気ままに

大船での気ままな生活日誌

漫画家の行灯 荏柄天神社

2008-10-12 09:16:17 | Weblog
昨日の土曜日、荏柄天神社で始まった”絵筆塚祭”をのぞいてきました。

石段の脇にずらりと行灯が。合わせて100近くあるそうです。夕方、灯りがともります。今朝のNHKニュースでみました。

ボクでも知っている有名な漫画家の作品が。
やなせたかしさん。アンパンマンとバイキンマンが出ています。めろめろパンチでなくて、合格パンチ。ここは天神様なので、合格祈願が多いのです。

小島功さんの色っぽいかっぱ、エロカッパ(笑)。

秋竜山さんのひょうひょうとしたおじさん。

ちばてつやさん。あしたのジョー。

このお祭りの”ご本尊”。絵筆塚、平成元年10月に発起人の横山隆一さんらが集まり除幕式を行いました。それ以後、毎年、このお祭りが行われています。

この高さ3メートルもある絵筆塚には、カッパをモチーフにした漫画のプレートがたくさん、はめられています。もちろん漫画家のみなさんの作品です。これは、横山隆一さんと加藤芳郎さんのカッパです。

かっぱ筆塚。実はこれが絵筆塚の”源流”なのです。かっぱの漫画を書き続けた清水昆さんが鎌倉の古道具屋で買い、永年愛用した絵筆をここに埋め、供養したのです。昭和46年の除幕式には、横山隆一、那須良輔、小島功さんら漫画家の方のほか、小林秀雄さん、永井龍男さんも出席したそうです。清水さんが亡くなられたあと、さらに絵筆塚へと発展させたというわけです。

社殿内では、一般応募の葉書大のカッパ絵が展示されていました。来年、ボクもえろかっぱを描いて応募しようかな(汗)

時勢を反映した漫画絵も面白かったです。




昨日そして今日と、荏柄天神社は”絵柄天神社”と改名しています(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな1日もいいもんだ

2008-10-11 22:44:03 | Weblog
今日は、午前中、松坂を観て、午後は鎌倉散歩、夕方は、晴れてきたら稲村ヶ崎と決めていました。

ア・リーグ優勝決定シリーズ初戦に先発した松坂、1回こそ四球の連続で二死満塁のピンチとなりましたが、そこを切り抜けると、それ以降は三振の山を築いて快投。結局、8回途中まで好投手シールズを相手に、岩村らのレイズの強力打線を”完封”、見事、勝利投手になりました。

いい気持ちで、午後からは鎌倉散歩。そして途中、青空が見え始めてきましたので、3時頃から江ノ電で稲村ヶ崎へ。10月上旬に稲村ヶ崎でダイヤモンド冨士がみえると、何かで知ったものですから、づっとチャンスを狙っていたのです。

3時すぎに稲村ヶ崎へ。西空は晴れてはいましたが、肝心の富士山はかすみのかなたでした。残念。でも夕焼けだけでもみていこうと、5時すぎまで公園のベンチで、本を読んだり、手帖に江ノ島の風景を鉛筆でスケッチしたり(はじめてしてみた、なかなかうまくできた;汗)しながら待ちました。

次第に夕陽がおりてきて、雲間から顔を出してくれました。あれ、富士山の位置よりだいぶ南側だ、江ノ島よりも、ということは、もう富士山の頂上に夕陽が降りる、ダイヤモンド冨士は終わっていたのだ、とすると、今年は誰もみることはできなかったということか(たぶん)。

でも江ノ島の横に落ちてゆく夕陽も、なかなか良かったですよ。







帰り途、ふと振り返ると、稲村ヶ崎の上にお月さまが上がっていました。

箱根でみた半月より、大部ふっくら、栗名月でしょうか。


こんな1日もいいもんだと思いながら、お月さまをみていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙石原ですすき見

2008-10-11 09:19:21 | Weblog
芦ノ湖畔での富士見と月見に続いて、今日は仙石原のすすき見と花見の紹介です。今回の箱根プチ旅行の主たる目的は、この仙石原のすすき草原と箱根湿生花園の秋の花々の見学でした。


遠くからみた、すすき草原。箱根湿生花園からもみえる。すすき草原の中の一本道もみえる。

一本道には人がいっぱい。水たまりがところどころに。

青空と緑の山とすすきと。

逆光でみるすすきもいい。銀色に輝いていた。

銀色の道。..♪ひとりひとりはるかな道は つらいだろうが頑張ろう 苦しい坂も止まればさがる 続く続く明日も続く 銀色のはるかな道..♪ 

すすきと遊ぶ人々。


箱根湿生花園はちょっと花不足の感でした。おくとりかぶと、いわしゃじん、やまらっきょう、さくらたで、きいじょうろほととぎす、まつむしそう等が目立っていました。写真は、やまらっきょう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山のホテルで富士見

2008-10-10 11:33:45 | Weblog
8,9日、箱根で遊んできました。泊まったのは芦ノ湖畔の山のホテルです。一昨年5月のつつじ見物で泊まって以来です。つつじだけでなく、富士山もとてもきれいに見えますので、今回は富士見が目的でした。前日の夕方から雨が降り出し、天気予報も曇りでしたので半分、あきらめていましたが、”久々の逆転満塁ホームラン”が出ました。

その予兆は、ノーベル物理学賞に引き続き、下村脩さんの化学賞受賞のニュースから始まりました(笑)。そして、就寝前、ワイフの”月が出ているわよ”の声に、窓を開けると、半月がちょうど西の夜空に沈むところでした。そして月光が、湖水に影を落とし、光の太い帯がボクに向かってながく伸びてきていました。こんな光景は初めてみました。夕陽を映す海上の光の帯は何度もみていますが。

そして、予兆は確信に変わりました(笑)。夜明け前、4時45分に目覚め、南の空を見上げると、ななななんと、オリオン座が。それも”輝く星座”、大船の夜空の星とは輝きが違うのです。月もいないし、街の灯りも少ないし、ということでしょう、部屋が西向き加減でしたので、”冬の大三角”のひとつプロキオンが身を乗り出してもみえませんでしたが、シリウスはこうこうと輝いていました。よし、いけるぞ、今朝は晴れる、富士山も間違いない、ボクはもう嬉しくなって、わくわくしながら夜明けを待っていました。

しらじらと夜が明けてきた5時頃(正確な時間は覚えていない)、ボクは窓から北西の方面に身を乗り出し、そちらに目を向けたのです。みみみみえた、冨士の影がくっきりとみえたのです。すぐカメラをとりだし撮ったのですが、暗すぎて全然写っていませんでした。そして、とうとう6時前、富士山はそのうつくしい姿を現しました。ボクはホテルの屋上の展望室に駆け込んだのでした。な、ななんとお美しいお姿。朝日を浴び、ほんのりお顔を赤らめたお姿は、今までみたことのない、色っぽい(汗)、うるわしいお富士さんでした。



ガラス越しの展望室より直にお姿をと、ボクはホテルの、つつじ園になっている庭園に降りてゆきました。庭園の富士見のポイントで、しばらくうっとりしていました。まだみんな寝ているらしく(ワイフは早朝風呂へ)、広大な庭園内にボクひとり。お冨士さん独り占めです。極上のひとときでした。こんなひとときがあれば、これから、ちょっとくらい悲しいことがあっても乗り切れると思いました。




朝日を浴びた、4本の杉もうつくしい。


杉の影までうつくしい。

名園つつじ園を一回りして、さらにシャクナゲ園を覗き、川崎の、廃園となった向が丘遊園から移したというバラ園をみたりして、1時間ほど散歩して、冨士のみえる場所に戻ってきました。もう暁の冨士の風情はなく、いつもの冨士山に戻っていました。



一昨年のつつじ見物のときも、すばらしい富士山だったなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝ノーベル物理学賞

2008-10-08 05:45:37 | Weblog
昨晩、NHK7時のニュースの途中、突然、嬉しいニュースが飛び込んできました。日本人、ノーベル賞受賞のビッグニュースです。はじめ、下馬評の高かった元シカゴ大の南部陽一郎さんだけの受賞かとの速報だったのですが、すぐに、小林・益川理論の、つくばの高エネ研の小林誠さんと京都の益川敏英さんの、日本人3人の共同受賞だという追加速報となりました。日本人3人共同受賞はもちろん、史上初めてのこと、”久々の逆転満塁ホームランです”(三枝師匠のちょっと古いギャグ;汗)級のおめでたいニュースでした。

このニュースを聞いて、高エネ研におられた戸塚洋二さんのことをすぐ思い起しました。ここ数年、ノーベル物理学賞最有力候補者といわれ続けていましたが、この夏、66才の若さでお亡くなりになりました。そのすぐあと開かれた円覚寺の一般参加の夏期講習で知ったことですが、講師のインド仏教の先生のところへ、余命いくばくもない戸塚さんが訪ねてこられ、仏教の原点であるインド仏教に関心があるのでということで、人生の最後を迎える心構えについて教えを乞うてこられたそうです。

。。。

三人の方のノーベル賞受賞を祝して、昨日のフラワーセンターで撮ってきた花々をプレゼントしたいと思います。

まず、”しもばしら”の花です。冬の間は枯れた茎が地中から吸い上げた水を凍らせ、まるで霜柱のような氷を茎の周囲につくるのでこの名があります。でも、ノーベル賞発表の秋にはこんなきれいな花を咲かせます。つらい修行時代があってこそ、きれいな花を咲かせるのでしょう。




。。。

そして、お祝いにはぴったりの秋バラです。全体的にまだ少し早かったですが、今見頃な品種だけを集めました。

”桜貝” ♪麗しき 桜貝一つ 去り行ける 君にささげん♪ 戸塚さんへも。



”光彩” 光りのときももあれば


”月光” 夜もある 


”粉粧楼” 芸者さんを呼んで祝宴(汗)


”ニコル”


”モニカ”


。。。

バラのようですが、”酔芙蓉”です。祝い酒でもうほろ酔いのピンク色です。


こちらはクールな”睡蓮”ふたつ。小林・益川理論、仲良く受賞。受賞会見はクール。30年前の仕事ですよ、専門家の間では評価はすでにされていること、ノーベル賞は世俗的なことですから、と。もしノーベル賞が事前承認制だったら、そんなもの、いらねーよと言いそう(笑)。いいねえ。でも年金生活者には賞金は魅力でしょうね(笑)。


ハーロウインの飾り付けでお祝いしましょう。

ボクもハーロウインの仲間に入れてと、ハクモクレンの実。本当に可愛いお化けみたいですね。


。。。

ボクらこれから箱根へ一泊旅行です。今晩は、宿でおいしいお酒をノーメルでショー(汗)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらり海蔵寺 

2008-10-07 09:10:03 | Weblog
ぶらりシリーズ第3弾です(笑)。雨がいつ落ちてきてもいいような曇天の月曜日、海蔵寺に向かいました。あちこちで咲き始めている紫苑をみていますが、ボクは海蔵寺の紫苑が一番好きなのです。是非、今、観なければと訪ねたわけです。

山門をくぐってすぐの紫苑の群落。みな背丈が2メートルクラスの大女。美人揃いの日本女子バレーチームのようです。



露に濡れてしっぽりと。メグちゃん、カナちゃん。


竜胆も楽しみにしていました。あと一歩です。来週、逢いにこよう(汗)。ここの竜胆も好きです。


桔梗は花期が長いですね。大部前から咲いています。


ほととぎすは見頃を迎えています。


今まで紹介した花はみな紫系。なんでかな。そうか源氏物語千年紀だからなのだ。じゃあ、紫の〆はこの方。紫式部さん。すっかり紫で染まっています


雨に濡れたあとの紫の花や実。とても風情がありました。”むらさき雨情 (藤あやこ)”の風情でした。♪いのちを惜しむ 私なら あなたについて 行かないわ ふたりの傘に ふりかかる ふたりの愛の 恋しぐれ むらさきの雨、雨に にじむ想い出は 愛した女の 涙でしょうか♪

。。。

むらさき雨情を口づさんでいると、どこからか、ほのかな甘い香りが。金木犀でした。もう散っているのもたくさん。

珍しく、ひとりで咲く花。ひとり酒でほんのり赤く。♪ひとり酒、手酌酒、演歌を聞きながら ホロリ酒、そんな夜も、たまにゃ、なァいいさ♪

カイドウの実。わてもひとり酒。”悲しい酒”で涙がいっぱい。♪ひとり酒場で 飲む酒は 別れ涙の 味がする 飲んで棄てたい 面影が 飲めばグラスに また浮かぶ♪


のんきな方もおりました。網タイツ姿で逆立ちをしている松さんです。ボクはこの松を松坂慶子さんと呼んでいます。マツがサカ立ちのケイコ(稽古)しているのでそう、あだ名をつけたのです(大汗)。篤姫では存在感をみせましたね。30年以上前の、近藤雅臣さんと共演したテレビドラマ以来のフアンです(汗)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翼をください

2008-10-07 06:40:47 | Weblog
今朝5時半頃の空です。一瞬でした。







。。。。。

そして、夜明け前の4時45分頃の南の空。

写真は・・・ありません

星座の女王(ボクが勝手につけているあだな)オリオン座がとてもよくみえてます。そして、”冬の大三角”もよくわかります。オリオン座の1等星ベテルギウスとこいぬ座の1等星プロキオン、そして、恒星で一番明るいシリウスの逆正三角形が”冬の大三角”です。すばらしい眺めですよ。
早起きすると、”冬の星座”を先取りできます。早起きは3文の得なり

空っていいですね。飛んでいきたいです(笑)。昨晩のテレビで、40年代のなつかしい歌をたっぷり聴きました。そのひとつを。

翼をください (赤い鳥)

いま私の願いごとが
 かなうならば翼がほしい
  この背中に鳥のように
   白い翼つけてください
この大空に翼をひろげ
 飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
   翼はためかせ
    行きたい



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらり日本橋 

2008-10-06 09:30:48 | Weblog
歩き回るのには良い季節となりました。昨日は曇り空でしたが、日本橋界隈を歩いてきました。日本橋に棲みついている4匹(?)の動物をみつけましたので紹介したいと思います。

ライオンくん。この方は超有名ですね。そうです、三越本店の玄関前の対のライオンの片割れです。ご来店のお客さまの守護神として大正3年に設置されたそうです。また、”必勝祈願の像”としても知られ、受験生が誰もみられずに背中に乗ると合格するそうです。受験生のお母さん、教えてあげてください。

いのししくん。これは日本橋から人形町に向かう途中でみつけました。何の案内板もありませんでしたので、想像するしかありません。この会社の社是が”猪突猛進”なのでしょうか。あるいは、大事なところもみせているので”裸のつきあい”を大事にしている会社かもしれません。ただ単に、社長が還暦を迎えたばかりの、いのしし年かもしれませんね。きっと、社長の初対面の人との話題はいつも、このいのししくんのことでしょう。

くじらくん。人形町の谷崎潤一郎生誕地の近くでみつけました。むかしこの辺りは、あやつり人形の芝居小屋がいくつもありました。また人形をつくる人々もたくさん住んでいました。で、人形町なのです。その、あやつり人形のバネは今でも鯨のひげが使われているそうです。で、くじらは、人形町のシンボルなのです。いのししくんとはわけが違います。

べんけいくん。ここは前述の浄瑠璃小屋のほか、江戸三座の内、二つの、中村座と市村座の芝居小屋もありました。その記念として歌舞伎十八番の内、一の人気、勧進帳の弁慶像を建てたのです。この近くに、明治座がありますから、その伝統は息づいていますね。

明治座では小林幸子の座長公演でした。ちょうど終わったとこらしく、お客さんがどっと劇場から出てきました。

明治座は前日のテレビ東京の”アド街(日本橋編)”では、たしか3位に入っていました。実はその番組をみて、昨日の日本橋散策を決めたのです(大汗)。でも、ボクは日本橋の、とくに人形町が好きで、現役時代、よく訪れました。居酒屋の”笹新”とか、洋食の”芳味亭”とか、喫茶店の”快生軒”とか。甘酒横丁を歩きながら”そういえば、気まま生活に入ってからは今日が初めてだな”と気づき、懐かしく思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらりひょうたん 再び

2008-10-05 08:44:35 | Weblog
先日、高田保さんと彼の名著”ぶらりひょうたん”を少しだけ紹介しました。昨日、いつもの”ぶらり散歩(汗)”をしているうち、”ぶらりひょうたん”のことを思い出し、大磯の高田保公園に行ってみることにしました。

高田さんは昭和18年から57才の若さで亡くなられる昭和27年まで大磯に住まわれ、この間、風刺的政治評論”ぶらりひょうたん”を毎日新聞に連載し(のちに単行本になる)、また、町の教育委員長も務められ、町民に慕われていました。そういうこともあり、没後、個人名を冠した公園(ほかに聞いたことがありません)をつくってもらったのです。

ボクは大磯町は何度も訪れていますが、西行の鴫立庵や日本初の海水浴場等のある海側ばかりで、山側には行ったことがありませんでした。第一、大磯駅は海側にしか出口がないのです。高田保公園はその山の中腹にあることが駅前の案内図で分かりました。



りっぱな住宅の建ち並ぶ坂道を、はあはあ言いながら、登って行くと、途中から眼下に大磯の浜辺が見渡せるようになってきました。さらに登ると、ようやく公園に到着。記念公園という雰囲気ではなく、ただの普通の原っぱの公園でした(笑)。でも、目を奥の方に向けると、なにやら墓標らしいものが見えました。近づくと、”高田保ここに眠る”の銘が彫られていました。高田保公園であることが確認されました。合掌。



ふと右斜め横に目をやると石碑が。 そこには、”海のいろは日ざしで変わる/高田保”の銘が。さすが、時事評論の達人らしい言葉です。



この公園からは、眼下に、左側に茅ヶ崎の烏帽子岩や江ノ島、右側に箱根の山々も望むことができます。この公園のすぐ下が、高田保邸でしたから、高田さんもほぼ同じ景色を毎日観ていたことになります。もちろん大磯町も一望でき、海辺の旧吉田茂邸もまる見えです。きっと、”おれの方が上だ”と悦に入っていたと思います。そうそう、こんな話もあります。当時、大磯のこの二人の有名人を引き合わす企画を持ちかけると、どうせ俺の方が吉田邸に出向かなければならないんだろう、それなら断る、と言って実現しなかったようです(笑)。いつも時事評論で批判ばかりしていたので、会うのが照れくさかったのでしょうね。



さて、ボクが何故、こんなに高田保さんにこだわるかというと、ボクは数年前まで土浦に隣接する街に住んでいて、土浦の公園(たしか亀城公園だったと思う)で、大部前に高田保さんの記念碑を見かけいたからなのです。高田さんは土浦生まれだったのかと、ボクの記憶の引き出しに入れられたままだったのですが、こちらに来てから訪れた大磯図書館で、彼が大磯の有名人でもあることを知って驚いたのです。

・・・

ボクはその足で、海側の大磯図書館に回りました。久し振りに”ぶらりひょうたん”を読んでみたかったからです。しばらく、くすくす、ふむふむと読書を楽しんで、書庫に戻すとき、こんな資料をみつけました。



”土浦文学”という小冊子で、土浦の文学愛好家グループが発刊している雑誌のようでした。5冊もあり、それぞれ高田保特集をしています。高田さんの友人、知人が書いている記事が多く、いろいろなことが分かり、面白かったです。高田さんは土浦中学(今の一高でしょうか)を1番で入って(昔はこういう言い方をよくしましたね/笑)、早稲田を出て、浅草の劇場に泊まり込んで、脚本を書いていたそうです。劇作家だったのですね。土浦から鎌倉に転居したとも書かれていました。初耳でした。去年、鎌倉文学館で開催された”文学都市かまくら100人”のカタログを開いてみましたが、高田さんの名前は載っていませんでした。なんでのせないのであるか。その後、大磯に移ったようなのです。鎌倉に住み続けていれば、小林秀雄さんあたりと酒を飲みながら、大げんかをしていたことでしょう(爆)。

”ぶらり散歩”は止められませんね。新発見が必ずあります。今日も、日本橋あたりを”ぶらり散歩”するつもりです(汗)。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋野不矩展 in 葉山

2008-10-04 08:59:51 | Weblog
”インドは植物も動物も実にバイタリティがある。地上に落ちた花は、5日でも7日でも今落ちたばかりの様に活き活きして萎れない”。これは展示室内のパネルに書かれた、女流日本画家、秋野不矩(ふく)さんの言葉ですが、それはまさに彼女自身のことだと思いました。

年譜で知られた彼女のバイタリティのすごさに度肝を抜かれてしまいました。54才でインドのタゴール国際大学に1年間、客員教授に招かれて以来、すっかりインドが気に入ってしまい、その後も10数回にわたり、それも93才で京都美山町のアトリエでなくなる直前まで、インドに通いつめたのです。

”私はインドについて何も知らなかった若い頃から描きたいと思った絵のことを思い出す。太陽が真上から直射する炎天下、救いようのない熱さの中でわっと泣いている裸の子供の姿である”

葉山の県立近代美術で開催されていた”生誕100年記念/秋野不矩展”は、彼女が21歳で京都に出て日本画を学んで以来、90代の亡くなる直前までの作品を、1)京都時代、2)上村松篁らと結成した”創造美術”(現在の創画会)時代、3)”インド時代”とほぼ年代順に展示してありました。京都時代の”朝露”等のオーソドックスな美人画、創造美術時代の”青年立像”等のシンプルな画風もそれぞれ良かったですが、やはり、黄土色を基調にしたインドの風景、そしてインドの人物や仏像を描いた作品が、秋野不矩さんの心が直に表現されているようで、気に入りました。

”私は日頃思う。頭で考えるより体で行う中で識ろう。インド人が裸足で土を踏むような心で絵をかこう。雨が降ればぬれて当たり前、海の人が波涛を頭からかぶって平気な様な気持ちで風土を受容しておそれない心で絵をかきたい。祈りながら”これも秋野不矩さんの言葉。

”私の絵を一枚の絵だけではなく、全体の流れの中でみて欲しい、一枚一枚の絵はそのときの私の心を写したもので、自分史のようなものだから”そんな意味のこともどこかで述べていました。ボクも最近、こうゆう鑑賞方法を覚えてから、美術展に足を運ぶ回数が増えたように思います。好みの作家だけではなく、どんな作家の作品群からも、彼らの悪戦苦闘した(あるいは順風満帆でも)人生を垣間見ることができるのは楽しいことですし、いろいろな感動や励ましをもらえるものです。今回も、50、60(たぶん70才でも)は鼻たれ小僧(お嬢)よ、まだまだこれからよ、とぼくら中高年客を励まして下さいました。オイラも90まで枯れちゃいられない、萎れないぞ、と思ったのでした(汗)。

。。。。。

若き京都時代の作。”朝霧”

日展を脱退た後の創造美術時代の作。”青年立像”。5人いた自分の子供がモデルだった。同様、”少年群像””裸童”等も子育てしながら描いた。

京都市立芸術大学に就職。50を過ぎ、離婚そしてインドへ。後半生はインドの絵ひとすじ。秋野不矩芸術の完成。1999年文化勲章受章。2001年死去。

”裏町(カルカッタ)” ボクも裏町歩きが好き(汗)。

”帰牛”。インドでは牛は神様。”河渡”等を牛をモチーフにした作品も多い。

”朝の祈り”。この隣りに飾られていた”地の祈り”も印象に残る。”土の祈り”も良かった。”祈り”がモチーフ。少女の赤い衣装もいい。絵はがきがなかったが、真っ赤なショールが印象的な”インド女性”も良かった。秋野さんは黄色と赤がお好きとのこと。


美術館前の葉山の海辺。今はもう秋、誰もいない海だった(笑)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする