3年ほど前に、日光金谷ホテルの古い宿帳にアインシュタインの名前をみつけびくっりしたことがあります。1922年12月4日チェックインとありました。そして、今回、またびっくり。門司でもアインシュタインが、ここに1週間ほど宿泊していたのです。門司港駅前の、この旧門司三井倶楽部です。門司港駅と並ぶ、重要文化財建造物です。
中に入ると、たしかに証拠品が。サカエヤ(?)(後述の栄屋旅館のことかな。勘違いしたのかな)A.EINSTCIN(?) EがCになっている。でも、彼のサインであることは間違いない。1922年とある。
アインシュタイン夫妻の写真と応接間
エルザ夫人と使用した寝室
大正11年(1922年)12月23日に門司港に到着、翌日、博多で講演、九州一円から、なんと3000人の聴衆が集まったそうです。その晩は、旅館栄屋ではじめて、畳の部屋で布団に寝たそうです。翌日からは、また三井倶楽部で宿泊して、義太夫や謡曲などをきかせてもらったり、返礼にご自身でバイオリンでアベマリアなどを弾いたりして、楽しみ、12月29日、アインシュタイン夫妻は門司港から帰国の途についたのでした。門司港は別れの港だったのです。
改造社の招きで、11月17日に神戸に上陸しましたが、日本に向かう、上海辺りの船中で、ノーベル賞受賞の知らせが入ったそうですから、日本訪問はどんなに、楽しい日々だったことでしょう。よく知られているように、アインシュタインの青春時代は、歌の文句ではありませんが、♪青春時代が夢なんてあとからほのぼの思うもの 青春時代のまん中は道に迷っているばかり♪でした。高校は中退するし、大学に入っても授業には出ない、就職もできず、家庭教師をしながら、やっと入ったところは研究機関ではなく、特許局に7年間。それが、なんと、ノーベル賞。それも、この前、蓮舫議員の”どうして2番じゃいけないんですか”、の反論のために雁首を並べていた(爆)、最近のノーベル賞受賞者たちの業績とは桁違いにスケールの大きな業績です。
日本訪問が、どんなに快いものであったか想像がつきます。
来日したエルザ夫人は再婚の人。ちなみに、ノーベル賞の賞金は、前夫人に慰謝料として渡したそうです。
先日、図書館で、アインシュタインの切手を蒐集している方の本をみつけました。彼の肖像のほか、彼の相対性理論の仮説”光の屈折”が皆既日食のときに証明されたので、皆既日食の切手もたくさん載っていました。楽しい本でしたよ。
この本に、来日したアインシュタインの感想文もいくつか、のっていました。
日本はすばらしかった。絵のようにうつくしい国。上品な生活様式。あらゆることに対する強い興味、芸術感覚、分別を備えた、誠実な人々・・もし私が日本とゆう国を自分自身でみるチャンスを逃していたら、後悔しても仕切れない。
アインシュタインが、”大正ロマン”の時代でなく、今の、”平成ガマン”の日本を訪問されたら、どのような感想を述べられるでしょうか。