'09.11.05~07 Fちゃん&baruと行く奈良2泊3日の旅(1日目)
来年、平城京遷都1300年を迎える奈良。唐招提寺、薬師寺、興福寺などの修復作業も進み、様々なイベントが行われている。今年5月、上野でお会いした阿修羅様がお堂で特別公開されるということで、是非再会したいと思いbaruとFちゃんと奈良旅行を計画。遅い夏休みを利用して2泊3日で行ってきた。
計画の段階ではJRプランなどいろいろ考えたのだけど、鉄子のbaruから奈良・大和路遊々きっぷ27,500円があるとの情報が。これ、のぞみにも乗れるし、フリー区間内であればJR、近鉄の普通もしくは快速、バス路線が乗り放題というもの。旅行会社のJRプランはひかり利用設定で、のぞみを利用するにはプラス料金がかかる場合がほとんど。しかも、のぞみの本数が圧倒的に多いので、実は不便だったりする。移動するのならこれを利用して、好きな宿を取った方がいいんじゃないかということになった。フリー区間もかなり広いし、4日間有効だからお得だと思う。切符の手配は鉄子のbaruにおまかせする。宿がなかなか決まらず一週間を切った頃には、安い駅近のビジホは全滅という状態に・・・ 3人の意見を総合して勝手にまとめ、じゃらんnetで予約したのは古都奈良の宿 飛鳥荘 秋の花鳥紋懐石プラン 2食付 平日限定プラン サ・税込み 1人 14,800円と、奈良ワシントンホテルプラザ 禁煙ツインルーム 素泊まりプラン サ・税込み 1室 14,000円。今回、残念なことにbaruが1泊しかできないため、1日目は旅館で3人でのんびり泊まって少々豪華に。2泊目は安さ追求ってことでFちゃんとビジホでいいよねってことで、こんな感じになった。交通費+宿泊代49,300円は、まぁまぁなんじゃないでしょうか。ちなみに憧れの奈良ホテルのBed&Beakfastプラン15,000円~ なども探してみたけど、残っていたのは喫煙ルームばかり(涙)
7:40銀の鈴集合にしたけど3人とも早めに着いたので、各自朝食を買う。Grand Staはほとんどが8:00からだけど、お弁当系のお店は開店してた。baruはパン、Fちゃんと私はおにぎりを購入。8:00発のぞみ207号車へ向かう。もちろん鉄子baruの切符手配に抜かりはなく、新型車両N700系です! というわけでN700系の車窓からタモリ倶楽部でも紹介されてた727の看板を見つつ京都まで2時間20分の旅。前の週の土曜日、毎月恒例の笹塚の砂風呂Pasir Putihの後、baruと2人で練り上げた旅プランをFちゃんにプレゼン。Fちゃんの同意を得たのでこれでGO!
10:21京都着。近鉄奈良線に乗換え奈良に向かう。話に夢中になってしまい、京都と奈良の境は分からず。11:26近鉄奈良到着。とりあえず荷物を置きに行きましょってことで、この日の宿飛鳥荘へ向かう。途中、興福寺の境内を抜ける。並んでる! なんと120分待ち! 旅のプランでは明日東大寺に行ってから見る予定だったけど、朝一に変更することに。臨機応変に対応できるのも個人旅行の楽しみの一つ。宿は興福寺を抜けて、坂を下ったところにある猿沢池の近く。この池から見上げる興福寺五重塔は美しく写真ポイント。荷物を預かってもらい、ランチできるお店を探しながら近鉄奈良駅に向かう。
Fちゃんがケンミンショーで見たという巾着きつねのお店 麺闘庵を発見! お昼時なので結構並んでいるけど、うどんだからそんなに待たないだろうと並び始めたけど、これが・・・。結局、1時間半くらい待ってやっと店内へ。すっかり冷え切ってしまった(涙) まぁ、人手が足りないのでお待たせします的な張り紙もあるし、他のメニューは一切お休みで巾着うどんのみにするなど、お店の方も大変らしい・・・。巾着うどんというのは特大のお揚げの中にうどんが入っているというもの。たしかに巾着だけどインパクトはスゴイ。とにかくデカイ! どんぶりいっぱいお揚げの巾着です。お揚げを割ると中からうどんが。ホントにうどんのみ。一応、薬味にネギと七味はあるけど、具は一切なしです。うどんはモチモチしてて、少し甘めの汁もおいしい。揚げはそんなに濃く味がついていなくて、厚めでおいしいけど・・・。ちょっと飽きるかも。なにしろお揚げが大きいので・・・。たぶん20×10センチくらいの大きさあり。しかも肉厚。人生の中で1度にこんなに油揚げを食べたことはないと思う(笑) まぁ、でも奈良で人気のメニューを食べれて良かった。
ランチで意外に時間がかかってしまい、さらにお店を覗きながら駅へ向かったため、すっかり遅くなってしまった。本日のプランは薬師寺、唐招提寺に行き、時間があれば海龍王寺など小さなお寺を回るというもの。でも、近鉄奈良から大和西大寺に着いた時点で、薬師寺のある西ノ京駅へ向かう近鉄橿原線の各停は3時近くまでなし(涙) お寺ってたいてい16:30~17:00頃で閉まってしまうので、これはお寺2つを回るのもキビシイかも とりあえず、ここは大修復を終えたばかりの唐招提寺だけでも見ようということになった。西ノ京駅から細い道を通ると、これまた車が1台通れるくらいの道に出る。その右端が薬師寺、左端に唐招提寺があり、ちょうど向き合っているような感じ。遠くに田んぼが見える細い道の両側には民家が並んでいて、これが国宝唐招提寺の参道なのか?と思うほどほのぼのしている。イイ! 奈良イイ! ぜんぜん商売っ気のない感じがすごくいい。奈良に来たのは中学の修学旅行以来。だいぶご無沙汰(笑) 多分、唐招提寺には来ていないと思うけど、薬師寺には行ったハズ。だけどぜんぜん記憶がよみがえらない(涙) どうした?
唐招提寺は759年に鑑真が開いたお寺。当初の名前は唐律招提といい、これは唐の戒律を学ぶ所という意味なのだそう。大修復を終えたばかりで、前日11月4日から一般公開が始まった。ということで3日にはTBSで特集番組が放送されていた。前半は修復の様子を紹介し、後半は鑑真の一番弟子如宝を主人公として唐招提寺の成り立ちを紹介していた。それによると、当時の日本には授戒を行える僧がいなかったため、東大寺建立でおなじみ聖武天皇の命により、唐から僧を迎えることになった。鑑真は唐でもかなりの高僧であったのに、自ら日本に赴くことを決め、度重なる失敗を経て来日した時には、すでに失明していた。来日すると東大寺に戒律壇を設け授戒を行っていたが、最大の庇護者であった聖武天皇と、生き仏様と言われた光明皇后が相次いで崩御。後ろ盾を失った鑑真は授戒を行う場所として唐招提寺を開いた。後に乱を起こす藤原仲麻呂や智努王などの庇護の下、少しずつ寺も整備されるけれど、孝謙天皇が道鏡を重用すると、かなり苦しい状態が続いたらしい。鑑真は開山からわずか4年で失意のうちに亡くなっている。その後、ドラマの中では天皇と和解し、唐招提寺という文字を頂いていた。この文字を刻んだ木の盾(?)は講堂で見ることが出来る。個人的には仏教徒ではないので、お寺に行くのも仏像を見るのも芸術作品として見るという感じ。なので、正しく戒律を授け、人々を正しく導きたいという鑑真の志については、きちんと理解できていないのだけど、失明してまでそれをまっとうしようとした志半ばで亡くなったのかと思えば、なんとも申し訳ない気持ちになった。日本のために頑張ってくれたのに、その態度はなんだ(怒) しかも日本が呼んだのに。そんな鑑真が開いたお寺は是非行かなくてはと思った。
南門を通るとドーンと修復を終えた国宝 金堂が現れる。想像していたよりも小ぶりではあるけれど、天平建築を完備した遺構とのことでやっぱり素晴らしい。遺構って何だろうと調べてみたところ、残存する古い建築物のことだそう。ということは、これは天平時代の建築物なのか・・・。そういう事が最近ホントにしみじみと心に響いてくる。1300年近く前の物が残っているという事もそうだけど、むしろ当時の人がこの透かし彫りを彫ったんだという事がグッとくるようになった。年を取るのも悪くないかもしれない(笑) 様々な修復が行われたと思うけれど、番組でクローズアップされていたのは鴟尾。鴟尾っていうのは屋根の両側につけた魚の尻尾のような形をした飾り。金色だけれどこれも瓦で出来ている。これを今回作り直した。テレビで見たアレがきちんと屋根に乗っているのは感動的。とても小さく見えるけれど実際は2mくらいある。屋根に乗ってしまえば、肉眼ではほとんど確認できない部分にも装飾がほどこしてある。古代と平成の職人魂の融合。ちょっと感動。そしてなんと静かな佇まい。金堂にはご本尊の毘慮遮那仏がドーンと坐していらっしゃる。その向かって右に薬師如来、左手に千手観音が立っていらっしゃる。金堂の中に入ることはできず、扉の金網越しに見る感じ。お三方ともかなり大きい。そしていいお顔をしていらっしゃる。お三方は天平後期の仏像であるとのことで、これまた感慨もひとしお。ちなみにお三方ともこの度の修復に際し、解体修理された。千手観音の腕は990以上あったのだそう。ビックリ。お会いできたことを感謝し、今後のお導きをお願いした。以前、仏様にはかなえて欲しい願い事をするのではなく、自分が努力していることに対して、見守りとお導きをお願いするものだと聞いたことがあったので、今回の旅では仏様には毎回このようにした。
金堂の後ろには講堂がある。講堂にはご本尊の阿弥陀如来と持国天、増長天がいらっしゃる。持国天と増長天は本来、広目天、多聞天とともに四天王として須弥壇の四方を守る形で置かれるのだけど、残りのお2人はどうされたのだろう。講堂は中に入れる。天井からは梵字の飾りが何枚も下がっている。梵字を習っているbaruによると全部同じ文字で「あ」と書いてあるそうだけど、何故「あ」なのかは不明とのこと。講堂を出た後は御影堂へ。御影堂にはあの鑑真和上坐像が安置されている。先日の記念式典では、この坐像も練り歩かれたけれど、6月6日前後の一週間を除き、通常は非公開。御影堂は中に入ることは出来ず、門の外から眺めるという感じ。この門の辺りの紅葉がキレイ。御影堂から土壁の続く細い道を通り、鑑真和上御廟へ。この土壁の道の感じがいい。そしてその狭い門を通り抜けると、木が立ち並び苔むした空間。その先に御廟がある。この空間が素晴らしい。多分、あの世、極楽浄土を表しているのかなと思うけど、本当に静かで美しい空間。そして狭い門は結界なんだと思う。この世とあの世の境。ここは本当に素晴らしい。
この後、戒壇を回る。戒壇とは出家する者に戒律を授ける所。鑑真和上はまさに授戒のために来日されたわけだけど、この戒壇を実際に使われたのかは不明なのだそう。創建当時からあるという説と、鎌倉時代のものとの説があるそうだけど、仏教を志す者に正しい道を啓くために、12年もかけて失明もしながら、異国の地へやって来た鑑真を思うと、仏教徒ではないけれど感慨深いものがある。この戒壇の周りの木々の感じもすごくいい。今回、お寺ビッグネームばかり7箇所回って、どこも素晴らしかったけれど、わりとこじんまりとしながら静かで、控えめで、穏やかでなんとも美しい佇まい。個人的にはこの唐招提寺が一番好きだった。
チラリとお土産屋さんを見た後、時間を見たら16:00少し前。急げば薬師寺が見れるかもってことで急いで向かう。行きはずいぶんかかったように思ったけれど、帰りは早い。5分くらいで薬師寺到着。本日は、17:00までということなので一安心。1時間近くある。薬師寺はその歴史自体は古く、そもそもは天武天皇の発願により建てられたお寺。当時は"龍宮造り"と呼ばれる大伽藍だったそうだけれど、昭和42年高田好胤管主が復興を発願されるまでは荒廃し、わずかに東塔だけが残っているばかりだったのだそう。これもNHKの特集番組からの受け売りだけど(笑) この高田管主以下、お坊さん達の呼びかけで、全国展開で写経を募り、その寄付金で再建しようという作戦を実行。金堂、大講堂、西塔が再建された。というわけで、正直、建物自体は新しく、お寺らしいわびさびはないけれど、創建当時はこのように朱と緑の色も鮮やかで、瓦屋根の両端には黄金の鴟尾と、お寺って実はかなり派手だったのだということが分かったりする。
大講堂の中はさらに派手だった。壁や天井にも極彩色で唐草模様などがビッシリ描かれていてビックリ。お寺はたいていこうだったのか、薬師寺が建てられた白鳳時代の様式なのかどっちだろう。まぁ、お寺にもその時代の流行が取り入れられてきたことは間違いないとは思うけれど、お寺といえば茶色いイメージだったので、こんなに色鮮やかとはビックリした。講堂にいらっしゃるのは彌勒三尊像。ちょっと今回いろんな仏様を見すぎて記憶が・・・。彌勒様ということは半跏思惟なのかと思うと違う。でも、ご本尊ということは如来様なのでは? 三尊ということは脇侍は・・・ うーん記憶が・・・ でも、彌勒様の後ろに回ったら、光背がハート型にくり抜かれていたのは覚えている。あと仏足石と釈迦十大弟子がいらっしゃったのもぼんやり覚えているんだけど・・・。ところで、彌勒様といえばさっきも書いたけれど、半跏思惟の弥勒菩薩。如来は悟りを啓いた釈迦の姿を表したもので、菩薩はその手前で人々を導くためにとどまっているお姿。弥勒菩薩は釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に下生し人々を救うお方。多分、そのために如来にならずにいらっしゃるんじゃないかと思うんだけど、何故に彌勒如来? 弥勒菩薩と彌勒如来は別なのか? 仏教は深い(笑)
そして金堂へ向かう。金堂を正面に左に西塔、右に東塔がある。東塔は"凍れる音楽"と呼ばれているのだそうで、均整のとれた美しさが魅力なのだけれど・・・。残念ながら修復作業中らしく足場が組まれてしまっていた。でも、この東塔が残っていたおかげで薬師寺は蘇ったのだと思えば、感慨もひとしお。昭和54年に再建された西塔は東塔より少し高いそうだけれど、それは木の縮みなどを計算しているからで、500年後には同じ高さになるのだそう。職人の技がかっこいい。二つの塔の間に立つと開かれた扉から薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が見える。おぉ日光、月光菩薩と再会。お2人にお会いしたのは昨年5月上野で開かれた「国宝 薬師寺展」だった。あの時は、光背をはずされ背中も見える特別展示。その背中の美しさは感動的だった。今は金堂の中で、脇侍として薬師如来の両脇に三曲法で立っておられる。やっぱりお2人の美しさは別格という感じ。今回見た仏様は皆いいお顔をされていたし、美しかったけれど、お2人ほどバランスの良いお姿はなかったように思う。まさにナイスバディです(笑) 金色に輝く光背があるとまた少し印象が違う。そして金堂の中でみると意外と小柄。多分、天井が高いからだと思う。そして薬師如来との対比もあるのかな。薬師如来は人々を病から救うお方。その両手には悩める人々をもらさず救うため水かきがある。その神々しいけれど穏やかなお姿の両脇で、日光、月光菩薩も美しく立たれて、薬師如来を引き立てている。ホントに見れて良かった。あぁ、幸せ。
ゆっくり見たいけれど時間がないので外へ出る。金堂から大講堂へ渡って赤や緑の帯が何本も掛けられていて、パイプ椅子などが用意されている。ライヴでもあるのかな? すれ違う時会釈して下さったお寺の女性の方に「何かイベントがあるんですか?」とbaruが尋ねたところ、管主さんが代わられるので、7日のそのお披露目式があるので、その準備とのこと。なるほどすごいタイミング。別途料金を払うと「国宝 吉祥天像」が見れる特別展が開催中だけど、時間もないし、去年「国宝 薬師寺展」で見たので今回はスルー。一度門を出て玄奘三蔵伽藍へ向かう。
玄奘三蔵とは「西遊記」でおなじみ三蔵法師。Wikiによるとインドなどから経典をもたらし漢訳した人を三蔵法師と呼ぶことが多いけれど、日本では三蔵法師といえば玄奘三蔵をさすことが多い。サンスクリット語で書かれた「般若心経」を漢訳したと言われているのだそうで、薬師寺の宗派である法相宗の開祖とのこと。円形の玄奘塔の中に玄奘三蔵訳経像が坐しておられる。桜金造似のこの像にも、昨年上野でお目にかかった。そして大唐西域壁画殿へ。現代日本画家の巨匠 平山郁夫画伯が30年かけて描いた壁画を納めたお堂(?) 建物も新しいので美術館のような感じだけど、壁画を絵身舎利としてお祀りしているとのこと。この絵はシルクロードの自然の広がりや厳しさが感じられて素晴らしかった。というわけで、かなりキチキチ行動だったけど、とりあえず唐招提寺、薬師寺を見ることができて満足。
電車を乗り継いで近鉄奈良へ。ホテルに向いつつお土産などを買う。近鉄奈良駅から奈良町の辺りまでは大小の商店街が並んでいる。メインは東向通り。ここに奈良漬の老舗 山崎屋がある。正直、3人とも奈良漬は苦手と話していた。だってなんか甘いし。でも、ここのは、粕の風味もしっかりつつ、あの独特の甘さはないけどほどよい甘みはあり、しっかり味がついていておいしい。めずらしかったので家には生姜、お嫁ちゃんには刻み奈良漬にする。この刻み奈良漬は試食したけどおいしかった。東向通りを突き当たり、三条通りに出るとすぐに、あぶらとり紙専門店ひより総本店がある。かわいいイラストが表紙のあぶらとり紙がズラリと並ぶ。グレープフルーツの香りつきのテスターをいただく。香りつきなんておもしろいのでお土産にいいかもと思ったけれど、個人的にはあぶらとり紙は使わないので、なんとなく買わず・・・。その代わりといってはなんですがbaruが買っていたのでOKかと(笑) ちなみに、あぶらとり紙を使わなくなったのは鼻の頭の皮が剥けてきてしまったから。たまたま雑誌を読んだら、そういう人は脂をとり過ぎてしまっているので、あぶらとり紙の代わりにスポンジで化粧崩れを押さえるようにした方がいいと書かれていたから。あぶらとり紙自体に問題があるわけではないし、お店にも奈良にも全く関係ない話だけど(笑) 昼間食べた巾着きつねのお店麺闘庵があるのは、もちいどの通り。ここは奈良で一番古いと言われる商店街。小さなお店がたくさんある。手ぬぐい専門店朱鳥を覗く。何も買わずに出てしまったけれど、近鉄奈良のアンテナショップで買って帰った手ぬぐいハンカチの使い心地の良さで手ぬぐいに目覚めたので、職人さん手染めの手ぬぐいを買ってくればよかったと後悔。
朱鳥の向かいのならクターショップで会社のお土産を買う。やっぱりせんとくんでしょうってことで、せんとくんクッキーを購入。ここはせんとくんや、まんとくんなどのキャラクターモノが揃っている。大仏プリンも買える。三条通りへ戻ってお土産屋さんを覗く。ここはいろいろ取り揃っているので、会社の分とか、そんなにこだわりのないお土産を買うのに便利。ただし、ご当地キャラモノは向かいに並ぶ露店のようなお土産屋さんで買うと、修学旅行生プライスってことで消費税なしなのでお得。私はご当地チェブラーシカを買ってしまい25円損した。たかが25円と思うけれど、お寺巡りってお賽銭多発なので、25円だってバカにできない!(笑) とボヤキつつ猿沢池へ。池から興福寺五重塔ライトアップが見える。素敵! 写真撮ったけど・・・。あの美しさを再現できているとは思えない(涙) そして、本日のお宿飛鳥荘にチェックイン。
じゃらんで予約したのは「秋の花鳥紋炭火焼懐石プラン」 チェックインしたのが19:00頃で、夕食は19:30から。部屋はあまり広くないし、正直設備も少し古めではあるけれど、フロントの方や従業員の方の対応が感じ良い。仲居さんがくず餅を持ってきてくれて、お茶も入れてくださった。東京で食べる白いベタベタした感じのくず餅とは違い、半透明ですごく弾力がある。おいしい。食事は2Fのレストラン花鳥紋で頂く。懐石料理ってことで先付け、お造りなど次々出されるけれど、そんなにかしこまって食べる雰囲気ではないのでOK。量もたっぷりでどれもおいしかったけれど、やっぱり炭火焼が絶品だった。事前に部屋で牛肉、鶏肉、お魚の中からどれにするか聞かれていて、全員牛肉にしたけど大正解。やわらかくて脂があっておいしかった。ちなみにこの花鳥紋では大和かしわを使った大和肉鶏照焼丼が人気とのことで、ランチ時には大和茶麺がついて1,260円で頂けるとのこと。
売店を物色してから部屋へ。興福寺五重塔が見えるお部屋もあるけど、そちらはやはりお値段が・・・。ってことで、露天風呂から見るのを楽しみにしてたのに、諸事情によりbaruのみ行ってきたけれど、入る順番を間違えて大浴場→露天風呂の順で行ってしまったら、ライトアップは消えてしまっていたらしい(涙) ライトアップは22:00までみたいなので注意。というわけで、1日歩いて疲れた足にダイソーで買った冷却シートとトルマリンシートを貼って、普段はありえない23時台に就寝。お疲れ様でした。しかし・・・ 1日目から長文(笑)
じゃらんnet
麺闘庵(食べログ)
来年、平城京遷都1300年を迎える奈良。唐招提寺、薬師寺、興福寺などの修復作業も進み、様々なイベントが行われている。今年5月、上野でお会いした阿修羅様がお堂で特別公開されるということで、是非再会したいと思いbaruとFちゃんと奈良旅行を計画。遅い夏休みを利用して2泊3日で行ってきた。
計画の段階ではJRプランなどいろいろ考えたのだけど、鉄子のbaruから奈良・大和路遊々きっぷ27,500円があるとの情報が。これ、のぞみにも乗れるし、フリー区間内であればJR、近鉄の普通もしくは快速、バス路線が乗り放題というもの。旅行会社のJRプランはひかり利用設定で、のぞみを利用するにはプラス料金がかかる場合がほとんど。しかも、のぞみの本数が圧倒的に多いので、実は不便だったりする。移動するのならこれを利用して、好きな宿を取った方がいいんじゃないかということになった。フリー区間もかなり広いし、4日間有効だからお得だと思う。切符の手配は鉄子のbaruにおまかせする。宿がなかなか決まらず一週間を切った頃には、安い駅近のビジホは全滅という状態に・・・ 3人の意見を総合して勝手にまとめ、じゃらんnetで予約したのは古都奈良の宿 飛鳥荘 秋の花鳥紋懐石プラン 2食付 平日限定プラン サ・税込み 1人 14,800円と、奈良ワシントンホテルプラザ 禁煙ツインルーム 素泊まりプラン サ・税込み 1室 14,000円。今回、残念なことにbaruが1泊しかできないため、1日目は旅館で3人でのんびり泊まって少々豪華に。2泊目は安さ追求ってことでFちゃんとビジホでいいよねってことで、こんな感じになった。交通費+宿泊代49,300円は、まぁまぁなんじゃないでしょうか。ちなみに憧れの奈良ホテルのBed&Beakfastプラン15,000円~ なども探してみたけど、残っていたのは喫煙ルームばかり(涙)
7:40銀の鈴集合にしたけど3人とも早めに着いたので、各自朝食を買う。Grand Staはほとんどが8:00からだけど、お弁当系のお店は開店してた。baruはパン、Fちゃんと私はおにぎりを購入。8:00発のぞみ207号車へ向かう。もちろん鉄子baruの切符手配に抜かりはなく、新型車両N700系です! というわけでN700系の車窓からタモリ倶楽部でも紹介されてた727の看板を見つつ京都まで2時間20分の旅。前の週の土曜日、毎月恒例の笹塚の砂風呂Pasir Putihの後、baruと2人で練り上げた旅プランをFちゃんにプレゼン。Fちゃんの同意を得たのでこれでGO!
10:21京都着。近鉄奈良線に乗換え奈良に向かう。話に夢中になってしまい、京都と奈良の境は分からず。11:26近鉄奈良到着。とりあえず荷物を置きに行きましょってことで、この日の宿飛鳥荘へ向かう。途中、興福寺の境内を抜ける。並んでる! なんと120分待ち! 旅のプランでは明日東大寺に行ってから見る予定だったけど、朝一に変更することに。臨機応変に対応できるのも個人旅行の楽しみの一つ。宿は興福寺を抜けて、坂を下ったところにある猿沢池の近く。この池から見上げる興福寺五重塔は美しく写真ポイント。荷物を預かってもらい、ランチできるお店を探しながら近鉄奈良駅に向かう。
Fちゃんがケンミンショーで見たという巾着きつねのお店 麺闘庵を発見! お昼時なので結構並んでいるけど、うどんだからそんなに待たないだろうと並び始めたけど、これが・・・。結局、1時間半くらい待ってやっと店内へ。すっかり冷え切ってしまった(涙) まぁ、人手が足りないのでお待たせします的な張り紙もあるし、他のメニューは一切お休みで巾着うどんのみにするなど、お店の方も大変らしい・・・。巾着うどんというのは特大のお揚げの中にうどんが入っているというもの。たしかに巾着だけどインパクトはスゴイ。とにかくデカイ! どんぶりいっぱいお揚げの巾着です。お揚げを割ると中からうどんが。ホントにうどんのみ。一応、薬味にネギと七味はあるけど、具は一切なしです。うどんはモチモチしてて、少し甘めの汁もおいしい。揚げはそんなに濃く味がついていなくて、厚めでおいしいけど・・・。ちょっと飽きるかも。なにしろお揚げが大きいので・・・。たぶん20×10センチくらいの大きさあり。しかも肉厚。人生の中で1度にこんなに油揚げを食べたことはないと思う(笑) まぁ、でも奈良で人気のメニューを食べれて良かった。
ランチで意外に時間がかかってしまい、さらにお店を覗きながら駅へ向かったため、すっかり遅くなってしまった。本日のプランは薬師寺、唐招提寺に行き、時間があれば海龍王寺など小さなお寺を回るというもの。でも、近鉄奈良から大和西大寺に着いた時点で、薬師寺のある西ノ京駅へ向かう近鉄橿原線の各停は3時近くまでなし(涙) お寺ってたいてい16:30~17:00頃で閉まってしまうので、これはお寺2つを回るのもキビシイかも とりあえず、ここは大修復を終えたばかりの唐招提寺だけでも見ようということになった。西ノ京駅から細い道を通ると、これまた車が1台通れるくらいの道に出る。その右端が薬師寺、左端に唐招提寺があり、ちょうど向き合っているような感じ。遠くに田んぼが見える細い道の両側には民家が並んでいて、これが国宝唐招提寺の参道なのか?と思うほどほのぼのしている。イイ! 奈良イイ! ぜんぜん商売っ気のない感じがすごくいい。奈良に来たのは中学の修学旅行以来。だいぶご無沙汰(笑) 多分、唐招提寺には来ていないと思うけど、薬師寺には行ったハズ。だけどぜんぜん記憶がよみがえらない(涙) どうした?
唐招提寺は759年に鑑真が開いたお寺。当初の名前は唐律招提といい、これは唐の戒律を学ぶ所という意味なのだそう。大修復を終えたばかりで、前日11月4日から一般公開が始まった。ということで3日にはTBSで特集番組が放送されていた。前半は修復の様子を紹介し、後半は鑑真の一番弟子如宝を主人公として唐招提寺の成り立ちを紹介していた。それによると、当時の日本には授戒を行える僧がいなかったため、東大寺建立でおなじみ聖武天皇の命により、唐から僧を迎えることになった。鑑真は唐でもかなりの高僧であったのに、自ら日本に赴くことを決め、度重なる失敗を経て来日した時には、すでに失明していた。来日すると東大寺に戒律壇を設け授戒を行っていたが、最大の庇護者であった聖武天皇と、生き仏様と言われた光明皇后が相次いで崩御。後ろ盾を失った鑑真は授戒を行う場所として唐招提寺を開いた。後に乱を起こす藤原仲麻呂や智努王などの庇護の下、少しずつ寺も整備されるけれど、孝謙天皇が道鏡を重用すると、かなり苦しい状態が続いたらしい。鑑真は開山からわずか4年で失意のうちに亡くなっている。その後、ドラマの中では天皇と和解し、唐招提寺という文字を頂いていた。この文字を刻んだ木の盾(?)は講堂で見ることが出来る。個人的には仏教徒ではないので、お寺に行くのも仏像を見るのも芸術作品として見るという感じ。なので、正しく戒律を授け、人々を正しく導きたいという鑑真の志については、きちんと理解できていないのだけど、失明してまでそれをまっとうしようとした志半ばで亡くなったのかと思えば、なんとも申し訳ない気持ちになった。日本のために頑張ってくれたのに、その態度はなんだ(怒) しかも日本が呼んだのに。そんな鑑真が開いたお寺は是非行かなくてはと思った。
南門を通るとドーンと修復を終えた国宝 金堂が現れる。想像していたよりも小ぶりではあるけれど、天平建築を完備した遺構とのことでやっぱり素晴らしい。遺構って何だろうと調べてみたところ、残存する古い建築物のことだそう。ということは、これは天平時代の建築物なのか・・・。そういう事が最近ホントにしみじみと心に響いてくる。1300年近く前の物が残っているという事もそうだけど、むしろ当時の人がこの透かし彫りを彫ったんだという事がグッとくるようになった。年を取るのも悪くないかもしれない(笑) 様々な修復が行われたと思うけれど、番組でクローズアップされていたのは鴟尾。鴟尾っていうのは屋根の両側につけた魚の尻尾のような形をした飾り。金色だけれどこれも瓦で出来ている。これを今回作り直した。テレビで見たアレがきちんと屋根に乗っているのは感動的。とても小さく見えるけれど実際は2mくらいある。屋根に乗ってしまえば、肉眼ではほとんど確認できない部分にも装飾がほどこしてある。古代と平成の職人魂の融合。ちょっと感動。そしてなんと静かな佇まい。金堂にはご本尊の毘慮遮那仏がドーンと坐していらっしゃる。その向かって右に薬師如来、左手に千手観音が立っていらっしゃる。金堂の中に入ることはできず、扉の金網越しに見る感じ。お三方ともかなり大きい。そしていいお顔をしていらっしゃる。お三方は天平後期の仏像であるとのことで、これまた感慨もひとしお。ちなみにお三方ともこの度の修復に際し、解体修理された。千手観音の腕は990以上あったのだそう。ビックリ。お会いできたことを感謝し、今後のお導きをお願いした。以前、仏様にはかなえて欲しい願い事をするのではなく、自分が努力していることに対して、見守りとお導きをお願いするものだと聞いたことがあったので、今回の旅では仏様には毎回このようにした。
金堂の後ろには講堂がある。講堂にはご本尊の阿弥陀如来と持国天、増長天がいらっしゃる。持国天と増長天は本来、広目天、多聞天とともに四天王として須弥壇の四方を守る形で置かれるのだけど、残りのお2人はどうされたのだろう。講堂は中に入れる。天井からは梵字の飾りが何枚も下がっている。梵字を習っているbaruによると全部同じ文字で「あ」と書いてあるそうだけど、何故「あ」なのかは不明とのこと。講堂を出た後は御影堂へ。御影堂にはあの鑑真和上坐像が安置されている。先日の記念式典では、この坐像も練り歩かれたけれど、6月6日前後の一週間を除き、通常は非公開。御影堂は中に入ることは出来ず、門の外から眺めるという感じ。この門の辺りの紅葉がキレイ。御影堂から土壁の続く細い道を通り、鑑真和上御廟へ。この土壁の道の感じがいい。そしてその狭い門を通り抜けると、木が立ち並び苔むした空間。その先に御廟がある。この空間が素晴らしい。多分、あの世、極楽浄土を表しているのかなと思うけど、本当に静かで美しい空間。そして狭い門は結界なんだと思う。この世とあの世の境。ここは本当に素晴らしい。
この後、戒壇を回る。戒壇とは出家する者に戒律を授ける所。鑑真和上はまさに授戒のために来日されたわけだけど、この戒壇を実際に使われたのかは不明なのだそう。創建当時からあるという説と、鎌倉時代のものとの説があるそうだけど、仏教を志す者に正しい道を啓くために、12年もかけて失明もしながら、異国の地へやって来た鑑真を思うと、仏教徒ではないけれど感慨深いものがある。この戒壇の周りの木々の感じもすごくいい。今回、お寺ビッグネームばかり7箇所回って、どこも素晴らしかったけれど、わりとこじんまりとしながら静かで、控えめで、穏やかでなんとも美しい佇まい。個人的にはこの唐招提寺が一番好きだった。
チラリとお土産屋さんを見た後、時間を見たら16:00少し前。急げば薬師寺が見れるかもってことで急いで向かう。行きはずいぶんかかったように思ったけれど、帰りは早い。5分くらいで薬師寺到着。本日は、17:00までということなので一安心。1時間近くある。薬師寺はその歴史自体は古く、そもそもは天武天皇の発願により建てられたお寺。当時は"龍宮造り"と呼ばれる大伽藍だったそうだけれど、昭和42年高田好胤管主が復興を発願されるまでは荒廃し、わずかに東塔だけが残っているばかりだったのだそう。これもNHKの特集番組からの受け売りだけど(笑) この高田管主以下、お坊さん達の呼びかけで、全国展開で写経を募り、その寄付金で再建しようという作戦を実行。金堂、大講堂、西塔が再建された。というわけで、正直、建物自体は新しく、お寺らしいわびさびはないけれど、創建当時はこのように朱と緑の色も鮮やかで、瓦屋根の両端には黄金の鴟尾と、お寺って実はかなり派手だったのだということが分かったりする。
大講堂の中はさらに派手だった。壁や天井にも極彩色で唐草模様などがビッシリ描かれていてビックリ。お寺はたいていこうだったのか、薬師寺が建てられた白鳳時代の様式なのかどっちだろう。まぁ、お寺にもその時代の流行が取り入れられてきたことは間違いないとは思うけれど、お寺といえば茶色いイメージだったので、こんなに色鮮やかとはビックリした。講堂にいらっしゃるのは彌勒三尊像。ちょっと今回いろんな仏様を見すぎて記憶が・・・。彌勒様ということは半跏思惟なのかと思うと違う。でも、ご本尊ということは如来様なのでは? 三尊ということは脇侍は・・・ うーん記憶が・・・ でも、彌勒様の後ろに回ったら、光背がハート型にくり抜かれていたのは覚えている。あと仏足石と釈迦十大弟子がいらっしゃったのもぼんやり覚えているんだけど・・・。ところで、彌勒様といえばさっきも書いたけれど、半跏思惟の弥勒菩薩。如来は悟りを啓いた釈迦の姿を表したもので、菩薩はその手前で人々を導くためにとどまっているお姿。弥勒菩薩は釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に下生し人々を救うお方。多分、そのために如来にならずにいらっしゃるんじゃないかと思うんだけど、何故に彌勒如来? 弥勒菩薩と彌勒如来は別なのか? 仏教は深い(笑)
そして金堂へ向かう。金堂を正面に左に西塔、右に東塔がある。東塔は"凍れる音楽"と呼ばれているのだそうで、均整のとれた美しさが魅力なのだけれど・・・。残念ながら修復作業中らしく足場が組まれてしまっていた。でも、この東塔が残っていたおかげで薬師寺は蘇ったのだと思えば、感慨もひとしお。昭和54年に再建された西塔は東塔より少し高いそうだけれど、それは木の縮みなどを計算しているからで、500年後には同じ高さになるのだそう。職人の技がかっこいい。二つの塔の間に立つと開かれた扉から薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が見える。おぉ日光、月光菩薩と再会。お2人にお会いしたのは昨年5月上野で開かれた「国宝 薬師寺展」だった。あの時は、光背をはずされ背中も見える特別展示。その背中の美しさは感動的だった。今は金堂の中で、脇侍として薬師如来の両脇に三曲法で立っておられる。やっぱりお2人の美しさは別格という感じ。今回見た仏様は皆いいお顔をされていたし、美しかったけれど、お2人ほどバランスの良いお姿はなかったように思う。まさにナイスバディです(笑) 金色に輝く光背があるとまた少し印象が違う。そして金堂の中でみると意外と小柄。多分、天井が高いからだと思う。そして薬師如来との対比もあるのかな。薬師如来は人々を病から救うお方。その両手には悩める人々をもらさず救うため水かきがある。その神々しいけれど穏やかなお姿の両脇で、日光、月光菩薩も美しく立たれて、薬師如来を引き立てている。ホントに見れて良かった。あぁ、幸せ。
ゆっくり見たいけれど時間がないので外へ出る。金堂から大講堂へ渡って赤や緑の帯が何本も掛けられていて、パイプ椅子などが用意されている。ライヴでもあるのかな? すれ違う時会釈して下さったお寺の女性の方に「何かイベントがあるんですか?」とbaruが尋ねたところ、管主さんが代わられるので、7日のそのお披露目式があるので、その準備とのこと。なるほどすごいタイミング。別途料金を払うと「国宝 吉祥天像」が見れる特別展が開催中だけど、時間もないし、去年「国宝 薬師寺展」で見たので今回はスルー。一度門を出て玄奘三蔵伽藍へ向かう。
玄奘三蔵とは「西遊記」でおなじみ三蔵法師。Wikiによるとインドなどから経典をもたらし漢訳した人を三蔵法師と呼ぶことが多いけれど、日本では三蔵法師といえば玄奘三蔵をさすことが多い。サンスクリット語で書かれた「般若心経」を漢訳したと言われているのだそうで、薬師寺の宗派である法相宗の開祖とのこと。円形の玄奘塔の中に玄奘三蔵訳経像が坐しておられる。桜金造似のこの像にも、昨年上野でお目にかかった。そして大唐西域壁画殿へ。現代日本画家の巨匠 平山郁夫画伯が30年かけて描いた壁画を納めたお堂(?) 建物も新しいので美術館のような感じだけど、壁画を絵身舎利としてお祀りしているとのこと。この絵はシルクロードの自然の広がりや厳しさが感じられて素晴らしかった。というわけで、かなりキチキチ行動だったけど、とりあえず唐招提寺、薬師寺を見ることができて満足。
電車を乗り継いで近鉄奈良へ。ホテルに向いつつお土産などを買う。近鉄奈良駅から奈良町の辺りまでは大小の商店街が並んでいる。メインは東向通り。ここに奈良漬の老舗 山崎屋がある。正直、3人とも奈良漬は苦手と話していた。だってなんか甘いし。でも、ここのは、粕の風味もしっかりつつ、あの独特の甘さはないけどほどよい甘みはあり、しっかり味がついていておいしい。めずらしかったので家には生姜、お嫁ちゃんには刻み奈良漬にする。この刻み奈良漬は試食したけどおいしかった。東向通りを突き当たり、三条通りに出るとすぐに、あぶらとり紙専門店ひより総本店がある。かわいいイラストが表紙のあぶらとり紙がズラリと並ぶ。グレープフルーツの香りつきのテスターをいただく。香りつきなんておもしろいのでお土産にいいかもと思ったけれど、個人的にはあぶらとり紙は使わないので、なんとなく買わず・・・。その代わりといってはなんですがbaruが買っていたのでOKかと(笑) ちなみに、あぶらとり紙を使わなくなったのは鼻の頭の皮が剥けてきてしまったから。たまたま雑誌を読んだら、そういう人は脂をとり過ぎてしまっているので、あぶらとり紙の代わりにスポンジで化粧崩れを押さえるようにした方がいいと書かれていたから。あぶらとり紙自体に問題があるわけではないし、お店にも奈良にも全く関係ない話だけど(笑) 昼間食べた巾着きつねのお店麺闘庵があるのは、もちいどの通り。ここは奈良で一番古いと言われる商店街。小さなお店がたくさんある。手ぬぐい専門店朱鳥を覗く。何も買わずに出てしまったけれど、近鉄奈良のアンテナショップで買って帰った手ぬぐいハンカチの使い心地の良さで手ぬぐいに目覚めたので、職人さん手染めの手ぬぐいを買ってくればよかったと後悔。
朱鳥の向かいのならクターショップで会社のお土産を買う。やっぱりせんとくんでしょうってことで、せんとくんクッキーを購入。ここはせんとくんや、まんとくんなどのキャラクターモノが揃っている。大仏プリンも買える。三条通りへ戻ってお土産屋さんを覗く。ここはいろいろ取り揃っているので、会社の分とか、そんなにこだわりのないお土産を買うのに便利。ただし、ご当地キャラモノは向かいに並ぶ露店のようなお土産屋さんで買うと、修学旅行生プライスってことで消費税なしなのでお得。私はご当地チェブラーシカを買ってしまい25円損した。たかが25円と思うけれど、お寺巡りってお賽銭多発なので、25円だってバカにできない!(笑) とボヤキつつ猿沢池へ。池から興福寺五重塔ライトアップが見える。素敵! 写真撮ったけど・・・。あの美しさを再現できているとは思えない(涙) そして、本日のお宿飛鳥荘にチェックイン。
じゃらんで予約したのは「秋の花鳥紋炭火焼懐石プラン」 チェックインしたのが19:00頃で、夕食は19:30から。部屋はあまり広くないし、正直設備も少し古めではあるけれど、フロントの方や従業員の方の対応が感じ良い。仲居さんがくず餅を持ってきてくれて、お茶も入れてくださった。東京で食べる白いベタベタした感じのくず餅とは違い、半透明ですごく弾力がある。おいしい。食事は2Fのレストラン花鳥紋で頂く。懐石料理ってことで先付け、お造りなど次々出されるけれど、そんなにかしこまって食べる雰囲気ではないのでOK。量もたっぷりでどれもおいしかったけれど、やっぱり炭火焼が絶品だった。事前に部屋で牛肉、鶏肉、お魚の中からどれにするか聞かれていて、全員牛肉にしたけど大正解。やわらかくて脂があっておいしかった。ちなみにこの花鳥紋では大和かしわを使った大和肉鶏照焼丼が人気とのことで、ランチ時には大和茶麺がついて1,260円で頂けるとのこと。
売店を物色してから部屋へ。興福寺五重塔が見えるお部屋もあるけど、そちらはやはりお値段が・・・。ってことで、露天風呂から見るのを楽しみにしてたのに、諸事情によりbaruのみ行ってきたけれど、入る順番を間違えて大浴場→露天風呂の順で行ってしまったら、ライトアップは消えてしまっていたらしい(涙) ライトアップは22:00までみたいなので注意。というわけで、1日歩いて疲れた足にダイソーで買った冷却シートとトルマリンシートを貼って、普段はありえない23時台に就寝。お疲れ様でした。しかし・・・ 1日目から長文(笑)
じゃらんnet
麺闘庵(食べログ)