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【Googleのロゴ】フランツ・カフカ生誕130周年

2013-07-03 00:20:08 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!




フランツ・カフカ生誕130周年!

もちろん知ってる! でも、一応Wikipediaで調べてみた!

フランツ・カフカ(Franz Kafka)は、現在のチェコ出身のドイツ語作家。
オーストリア=ハンガリー帝国領プラハにおいて、
高級小間物商を営むユダヤ人家庭に生まれ、
法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆した。

生前は『変身』などの著書がごく限られた範囲で知られるのみだったが、
死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が、
友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、
世界的なブームとなった。

父は息子を学校に行かせるにあたり、
プラハにおいて多数の話者を持つチェコ語の学校ではなく、
支配者階級の言葉であるドイツ語の学校を選んだ。

1907年10月にイタリアの保険会社のプラハ支店に入社したが、
過酷な労働を強いられたため、
1908年8月半官半民の「労働者傷害保険協会」に職場を移した。
ここでは勤務時間が8時から14時までで昼食を取らずに働くという、
当時のハプスブルク家の官僚体制で
「単一勤務」と呼ばれていたシステムを取っており、
このため残った午後の時間を小説の執筆に当てることができた。

1912年8月12日4ユダヤ人女性フェリーツェ・バウアーと出会う。
紆余曲折あって婚約するが、
しかし結婚によって執筆が妨げられるという不安が消えず解消。
1917年7月、フェリーツェと2度目の婚約を交わすが、
9月に肺結核と診断され、12月末病気を理由に再び婚約を解消

核を発症したカフカは1917年9月に長期休暇を取り、
妹が農地を借りていた小村チェーラウに移りここに8ヶ月間滞在した。
ここでの田舎生活は後に書かれる『城』に反映されることになった。

1918年4月末、カフカはプラハに戻り職場に復帰するが、
これ以降は長期療養と職場復帰とを何度も繰り返すことになる。
その間2人の女性と交際するが、結婚には至らずに終わった。

1923年4月、ウィーン大学付属病院に入院、
4月末からウィーン郊外のキーアリングにあるサナトリウムに移る。
1924年6月3日、同地で死去。

とのこと・・・。
情報満載で書ききれないので、続きはWikipediaで!w

ロゴはもちろん「変身」だね! 中学生の頃に読んだ。
中学生には荷が重かったよ・・・
巨大なゴキブリを想像してたけど、
ロゴを見るとあながち間違いじゃない?←別にいいけどw

ちなみに検索画面のロゴも同じ



Všechno nejlepší k narozeninám!
ドイツ語作家だけどチェコ出身なのでチェコ語をチョイス!


コメント
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