ぬくぬくといつまでも布団の中にくるまっていたい季節になりましたね。ぬくぬくと、いつまでも展示室に留まっていたいなと思ったのが、先日の”小村雪岱/江戸の残り香”展。
赤坂のニューオータニ美術館の小村雪岱展を観てきたばかりだが、また、三島まで出掛けてしまった。三島というと、遠そう、と思われそうだが、大船から”踊り子号”の自由席に乗ると、ちょうど1時間で着いてしまう。だから、時間的には、東京の美術館巡りとそう変わりない気分。
ぬくぬく展覧会の展示構成をはじめにあげておきたい。こんなふう。
序章 肉筆画/阿修羅王に似た女を求めて
第一章 挿絵原画 ― 「個性なき女性」を描いて
第二章 挿絵・装丁本 ― 「鏡花本」から始まって
第三章 木版画 ― 花のような「麗人」に出会って
第四章 舞台装置画 ― 「作品の気分」を生かして
赤坂の展覧会では、ここでの二、四章に当たる部分が中心で、このブログでも記事にしている。で、今回は、その他のことや、ぼくにとっては目新しいことをつまみ食いして、紹介してみたいと思う。
どの画家でもそうだけど、修業時代の習作、作品を観るのは楽しいものだ。雪岱さんの武者絵風の歴史画なんてはじめてみたような気がする。美校時代の先生が松岡映丘助教授だと聞けば、なるほどと思う。山百合など山野草の写生なんかもあったが、のちの”雪岱美人”の風情がただよっていた。
そして、挿絵では、里見とんの”闇に開く窓”。ここの女が、全然、雪岱らしくないのが面白い。きっと里見の要望だったのではないだろうか。鎌倉に住む実業家と夫人と成さぬ仲の娘を巡る宿命と葛藤の物語とのこと。読んでみたいな。
第1章は挿絵のオンパレード。これほど多数の挿絵を並べられるのは、清水三年坂美術館コレクションのおかげ。文章がついていないから、絵から物語を想像するのも面白い。吉川英治の挿絵も描いていた。”遊戯菩薩”。ここに出てくる主人公の女は、えっ、おせんちゃん?と言っても、おかしくない雪岱美人。雪岱は随筆集で、”個性のない人物、これが私の絵の特徴で、同時に私の最も非難されるところです”と述べている。お能のお面が好きだったようだから、お面がわずかな動きで表情を変えるような、そんなイメージで描かれたんではないだろうか。
”遊戯菩薩”は、サンデー毎日の連載だったそうだが、雪岱さんが、その週刊誌の表紙絵も描いていたことを展示物で知った。随分と豪華な週刊誌だったこと。神田の古本屋さん街でも、めったに見つからないだろうな。演芸書報の表紙絵も、10冊ほど並んでいた。これもはじめて観た。
第三章の木版画。これは没後、彫られたものが大部分とのこと。でも、こうして、現在まで、うつくしいおせんちゃんやお伝さんを観られるのだから、有難いことだ。
以下、図録からの写真を、めずらしいもの、おなじみのものとに分けて載せておきます。
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めずらしい作品
18才の作”菅公幼少”、そして”百合”
里見とん”闇に開く窓”の挿絵
サンデー毎日の表紙絵
おなじみの”阿修羅王に似た女”(笑)
おせんの夕涼み(挿絵)
お伝地獄 入れ墨(木版画)
赤とんぼ(肉筆画)
もみじ (木版画)
春雨(木版画)
盃を持つ女(肉筆画)
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佐野美術館の庭園におられた、あめのうずめのみこと
とても楽しい、三島行きだった。