こんばんわ。
今日だけは、ぼくの”気まま日誌”を”十六夜日記(いざよいにっき)”に改めたい(笑)。何故なら?
まず、早朝、十六夜の月を見た。昼の散歩で海蔵寺の竜胆をみたあと、十六夜日記の阿仏尼の墓にお参りした。そして、天気予報ではあきらめていた、夕方の十六夜の月が見られた。これだけ十六夜がつづけば、今日だけでも”十六夜日記”としても誰も文句はいわないだろうと思う。
夜明け前の十六夜の月(満月の朝帰りというべきか)。
タワマンの真上にきていたので、タワマンの右が富士山なので、1時間後のパール富士を期待したのだが、富士山は雲に覆われていてだめだった。
でも早朝の十六夜の月はばっちり。まだほとんど満月。
昼は海蔵寺へ。竜胆(りんどう)が境内のあちこちで見頃に。竜胆寺と言ってもいいくらい見事。
山門前で出迎えてくれた竜胆。おっ!ほぼ満開!一安心。
境内の”竜胆苑”。ここは株数が減少してきているようだ。10年前はびっしりあったような気がする。
ほかにも境内のあちこちに。
こちらの苔庭の竜胆は増えている。
裏庭にも。
山門前の紫苑も満開になっていた。
傘も紫苑も満開!
つつじのくるい咲きも見事だった!
秋明菊
ほととぎす
ホトトギスと竜胆の競艶
次の主役、紅葉のちょとだけよ。
竜胆の乱舞に大満足して、鎌倉駅へ向かった。道沿いに十六夜日記の著者、阿仏尼の供養塔があることを思い出し、久しぶりにお参りした。それは、英勝寺の手前の小さなやぐらの中にある。
供養塔の台座の部分に「阿佛」と刻まれていることから、阿仏尼の供養塔であると伝わっている。
この近くの浄光明寺に阿仏尼の子息で藤原定家の孫、冷泉為相のお墓が寺の裏山にある。親子で向き合っている位置関係にある。阿仏尼は京都から訴訟のため鎌倉にやってきた。その旅日誌が十六夜日記。阿仏尼が鎌倉で過ごした屋敷跡は極楽寺の月影ヶ谷にある。
そして、夕方、十六夜の月が、月の出そのものは雲に隠れ、見られなかったが、雲を抜け出し、7時前には姿を現した。
十六夜の月
(英勝寺のすすき)
朝夕の十六夜の月を見て、りんりん竜胆もみられ、十六夜日記の阿仏尼のお墓参りまでして、いい一日となった。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
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