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【Agatha】本日のアガサ:伸び伸び

2013-07-16 20:22:33 | Agatha
・・・【本日のアガサ】伸び伸び♪・・・
【本日のアガサ】涼しいから久々自分の部屋で伸び伸びw http://t.co/0fTSrDG730 Posted at 10:51 PM


【本日のアガサ】伸び伸び♪

このところの暑さですっかり夏バテ気味だったアガサ。以前は冷房が苦手で、エアコン入れると部屋から出て行っちゃってたのに、今年は出て行かない。しかも、出窓の冷たい板の上で寝てることが多かった。この日は久々涼しい夜。窓を開けておけば冷房要らず。久しぶりに2Fの自分の部屋(旧弟の部屋)で伸び伸び

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【cinema / DVD】『汽車はふたたび故郷へ』

2013-07-16 00:00:00 | cinema / DVD
・・・『汽車はふたたび故郷へ』鑑賞・・・
『汽車はふたたび故郷へ』見た。重いテーマを淡々とした語り口で見せる、美しい映像の映画。好みのハズなんだけどw 反体制的ということで、故郷グルジアでもパリでも受け入れられない映画監督の苦悩なんだけど、彼の映画のどこが反体制なのか分かりにくい。ラストのアレがあまり美しくないのも・・・ Posted at 11:16 PM



*ネタバレありです! ちょっと辛口?

公開当時、汽車の窓から身を乗り出す青年のチラシを見て。ほのぼのしたものを感じ、見てみたいと思っていた作品。WOWOWで放送されたので録画。ちょっとHDD内で温めちゃったけど、この日見てみた。

「旧ソ連時代のグルジア。映画監督ニコラスの新作映画は、反体制的ということで公開中止になってしまう。絶望した彼は、自由を求めてパリへ。しかし、パリでも彼の作品は受入れられない・・・」という話。うーん・・・ 思ってたのと違ったなぁw

どうやら本作品はオタール・イオセリアーニ監督の半自伝的作品らしい。といっても、タイトルにあるとおり主人公は故郷グルジアに戻るけれど、監督自身は戻っていないのだそう。イオセリアーニ監督作品は未見。2003年公開の『月曜日に乾杯!』は公開当時話題になった気がするけれど見ていない。恥ずかしながらお名前も今回初めて知った 他の方のblogなどによると、プロの役者ではなく素人を使うことが多いらしく、今作の主役ニコラスのダト・タリエラシュヴィリは監督のお孫さんらしい。素人を使うことに関しては、あくまで好みの問題だし、演技しない(できない)ことで自然な感じになることもあるし、逆に淡々としてしまい何を伝えたいのかが分からなくなる場合もあると思う。おそらくイオセリアーニ監督としては、何か伝えたいことがあったとしても、それをことさらに強調したくないのかなという気が作品全体からしたので、そういう意味では良かったと思う。ダト・タリエラシュヴィリの演技が下手だということもない。ただ、メリハリがないというか、全体として淡々としていたことは事実。

もちろん、その淡々としてどこかコミカルな感じも狙いであって、そういう演出なのだとは思う。重いテーマを淡々とした語り口で見せる映画は好き。好きなんだけど・・・w 淡々としててもいいんだけど、どこかのポイントで納得させるような部分がないと辛いかも。なるほど主人公はこういうことがしたいのかとか、何故この主人公はこうなってしまうのかとかがあまり伝わってこない。tweetにもあるとおり、反体制的だと言われたニコラスの作品が、どんな風に反体制的なのか全く分からない。時代モノっぽい作品の撮影風景と、編集中のフィルムを少し見せられるけれど、与えられた情報だけでは何がそんなに問題なのかは不明。検閲官たちは「(本当は気に入っているのだけど)反体制的だ」というような含みのある言い方をして、この作品を公開中止にするけれど、前述したとおり反体制的であることだけでなく、ニコラスの才能を感じさせる部分すら伝わらない。

パリに来ても淡々としたトーンは変わらない。パリ到着時こそ時代が違ったかと思うくらい服装も垢抜けた、人種も様々な人々が行きかい、さすが大都会と思わせるけれど、ニコラスの行動範囲は狭く、初めのうちは間借りした知人宅の部屋とバイト先くらいw パリに来るきっかけとなったフランス大使が訪ねてきたり、レセプションに招かれたりと、かなり特別待遇。レセプションに招いてくれたのは、パリに来てからも監視されているとニコラスが訴えたから。自分と懇意だとアピールすることで監視が外れるだろうという大使の配慮。そういう描写はあったけれど、監視がついているというような緊迫感はない。この辺りもニコラスの妄想なのか、本当に監視対象なのか分かりにくい。

いよいよパリでも映画を撮ることになるけど、十字架を背負ったキリストや、赤ちゃんのオーディションをしてるけど、資金はどこから出ているのか、どんな内容の映画なのか不明。グルジアでもパリでも映画が編集でズタズタにされるとニコラスが怒っているけど、何故か編集者は老人ばかり。そして、ニコラスはいつも編集者の老人に暴言を吐いたり、手を出したりする。これはやっぱり権力とか古い体制とかを倒したいというような意味があるのかな? 映画が完成して上映会が行われる。アフリカ系の男性から花束をもらい喜ぶ女性。2人いい感じ。そこに自転車に乗った年配の男性がもっと大きな花束を持って現れる。あっさり彼について行ってしまう女性。年配の男性は何故かアフリカ系の男性を銃殺する。これも何かを示唆しているのでしょう。イマヒトツつかめないけど・・・ でも、このシーンはちょっと好きだった。ただし、観客たちは気に入らなかったようで、次々席を立ってしまい、上映終了後には関係者以外誰も残っていなかった。娯楽作品ではないと言ったはずだというようなニコラスの台詞があるけれど、見せられたシーンだけならば席を立つほど酷い内容とも思わないけどw そしてキリストはどうした?!

そしてタイトルどおりニコラスは故郷グルジアへ戻ることになる。温かく迎えてくれる家族。ニコラスは家族と共にピクニックへ出かける。釣りを始めたニコラスの前に、パリでも見かけた人魚が現れる。何故かアフリカ系女性の姿をした人魚。tweetで書いたラストのアレが美しくないというのは、この人魚のこと。この女性は美人ではないけれど、彼女が美しくないという意味ではなくて、魚部分が真っ黒でピチピチ跳ねる尾びれ(?)も、もう少しどうにかならないかというような完成度 でも、これも単に技術的なことではなくて、意図的に美しい造詣にしてないってことなんだと思う。ただ、それが何故なのかまでは理解できなかった。ニコラスは人魚と手をとり、水の中を泳ぎ去ってしまうのだけど、その水も濁っていて汚い。でも彼が去った後、残された祖父がたたずむ岸辺はとても美しい。夢を追って傷ついた青年が、夢の世界へと逃避するというような形を取りながら、導く人魚やその道行きが美しくないというのは、どんな世界も美しいことばかりではないということだと思うし、現実や自分自身をしっかり見ていなければ、本当に美しいものは見えないってことだと勝手に解釈! とにかく淡々としていて、あまり多くを語らないので、勝手に解釈するしかない。まぁ、別に何でも無理やり結論出さなきゃならないってこともないけどw でも、あまりにも"核"っていうか、そういうのが提示されないと不安になっちゃって(o´ェ`o)ゞ

ただ、なんとなくつらつら考えてみると、無声映画とか昔の映画みたいなことをやりたかったのかなとも思った。ニコラスが撮っているのは無声映画だし・・・ 台詞もあまりなくて、役者さんたちの動きとかもどこか不自然というか・・・ 上手く説明できないな・・・ うーん・・・ 例えば、パリに出てきたニコラスは知人を訪ねて行くわけだけど、広場のような所に出るとアフリカ系の男性と白人の女性のカップルが、何度も画面を横切ったりする。そして、楽器を演奏している男性にニコラスが近づき、レコードを買う。すると、その近くに座っていた老人が立ち上がり「ニコラスだね」と声をかけてくる。作り物っぽくて不思議な感じ。なんとなくチャップリンとかの無声映画を思い出した。無声映画って重要な部分は字幕が出るけど、ほとんどは役者の動きや表情で状況や感情を読み取っていたわけで、そういう作品にしたいってことかと思うんだけど違うかな? まぁ、そんなに無声映画を見てるわけじゃないし、イオセリアーニ監督の作品は普段からこういうタッチなのかもしれないけれど・・・

ということで長々語っておりますが、なんとなく不完全燃焼というか、不思議な後味で終わったということが言いたいわけです! 決してダメな作品とも思わないし、おもしろくなかったわけでもない。でも、おもしろかったかというと違うかなぁ。あくまで好みの問題! 好きな方はたくさんいると思う。

グルジアやパリ郊外の自然はキレイ。パリのニコラスの部屋とかちょっと好きだった

『汽車はふたたび故郷へ』Official site

http://twitter.com/maru_a_gogo


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