ホテルから、宍道湖の朝日が少しだけみられた。



ホテルから安来の足立美術館に向かう途中、こんな看板をみつけた。一瞬、うちの奥さんのことかと思ったが、”ゲゲゲの鬼太郎”の水木しげるさんがこの辺りの出身で、奥さんの自伝”ゲゲゲの女房”を22年のNHKテレビ小説でやるらしい。楽しみだ。



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3日間だけ美食倶楽部

2010-01-24 11:24:02 | Weblog
ぼくは、”粗食倶楽部”の常連で、朝はパンとサラダ、昼は麺類、夕食も、お酒2合に、肴を少し、ごはんは一杯という粗食ぶりです。おかげさまで、体重も66.6キロ(ぞろめが好きなので)を維持しています。

それが、この3日間、急遽”美食倶楽部”に入会。なんと1日目は下関で”フクのフルコース”、翌日のお昼は、広島で”本場名物かきづくし”。その晩は、松江で”かにづくし夕食”と、粗食に慣れたぼくのお腹もおったまげたお料理をいただきました。

春帆楼という、ふぐ料理では有名なお店だそうです。ふく料理公許第一号のお店だとのこと。また、日清講和条約の会議も開かれたところで、となりの蔵に、当時の会議場がそのまま保存されています。


まず、フグのひれ酒を頼んで(汗)。お酒がまろやかな味になり、とてもおいしかった。もちろん継ぎ酒も


先付けと薄造り。お造りはマグロのぶつの方が好き(汗;粗食倶楽部)

白子がでてきた。焼いたものが出てくるかと思ったが、そうではなかった。白子は、ふぐの精巣のことらしい。共食いだったが(汗)、とてもおいしかった。卵巣も食べたかったが、これには毒があるらしい。やっぱり、ふぐでも女には気をつけないといけないのだ。

写真はないが、唐揚げもおいしかった。鶏のから揚げとはふた味ぐらい違った。ふぐ鍋、ふぐ雑炊も完食したら、お腹がふぐのようになった。写真も撮ったがのせられない(汗)。

日清講和条約の行われたテーブルと椅子。伊藤博文、陸奥宗光、李鴻章の名前がみえる(座った椅子)。明治28年のことだった。下関条約ともいう。博文は、俊輔(春輔)と称していた時代があり、”春帆楼”の名は、博文につけてもらい、自分の”春”をいれたそうです。女将が言ってました。


そして、翌日のお昼は、安芸の宮島の前の料理屋さんで、牡蠣づくし。生牡蠣からはじまって、焼き牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣鍋、牡蠣ご飯、牡蠣のお吸い物、そしてデザートまで柿(爆)。いつか四国で生牡蠣食べてあたったワイフもここなら安全と、五個もぺろり。お昼はなるべく飲まないようにと思っていましたが、牡蠣がいっしょに胃袋に入りたい、というもんだから、つい熱癇をいっぱい(汗)。料理の写真を撮るのを忘れましたので、宮島、厳島神社の写真でご勘弁を。







かにずくしのお料理は次回に。でも、ちらりと。むむっ、これも、宮島カラーだな。
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