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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:高野山」

2015-05-16 23:12:39 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:高野山」


ということで、2時間SPの2本目。2本目は高野山。高野山は行ったことないので、行ってみたい! 

遣唐使として唐で学んだ弘法大師空海は真言密教を伝えた。高野山は密教の聖地の中の聖地。


高野山(Wikipedia)は和歌山県にある山。比叡山と同じく、高野山全体が日本仏教の聖地ということになっている。一応、メインのお寺は金剛峰寺(高野山真言宗 総本山金剛峰寺)ということになるのかな? 開祖は弘法大師空海(Wikipedia)

 

金剛峰寺 高野山総本家 明治以前は高野山全体が金剛峰寺と呼ばれていた。高野山二大聖地 壇上伽藍と奥ノ院。壇上伽藍へ向かう道を蛇腹道と呼ばれる。壇上伽藍は空海が開いた修行道場。


高野山総本家って書いちゃってるけど、もちろん総本山で、奥ノ院って書いちゃってるけど、こちらも奥之院が正しい。慌ててtweetしてるから変換ミス多い


金剛峰寺_高野山


壇上伽藍は空海が曼荼羅に基づいて創建したとのこと。奥之院は空海の御廟の他、皇室・公家・大名などの墓があるのだそう。その件については下の方で・・・ 


壇上伽藍_高野山

 

密教の中心は大日如来。宇宙そのもの。この世の全ては大日如来が作った。即身成仏=この身このままで仏になれる。ミイラ化する必要はないのか?

 

大日如来(Wikipedia)は密教の最強仏。即身成仏(Wikipedia)というのは、人間のまま悟りを開き仏になるということで、そのためには時には千日回峰行などの厳しい修行を行う必要がある。ミイラ化しているのは即身仏でした(o´ェ`o)ゞ


嵯峨天皇(Wikipedia)から高野山を開く許可を貰う。修行中の少年の頃、既に高野山に目をつけていた。


空海は少年の頃から京に上り、儒教などを勉強していたようだけれど、儒教の思想に疑問を抱き、19歳の頃に山林に入って修行を行ったらしい。番組で言っていた少年の頃というのが何歳の頃のことを言っているのかは謎。

 

密教は釈迦入滅後1000年以上たってインドで誕生。ヒンドゥー教の影響を受けているため、ヒンドゥー教の神が登場する。降三世明王はシヴァ神とその妻を踏みつけている。密教に従わなかったため、仏教に改宗させたと言われる


密教(Wikipedia)が中国から伝わったのは知っていたけど、インドで誕生したとは知らなかった。でも、仏教にヒンドゥー教(Wikipedia)の影響が入っていることは知ってた。記憶が曖昧というか、やっぱりこの辺りの流れをきちんととらえられていないんだな 仏教はインドで生まれ、大乗仏教(Wikipedia)と上座部仏教(Wikipedia)と2つに分かれて広まった。日本に入って来たのは大乗仏教。密教は秘密の教えということで、大乗仏教の秘密を言うとのこと。


降三世明王(Wikipedia)は密教の五大明王の内の1つ。ヒンドゥーの神であるシヴァ(Wikipedia)とその妻パールヴァティー(Wikipedia)が、仏教に従わないため、踏み殺し蘇ったところで改宗させたそうで、そのことを表しているらしいのだけど、ずいぶん酷いな

 

胎蔵界曼荼羅 409の仏の姿 金剛界曼荼羅 修行の道筋 仏教の教科書


曼荼羅(Wikipedia)は仏教の聖域や、世界観などを視覚的に表したもので、両界曼荼羅(Wikipedia)胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の2つで構成されている。それぞれのザックリした説明がtweetとなる。

 

慈尊院 高野山の表玄関 女人禁制のため、空海の母も高野山へ入れず、慈尊院に滞在。月に9度空海は山を降りて通ったため、九度山と呼ばれる。


高野山はかつて女人禁制だった。それに対して女性も受け入れていたため、奈良の室生寺(女人高野 室生寺)は女人高野と言われいた。慈尊院(Wikipedia)は表玄関ということで、女性も滞在可能だったらしく、空海の母である玉依御前もこちらに滞在。母に会うため月に9度通ったため、九度山とも呼ばれているとのこと。まぁ、自ら禁を破ってはダメだものね

 

檀上伽藍まで約20キロ、徒歩で登らなければならない。時の権力者、藤原道長・白河天皇も徒歩で登った。180の町石が並ぶ。空海が袈裟を掛けたと言われる、袈裟掛け石もある。


高野山の入り口を何というか聞き逃してしまった そこから壇上伽藍まで約20キロ登る。これは、身分の上下に関係なく全員徒歩。目印として町石(高野山町石道|Wikipedia)が並んでいるとのこと。


袈裟掛石_高野山


空海が袈裟をかけたという、袈裟掛石の他にも石を紹介してたのだけど、残念ながら聞き逃す

 

阿字観 真言密教の瞑想 梵字の阿という字を見て瞑想する 阿は大日如来の象徴。大日如来と一体化する行。全言語が"あ"で始まっている。宇宙の始まりの一字


唐突に修行の話になってるけど、それまでの流れは忘れた 阿字観(Wikipedia)は"あじかん"と読む。聞いたことある人も多いのでは? 文字通り、大きく書かれた梵字の"阿"を見る修行。阿が大日如来の象徴とは知らなかった。梵字についてはノータッチ状態。宇宙のはじまりの如来様だから"阿"なのね? ご住職(?)が説明されていたのは、日本語だけでなく、例えば英語でも、フランス語でも"あ"(a)から始まっているとのこと。なるほど! これは何かあるのかな? まぁ、母音だからってこともあるかもだけど・・・

 

高野山の僧は百日修行を行った後、丹生都比売神社にお参りに来る。


この丹生都比売神社(丹生都比売神社)のことも聞き逃してしまって、辛うじて聞けたのがtweet部分 どうやら丹生都比神(にうつひめのおおかみ)を祀っているのね? この神様は男性なのか女性なのか? どうやら姫神様らしい。


百日修行について調べてみたら、高野山大学(僧侶をめざす|就職・資格|高野山大学)ではカリキュラムの1つとして組み込まれていた! 地元市川市の日蓮宗大本山・中山法華経寺(Wikipedia)の百日修行は厳しいことで有名だけど、高野山のはどうなのか? ちょっと調べたけどよく分からなかった。健康診断書を出さないと修行に入れないという記事も読んだので、やっぱり荒行なのかな? まぁ、修行ですからね・・・

 

奥之院 高野山で最も清浄な場所 62歳で永遠の修行へ。その御廟として作られたのが奥之院。上杉謙信と景勝の供養塔、武田信玄の供養塔がある。燈籠堂は聖域中の聖域。ここで今も空海が生きていると考えられている。


この永遠の修行へというのは、空海が亡くなったということ。少し上の方で触れたけれど、空海の御廟として作られたのが奥之院。聖地であるここでは、身分による上下も、敵も味方もないということで、上杉謙信と景勝の墓の向かいに、武田信玄の墓があったりする。豊臣家の墓もある。


豊臣家墓所_奥之院_高野山


燈籠堂では、空海が今も生きているものとして、毎日御膳が捧げられているとのこと。ここは、撮影禁止のためカメラは入れない。参拝する人も一礼してから入って行く。

 

私たちは既に仏であるということ。欲望を自分のためではなく、人々のために使うということ。


これは深い言葉 例えば空海の言葉なのか、番組の脚本を書いた方の言葉なのか不明だけど、いい言葉。

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

 

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:比叡山延暦寺」

2015-05-16 03:37:43 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:比叡山延暦寺」

 

毎回楽しみにしている番組。古寺を取り上げて、その成り立ちから、周辺のお店まで紹介してくれる番組。内容も分かりやすくて勉強になるので、tweetしておいて、後で補足など加えて備忘録として残している。今回は2時間SPということで、比叡山延暦寺と高野山を紹介。番組自体も1時間ずつ2本に分けて放送という形だったので、記事も2つに分けることにした。文字制限対策でもあり

 

国から僧と認められるには定員があった。最澄が遣唐使から戻ると、延暦寺に2名定員が割り当てられた。天台宗が認められた瞬間。しかし、当時国に認められた僧となるためには、東大寺に行かなければならなかった。独自に戒壇が出来るように国に申請、最澄の死後7日目に認められた

 

実は映画を見ていたため、少し始まってしまっていたので、延暦寺は中途半端なところから 最澄(Wikipedia)は遣唐使(Wikipedia)として唐に渡り、天台宗(天台宗)を学んできた。当時、僧となるためには東大寺(華厳宗大本山 東大寺)で戒律(Wikipedia)を受けなければならなかったのは知っていたけど、それには定員があるとは知らなかった!


根本中堂_延暦寺 


最澄は戒を授けた僧に十二年籠山行を命じた 自身もこの行を行った

 

どうやら12年籠山行と書くらしい。そこ西洋数字なの? まぁいいけど(笑) 延暦寺では後から出てくる千日回峰行という荒行が有名だけど、実は最も過酷なのはこの12年籠山行らしい。ザックリ書くと、3:30に起床しお勤め、最澄への朝の献膳、読経、昼の献膳、掃除、お勤めを行い22:00に就寝。このスケジュールを12年間1人で山に籠り行う修行。1日でも大変なのに12年間! イヤ、それを1人で行うというのは本当に自分との戦い。これは過酷。ちなみに戦後この修行を満行したのは6人だそう。スゴイ!

 

仏立(ぶつりゅう) 90日間2時間の仮眠と食事・用を足す以外は、仏様の周りをグルグルと回る修行を行う。回っているはずなのに真っ直ぐ歩いている感覚になり、やがて目の前に仏が立つという

 

延暦寺では住職となるために三年間の厳しい修行に耐えなければならない。この90日間修行というのは、3年目の修行のことで、常行堂もしくは法華堂で行う。tweetで言っているのは常行堂での修行のことで、阿弥陀如来の周りを90日間歩き続ける。その間横になることは許されず、仮眠を取る際も手すりに寄りかかって眠る。それは、阿弥陀様も目の前にお立ちになるわ・・・ ちなみに、法華堂での修行は座禅で、90日間座禅を組み経を読む。これも・・・


常行堂_延暦寺 


横川 慈覚大師円仁が開いた地 吉川中堂は遣唐使船の形をしている。本尊は伝円仁作聖観音菩薩。御朱印は大悲殿。円仁は最長の直弟子。密入国して唐で密教を学んだ。如法写経の書。法華経の一字一句を仏と思って写経する。根本如法=堂円仁の写経を収める塔

 

tweetでは吉川中堂って書いちゃってるけど、本当は横川中堂。横川についてはtweetにあるとおりなのだけど、「源氏物語」(Wikipedia)に登場する横川の僧都(Wikipedia)は架空の人物だけど、この横川を中心に活動しているという設定らしい。慈覚大師円仁(Wikipedia)についてtweetでは最長の直弟子ってなっちゃってるけど、これはもちろん最澄のこと。何故、密入国したのかは聞き逃してしまったけれど、ようするに遣唐使として派遣されなかったってことかな? もう廃止されてた? 如法写経(如法経(ニョホウキョウ)とは|コトバンク)についてもtweetどおり。円仁作と言われる聖観音菩薩(Wikipedia)は菩薩様なのに、装飾も少なく、とてもスッキリと親しみやすいお姿。

 

 

横川中堂_延暦寺 


聖観音菩薩_伝円仁作_延暦寺


元三大使 良源が比叡山を復興。正月三日に無くなったので元三大使と呼ばれる。良源は霊力が強かったため、角大師と呼ばれている←鏡に映った姿に由来。おみくじの祖でもあり。そもそもは、物事の判断に困った時に引くもの。人々が相談しにやって来たことから、おみくじが生まれた。

 

元三大師良源(Wikipedia)が角大師と呼ばれていることについて、エピソードが紹介されていたのだけど、全部tweetすることが出来ず 調べてみたのだけど、あまり詳しく出てこない。どうやら悪霊退治をした際に、鏡に映った良源の姿が角の生えた姿で、その姿を弟子に写し取らせ魔除けとしたというようなことらしい。


角大師_比叡山横河

 

おみくじ(Wikipedia)についても、何故良源が作ったのかを聞き逃してしまったのだけど、そもそもは占いのためのものではなかったということ。現在でも延暦寺で行われている正しいおみくじの作法(?)としては、まず悩みを僧侶に相談する。それに対して、僧侶の説法で解決すればおみくじは引かない。解決しない場合、僧侶がおみくじを引き、そこに書かれている文言にしたがって、さらに説法するということらしい。なるほど・・・

 

日吉大社 全国の日吉、日枝神社の総本山。延暦寺とも所縁深い。鳥居の上の山形は比叡山を表す。

 

延暦寺については、延暦寺という1つのお寺があるわけではなくて、比叡山を境内とするお寺のことを言うらしい。ということで、この日吉大社(日吉大社|平安京の主て鬼門鎮座 方除・厄除の大社 神仏霊場 滋賀県17番)も延暦寺の1つってことになるのかな? 大社なのだから元は神道ってことか? どうやら、最澄が延暦寺を開いてから、天台宗となったとHPにあるので、神仏習合ってことかな? 神仏霊場となっているものね。ちなみに、全国の日吉・日枝だけでなく山王神社の総本山でもあるらしい。


鳥居_日吉大社

 

千日回峰行。400年で満行したのは50人。満行すると阿闍梨となる。最澄が亡くなって数十年後に生まれた行。途中で止めることは出来ないため、死に装束で向かう。

 

前述した12年籠山行同様、荒行と言われているのが千日回峰行。これは7年かけて行う行で、1~3年目は1日30キロ(礼拝場所260箇所)を各100日歩く。4~5年目は1日30キロを各200日。この700日を満行すると、9日間の断食、断水、不眠、不臥の堂入りを行う。そして、6年目は1日60キロを100日、7年目は1日84キロを100日、1日30キロを100日歩き満行となる。いかなる理由があっても途中で止めることは出来ないとされ、死に装束に短刀を持って修行に向かう。400年で満行したのは50人。酒井雄哉大阿闍梨(Wikipedia)は、これを2回満行! 1,000年を越える比叡山の歴史の中でも、2回満行したのは3人しかいないのだそう。もう凄過ぎて、凄いとか軽々しく言えない。有難くて涙が出る 

 

 

酒井雄哉大阿闍梨


何という穏やかで優しいお顔・・・ 仏様のよう。有難い 酒井雄哉大阿闍梨、千日回峰行について詳しくは自決も辞さない千日回峰行はとてつもない荒行だった|NAVERまとめ

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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