'11.1.19 『ヤコブへの手紙』@テアトルシネマ
これ見たかった! 仕事中、今日は水曜だからレディースデーじゃないかと思いつき、急遽行くことに決定!
*ネタバレありです
「終身刑となり12年服役していたレイラは、恩赦により釈放となった。早速、ヤコブ牧師の家に住みで働くという仕事を紹介される。毎日届く手紙を盲目の彼の代わりに読んで欲しいというもので、行くあてのないレイラは渋々引き受けるが…」という話。これは良かった。1時間15分と短いけれど、生きること、生かされることがしっかりと描かれている。何の飾り気もないシンプルな作品。好みはいろいろだと思うので、合わなかったり、物足りなく思う人もいるかもしれないけど、個人的にはかなり好き。
時々、ちらちら出てくるけれど、主な登場人物はほぼレイラとヤコブ牧師と郵便配達の3人。しかも、ほとんどの場面は2人きりで、仏頂面のレイラは必要最低限しか口をきかず、ヤコブ牧師がレイラに気を使って話すくらい。でも、2人の気持ちとか、感情を通り越して、作品自体が言いたいことがきちんと伝わってくる。それはホントにシンプルで、何度も聞かされてきたこと。だけどシンプルだからこそ、その本当の意味を理解したり、実感するのって難しかったりする。
ヤコブ牧師はかなり高齢。牧師に引退があるのか不明だけど、現在教会には行っていない。詳しい説明はないので、何故盲目となってしまったのか不明。タイトルにあるとおり、毎日牧師宛てに手紙が届く。返事を出した後の手紙はベッドの下に溜めてある。いつから溜めているのか分からないけど、かなりの量。レイラがしまおうとしても入る隙間がないくらい。期間が長いのか、量が多いのかは不明だけど、この全てを読んだのかと思うとスゴイ。そしてこれは伏線なんだと思う。盲目になってからは人に頼んで読んでもらっていたけれど、その人が引っ越してしまったか何かで、読んでもらえなくなったので、代わりに読んでくれる人を探していたのだというのが、レイラに対しての説明。高齢なのでかなりゆったり口調。しかもちょっと苦しそう。これも伏線かな。
レイラは40代くらい。12年間服役していた割に太っていて、お世辞にも美人とは言えない中年女性。常に仏頂面なので、かなり怖い… この時点ではレイラがどんな事件を起こしたのか、何が原因なのかも不明。なのでレイラが本当はどんな人物なのか分からない。ヤコブ牧師の家にやって来た時、握手を拒んだり、お茶を入れ、近くに席を用意してくれたにも関わらず、仏頂面してわざわざ離れて座る。警戒しているからなのか、人との関わり自体を拒否しているのか、単に素直になれないのか… まぁ、全部なのでしょうけれど、その"面構え"とも言いたくなるような仏頂面は得体の知れなさも感じる。この辺りの全ては後の伏線となっているので見事。
郵便配達が「ヤコブ牧師に手紙だよ」と叫びながらやって来る。フィンランド語の少し弾むような発音がカワイイ。レイラが仏頂面で受け取りに来ると、警戒する配達人。この辺りも後の伏線だけど、画面には登場しない村人達や世間、もしくは見ている側の彼女に対する警戒や、不信感を代弁しているのだと思う。10通くらい来ていたので、面倒がって手紙の半分を捨ててしまうレイラ。やっていることはヒドイけど、ちょっとおかしい(笑) 手紙の内容は相談で、たわいもないものから、深刻なものまで様々。神父はそれぞれに合った教えを聖書の中から見つけ出し、それを返事として書きとるようレイラに指示する。いじめにあっているという相談に対して、返事を書くのが面倒になったレイラが差出人の名前はないと告げると、住所と名前を言い当てる牧師。彼は同じ内容の手紙を、定期的に送って来るのだという。相談者の中にはそういう人もいると言う。ここも伏線。見ていた時には、せっかく相談しても、聖書の引用なのなら味気ないなと思っていたけど、本当に言いたかったことが分かると、意味が全然違ってくる。
届いた手紙の中に、かなりの量の紙幣が入っているものがあった。驚いた気配を感じて質問する牧師に、お金が入っていることを躊躇いもなく話すレイラ。手紙の内容は無事に目的地(地名を言っていたけど失念)に着きましたとだけ書かれている。珍しく興味を持つレイラ。夫の暴力から逃れるため、旅費が必要だと言うので、全財産を貸したけど、返ってくるとは思わなかったので、金額も覚えていないという。引き出しの缶にしまってくれるよう頼む牧師。雨漏りのする粗末な家に住み、固いパン一切れとお茶だけの食事。清貧であることと同時に、人のために尽くすということを描いているけれど、ここで少し後にレイラに指摘されるように、自己満足があるように描いている気もする。何となく感じたのはひねくれてるからかな(笑) でも、善意で全財産を貸すことは、そんなに簡単に出来ることではないので、仮に少しの自己満足があったとしても、それを偽善とは思わない。そのささやかな喜びがあるからこそ、善行は続けられるのだし、偽善ってそういうことじゃない。
そしてこの場面はレイラの本当の姿も表している。目の見えない牧師は、例えレイラがお金を盗んでしまっても、気づかないかもしれない。仮に気づいたとしても、牧師は黙っていたかもしれない。見ている側も盗むのではないかと思う。でも、レイラはそうしない。後にお金が必要になって、そこから拝借する時も必要な分しか取らない。レイラはそんなに悪い人間ではないのかもしれない。目の見えない、高齢で弱った牧師を思いやる気持ちが残っているのかも知れない。そして無欲の牧師の正しさに打たれたのかも、そして生きることに執着がないのかも… この場面だけで、それらを想像させるのは見事。
チラシなどにもあるように、ある日突然ヤコブ宛ての手紙がぷっつりと届かなくなる。手紙が届かなくなったことによって、目に見えて落ち込んでしまうヤコブ牧師。ある日とうとう錯乱して、ありもしない婚礼のため教会へ向かってしまう。尋常でない様子に心配してついて来たレイラの目の前で、ますます錯乱してしまう牧師。そしてレイラに言われてしまう。あなたが自分を雇ったのも、恩赦を願い出たのも全て自己満足ではないか! そして、レイラは牧師を置いて行ってしまう。途方に暮れた牧師は、祭壇に横たわる。同じ頃、牧師の家を出ようとしていたレイラは、タクシーの運転手に行き先を聞かれ、答えられない自分に絶望する。
首を吊ったレイラは死に切れずに目覚める。同じ頃、牧師も教会で目を覚ます。見ていた時には分からなかったけど、牧師もレイラも行くところがない。そして、死ねなかったということは、生かされたということでもあるけれど、まだ死ぬ時ではないのだということ。そして、牧師は悟る。自分は神の言葉を伝える役割を担い、人々を救っていると思っていた。でも、逆に救いを求める人々に救われていたのだと。そして、その告白を聞いてから、レイラの気持ちも変わってくる。相変わらずの仏頂面ながら、牧師のためにお茶を入れ、牧師の横に並ぶ。それがとっても自然に描かれている。
レイラはごみ箱に捨てた手紙を拾おうとするけど拾えない。郵便配達に何故手紙を届けないのかと詰め寄るけれど、本当に届いていないと言われる。明日は必ず手紙が届いたと言いながら来て欲しいと頼む。翌日、やっぱり手紙は届かない。郵便配達から渡された雑誌のページを破り、開封したふりをして、手紙を捏造してみたものの、見破られてしまい、自らの過去を語ることになる。そして、ヤコブ牧師が自分の恩赦に尽力した本当の理由を知ることになる。この辺りのことは、レイラの過去が一切語られないことや、何故ヤコブ牧師がレイラのことを知っていたのかを考えれば、予想がつくとまでは言わないけれど、驚いたりはしない。レイラの過去については、帰りのエレベーターでどこかのカップルが語っていたように、同情を引く演出でズルイと取る人もいるかもしれないけれど、個人的にはそうは思わなかった。彼女の過去が同情できるものでないと、この作品の言いたいことが描けないから。『ハーモニー』の感想と矛盾するようだけど、アプローチや主題も違うし…
今まで散々『1408号室』『ノウイング』などで、キリスト教との関連性を、詳しくもないのに書いてきたけど、主人公の1人が牧師である以上、キリスト教の話なんだと思う。しつこいようですが、詳しくないので、何がと言われると難しいのだけど… 牧師が教え導いてきた"キリスト教"を超えたところにある、"赦し"であって、"救い"であり、そして"生かされる"ということ。それは、何も牧師であるとか、特別の地位にある人だけの特権ではないということ。牧師は人を教え導き、悩みを聞いて救って来たけれど、逆に救いを求める人々から必要とされることで、救われていた。レイラが憤ったのは、牧師がレイラを気遣いもてなしているけれど、対等な人間として向き合ってくれていないと思ったからなんだと思う。だから、彼女は牧師に必要とされたことで心を開き、彼に過去を打ち明けたことで、真実を知り一番求めていた人に赦され、必要とされたことを知る。今まで人から「生かされていると実感した」と聞かされても、すごく壮大で宇宙的なものを想像してしまい、全くピンときていなかった。でも、とってもシンプルに誰かに必要とされていることが、生かされることなのだと気づかされた。必要とされるというのは、何かを要求されるということではなくて、ただ居て欲しいと願われること。そのことを願われないのが一番辛いことなんだと思う…
そのとてもシンプルで、だからこそ実感しにくく、素直に求めたり、求められたりしにくいことを、レイラだけでなく見ている側にも教えて、牧師は役目を終えたとばかりにこの世を去っていく。手紙が何故来なくなったのかは不明。現実的に考えれば元囚人に手紙を読まれるのを嫌ったのかも知れない。ただ、作品の意図的に考えれば、少しファンタジックに、牧師の役目が終わったということではないかと思う。本当に神の使いなのであれば、手紙が来なくなった時点で、人々の悩みが無くなったのだと喜ぶべきであって、悲嘆に暮れてしまっていることが、彼が人間であって生かされていたことの証なのかと… それに気づいたことと、最後にそれをレイラに伝えることで、彼の使命が終わったのかも。その汚れた足が悲しいけれど、神々しい。
主要3人はすごく良かった。フィンランドの役者さんは、ほとんど知らないので、3人とも初めて見た。だからというのもあるかも知れないけれど、全員ホントにヤコブやレイラとしか思えない。ヤコブ牧師は本当に盲目なのかと思うほどだし、本当に錯乱してしまったようだった。そして何より牧師っぽかった。レイラが囚人っぽいとはさすがに思わないけど(笑) でも、とにかく"面構え"と言いたくなるくらいの見事な面構え。もうほとんど仏頂面。でも、細かな心の動きがきちんと伝わってくる。もちろん、ラストの告白のシーンの演技も良かったけれど、相変わらずの仏頂面ながら、ただならぬ様子の牧師を放っておけない感じとか、少しずつ歩み寄って行く感じとかも良かったし、タクシーの運転手に告げる行く先がなかったときの表情が素晴らしい。
とっても小さな作品で、登場人物達もあまり感情過多ではない。セリフもあまりないので、ほとんど感覚的に感じ取る感じ… もしかすると、普段あまり映画を見ないタイプの人には物足りないかもしれない。でも、複雑じゃなくてとってもストレートなので、具体的にならなくても何か感じられると思う。って、何だかすごい上からだな…
フィンランドの田舎の素朴な自然と、ヤコブ牧師の慎ましやかな暮らしぶりも素敵。そういえば、フィンランドの紅茶はカップに直接入れて、お湯いれちゃうんだね… ちょっとビックリ(笑)
とにかく、勝手に深読みしただけかも知れないけれど、自分にとっては大切なことを気づかせてくれた作品だった。重いテーマも扱っているので、オススメしにくいけれど、出会えて良かった!
追記:今、公式サイトを見てビックリ! 郵便配達人に注目すると別の話が見えてくる・・・ それは全く気づかなかった。そして気づかなかったことにしよう(笑)
『ヤコブへの手紙』Official site
これ見たかった! 仕事中、今日は水曜だからレディースデーじゃないかと思いつき、急遽行くことに決定!
*ネタバレありです
「終身刑となり12年服役していたレイラは、恩赦により釈放となった。早速、ヤコブ牧師の家に住みで働くという仕事を紹介される。毎日届く手紙を盲目の彼の代わりに読んで欲しいというもので、行くあてのないレイラは渋々引き受けるが…」という話。これは良かった。1時間15分と短いけれど、生きること、生かされることがしっかりと描かれている。何の飾り気もないシンプルな作品。好みはいろいろだと思うので、合わなかったり、物足りなく思う人もいるかもしれないけど、個人的にはかなり好き。
時々、ちらちら出てくるけれど、主な登場人物はほぼレイラとヤコブ牧師と郵便配達の3人。しかも、ほとんどの場面は2人きりで、仏頂面のレイラは必要最低限しか口をきかず、ヤコブ牧師がレイラに気を使って話すくらい。でも、2人の気持ちとか、感情を通り越して、作品自体が言いたいことがきちんと伝わってくる。それはホントにシンプルで、何度も聞かされてきたこと。だけどシンプルだからこそ、その本当の意味を理解したり、実感するのって難しかったりする。
ヤコブ牧師はかなり高齢。牧師に引退があるのか不明だけど、現在教会には行っていない。詳しい説明はないので、何故盲目となってしまったのか不明。タイトルにあるとおり、毎日牧師宛てに手紙が届く。返事を出した後の手紙はベッドの下に溜めてある。いつから溜めているのか分からないけど、かなりの量。レイラがしまおうとしても入る隙間がないくらい。期間が長いのか、量が多いのかは不明だけど、この全てを読んだのかと思うとスゴイ。そしてこれは伏線なんだと思う。盲目になってからは人に頼んで読んでもらっていたけれど、その人が引っ越してしまったか何かで、読んでもらえなくなったので、代わりに読んでくれる人を探していたのだというのが、レイラに対しての説明。高齢なのでかなりゆったり口調。しかもちょっと苦しそう。これも伏線かな。
レイラは40代くらい。12年間服役していた割に太っていて、お世辞にも美人とは言えない中年女性。常に仏頂面なので、かなり怖い… この時点ではレイラがどんな事件を起こしたのか、何が原因なのかも不明。なのでレイラが本当はどんな人物なのか分からない。ヤコブ牧師の家にやって来た時、握手を拒んだり、お茶を入れ、近くに席を用意してくれたにも関わらず、仏頂面してわざわざ離れて座る。警戒しているからなのか、人との関わり自体を拒否しているのか、単に素直になれないのか… まぁ、全部なのでしょうけれど、その"面構え"とも言いたくなるような仏頂面は得体の知れなさも感じる。この辺りの全ては後の伏線となっているので見事。
郵便配達が「ヤコブ牧師に手紙だよ」と叫びながらやって来る。フィンランド語の少し弾むような発音がカワイイ。レイラが仏頂面で受け取りに来ると、警戒する配達人。この辺りも後の伏線だけど、画面には登場しない村人達や世間、もしくは見ている側の彼女に対する警戒や、不信感を代弁しているのだと思う。10通くらい来ていたので、面倒がって手紙の半分を捨ててしまうレイラ。やっていることはヒドイけど、ちょっとおかしい(笑) 手紙の内容は相談で、たわいもないものから、深刻なものまで様々。神父はそれぞれに合った教えを聖書の中から見つけ出し、それを返事として書きとるようレイラに指示する。いじめにあっているという相談に対して、返事を書くのが面倒になったレイラが差出人の名前はないと告げると、住所と名前を言い当てる牧師。彼は同じ内容の手紙を、定期的に送って来るのだという。相談者の中にはそういう人もいると言う。ここも伏線。見ていた時には、せっかく相談しても、聖書の引用なのなら味気ないなと思っていたけど、本当に言いたかったことが分かると、意味が全然違ってくる。
届いた手紙の中に、かなりの量の紙幣が入っているものがあった。驚いた気配を感じて質問する牧師に、お金が入っていることを躊躇いもなく話すレイラ。手紙の内容は無事に目的地(地名を言っていたけど失念)に着きましたとだけ書かれている。珍しく興味を持つレイラ。夫の暴力から逃れるため、旅費が必要だと言うので、全財産を貸したけど、返ってくるとは思わなかったので、金額も覚えていないという。引き出しの缶にしまってくれるよう頼む牧師。雨漏りのする粗末な家に住み、固いパン一切れとお茶だけの食事。清貧であることと同時に、人のために尽くすということを描いているけれど、ここで少し後にレイラに指摘されるように、自己満足があるように描いている気もする。何となく感じたのはひねくれてるからかな(笑) でも、善意で全財産を貸すことは、そんなに簡単に出来ることではないので、仮に少しの自己満足があったとしても、それを偽善とは思わない。そのささやかな喜びがあるからこそ、善行は続けられるのだし、偽善ってそういうことじゃない。
そしてこの場面はレイラの本当の姿も表している。目の見えない牧師は、例えレイラがお金を盗んでしまっても、気づかないかもしれない。仮に気づいたとしても、牧師は黙っていたかもしれない。見ている側も盗むのではないかと思う。でも、レイラはそうしない。後にお金が必要になって、そこから拝借する時も必要な分しか取らない。レイラはそんなに悪い人間ではないのかもしれない。目の見えない、高齢で弱った牧師を思いやる気持ちが残っているのかも知れない。そして無欲の牧師の正しさに打たれたのかも、そして生きることに執着がないのかも… この場面だけで、それらを想像させるのは見事。
チラシなどにもあるように、ある日突然ヤコブ宛ての手紙がぷっつりと届かなくなる。手紙が届かなくなったことによって、目に見えて落ち込んでしまうヤコブ牧師。ある日とうとう錯乱して、ありもしない婚礼のため教会へ向かってしまう。尋常でない様子に心配してついて来たレイラの目の前で、ますます錯乱してしまう牧師。そしてレイラに言われてしまう。あなたが自分を雇ったのも、恩赦を願い出たのも全て自己満足ではないか! そして、レイラは牧師を置いて行ってしまう。途方に暮れた牧師は、祭壇に横たわる。同じ頃、牧師の家を出ようとしていたレイラは、タクシーの運転手に行き先を聞かれ、答えられない自分に絶望する。
首を吊ったレイラは死に切れずに目覚める。同じ頃、牧師も教会で目を覚ます。見ていた時には分からなかったけど、牧師もレイラも行くところがない。そして、死ねなかったということは、生かされたということでもあるけれど、まだ死ぬ時ではないのだということ。そして、牧師は悟る。自分は神の言葉を伝える役割を担い、人々を救っていると思っていた。でも、逆に救いを求める人々に救われていたのだと。そして、その告白を聞いてから、レイラの気持ちも変わってくる。相変わらずの仏頂面ながら、牧師のためにお茶を入れ、牧師の横に並ぶ。それがとっても自然に描かれている。
レイラはごみ箱に捨てた手紙を拾おうとするけど拾えない。郵便配達に何故手紙を届けないのかと詰め寄るけれど、本当に届いていないと言われる。明日は必ず手紙が届いたと言いながら来て欲しいと頼む。翌日、やっぱり手紙は届かない。郵便配達から渡された雑誌のページを破り、開封したふりをして、手紙を捏造してみたものの、見破られてしまい、自らの過去を語ることになる。そして、ヤコブ牧師が自分の恩赦に尽力した本当の理由を知ることになる。この辺りのことは、レイラの過去が一切語られないことや、何故ヤコブ牧師がレイラのことを知っていたのかを考えれば、予想がつくとまでは言わないけれど、驚いたりはしない。レイラの過去については、帰りのエレベーターでどこかのカップルが語っていたように、同情を引く演出でズルイと取る人もいるかもしれないけれど、個人的にはそうは思わなかった。彼女の過去が同情できるものでないと、この作品の言いたいことが描けないから。『ハーモニー』の感想と矛盾するようだけど、アプローチや主題も違うし…
今まで散々『1408号室』『ノウイング』などで、キリスト教との関連性を、詳しくもないのに書いてきたけど、主人公の1人が牧師である以上、キリスト教の話なんだと思う。しつこいようですが、詳しくないので、何がと言われると難しいのだけど… 牧師が教え導いてきた"キリスト教"を超えたところにある、"赦し"であって、"救い"であり、そして"生かされる"ということ。それは、何も牧師であるとか、特別の地位にある人だけの特権ではないということ。牧師は人を教え導き、悩みを聞いて救って来たけれど、逆に救いを求める人々から必要とされることで、救われていた。レイラが憤ったのは、牧師がレイラを気遣いもてなしているけれど、対等な人間として向き合ってくれていないと思ったからなんだと思う。だから、彼女は牧師に必要とされたことで心を開き、彼に過去を打ち明けたことで、真実を知り一番求めていた人に赦され、必要とされたことを知る。今まで人から「生かされていると実感した」と聞かされても、すごく壮大で宇宙的なものを想像してしまい、全くピンときていなかった。でも、とってもシンプルに誰かに必要とされていることが、生かされることなのだと気づかされた。必要とされるというのは、何かを要求されるということではなくて、ただ居て欲しいと願われること。そのことを願われないのが一番辛いことなんだと思う…
そのとてもシンプルで、だからこそ実感しにくく、素直に求めたり、求められたりしにくいことを、レイラだけでなく見ている側にも教えて、牧師は役目を終えたとばかりにこの世を去っていく。手紙が何故来なくなったのかは不明。現実的に考えれば元囚人に手紙を読まれるのを嫌ったのかも知れない。ただ、作品の意図的に考えれば、少しファンタジックに、牧師の役目が終わったということではないかと思う。本当に神の使いなのであれば、手紙が来なくなった時点で、人々の悩みが無くなったのだと喜ぶべきであって、悲嘆に暮れてしまっていることが、彼が人間であって生かされていたことの証なのかと… それに気づいたことと、最後にそれをレイラに伝えることで、彼の使命が終わったのかも。その汚れた足が悲しいけれど、神々しい。
主要3人はすごく良かった。フィンランドの役者さんは、ほとんど知らないので、3人とも初めて見た。だからというのもあるかも知れないけれど、全員ホントにヤコブやレイラとしか思えない。ヤコブ牧師は本当に盲目なのかと思うほどだし、本当に錯乱してしまったようだった。そして何より牧師っぽかった。レイラが囚人っぽいとはさすがに思わないけど(笑) でも、とにかく"面構え"と言いたくなるくらいの見事な面構え。もうほとんど仏頂面。でも、細かな心の動きがきちんと伝わってくる。もちろん、ラストの告白のシーンの演技も良かったけれど、相変わらずの仏頂面ながら、ただならぬ様子の牧師を放っておけない感じとか、少しずつ歩み寄って行く感じとかも良かったし、タクシーの運転手に告げる行く先がなかったときの表情が素晴らしい。
とっても小さな作品で、登場人物達もあまり感情過多ではない。セリフもあまりないので、ほとんど感覚的に感じ取る感じ… もしかすると、普段あまり映画を見ないタイプの人には物足りないかもしれない。でも、複雑じゃなくてとってもストレートなので、具体的にならなくても何か感じられると思う。って、何だかすごい上からだな…
フィンランドの田舎の素朴な自然と、ヤコブ牧師の慎ましやかな暮らしぶりも素敵。そういえば、フィンランドの紅茶はカップに直接入れて、お湯いれちゃうんだね… ちょっとビックリ(笑)
とにかく、勝手に深読みしただけかも知れないけれど、自分にとっては大切なことを気づかせてくれた作品だった。重いテーマも扱っているので、オススメしにくいけれど、出会えて良かった!
追記:今、公式サイトを見てビックリ! 郵便配達人に注目すると別の話が見えてくる・・・ それは全く気づかなかった。そして気づかなかったことにしよう(笑)
『ヤコブへの手紙』Official site