早春の午後、85歳になる恩師を囲んで、中学のクラス会が開かれた。先生は、一昨年、奥様を亡くし、一人暮らしをしているが、お元気で、毎晩、ワンボトルのワインは欠かさないという。ただ、周囲の人たちが次第にいなくなり、自分を知る人が減っていくのがさびしいという。だからこうして、たった1年間の出会いだったのに、憶えていてくれて、この歳になってまで呼んでもらえるのがとてもうれしいとお話しされた。
自分という人間がいたことが忘れられてしまうのがさびしい、とのお言葉。その点、画家は自分がいなくなっても、作品が残る。その作品を観て、それを描いた画家のことを想わない人はいない。絵を通して、偲ばれるのである。偲ぶとは、字体通り、人を思うこと。芸術家は幸せだなあ、とつくづく思う。
先日も鏑木清方画伯を偲んできた。この時期にふさわしい作品、”早春”。
大正7年(1918)作の二曲一隻の屏風仕立て。左面では美人がかがんでツクシを摘んでいる。菫色のショールも春らしい。右面には、落ち着いたうすいブルーの色調の画面に溶け込むように黄藤が咲いている。早春の空気が画面から外に溢れ出てきている。
”作品にみる清方の美意識”(前期)展。鏑木清方記念館。京劇の美人、《梅蘭芳 天女散華》もみられます。
来月は小学校のクラス会。上野のバンダは恋のバカンスに入ったらしい。
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