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【art】「ルーブル美術館展」@国立新美術館

2015-05-24 17:36:17 | art

「ルーブル美術館展」@国立新美術館

見た!意外にちゃんと見れた (@ 国立新美術館 (The National Art Center, Tokyo) in 港区, 東京都)

前売買ってたのに、例によってぐずぐずしていて、意外に残り一週間程度になってしまった 定時上がりして行きたかったのだけど、ちょっと1時間ほど残業になり、鑑賞時間が1時間半しかない状態に ちゃんと見れるか心配だったけど、国立新美術館は2つある展示室とも、そんなに広くないし、展示点数も約80点と少な目だったため、結構混んでいたにも関わらず、結構ちゃんと見れた。

 

お目当てのフェルメールは、2012年に見た東京都美術館での「真珠の耳飾の少女」(「マウリッツハイス美術館展」|・*・etoile・*・)と同じく、間近で見たい人は前に列を作り立ち止まらずに見る、じっくり見たい人は列の向こう側から見るという形式。時間の関係で1番最初にこれを見ようと思っていたので、最初に列に並び間近で見て、一通り見てから再度じっくり見る側で見て、最後列に並んで間近で見る形で結果3回鑑賞できた。

好きだったのは、フェルメール、ティツィアーノ、コローと、ブーシェと… 特別好きな題材でなくても、必ず目を引くレンブラントw

紀元前の彩色墓石から、19世紀の作品まで絵画を中心とした展示。83点を時代に関係なく6つのテーマに分けて見せる。正直、フェルメール以外のフランドル派の絵画は、そんなに好きではないので、フェルメール作品が来ていなかったらスルーしていたかも 最初は、分かりやすく印象派の絵画から入ったけれど、後に浮世絵などの日本美術の影響を知り、日本画に興味を持ってからは、もっぱらそちらの方が好き。まぁでも、大好きな伊藤若冲も西洋画を見たりもしていたようだけれど(笑)

 

とはいえ、日本画もそうだと思うけれど、西洋画では特に描かれているモチーフが、あることを示唆していたりしていて、それを知るのは面白かったりする。例えば、今回とっても好きだったジャン・バティスト・グルーズの「割れた水瓶」などは、無垢の象徴である白い服が乱れていたり、水瓶が割れている描写から、まだあどけない表情の少女が失ったもの(=純血)を表しているのだそう。

 

レンブラントの作品って、基本肖像画でも全く美化しない描き方をすることもあり、あまり好みではないのだけど、どんなに小さな作品でも、そのコーナーに入った瞬間目が行ってしまう。多分、光の使い方なのだと思うけれど、文字通り光り輝いている。やっぱりスゴイ画家だなと思う。

 

ここから、好きだった作品! (好き ➡ 大好き)

 

 

鏡の前の女:ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

オダリスク:フランソワ・ブーシェ

 

ロココ調の代表ブーシェ。肉感的過ぎる作品はあまり好みではないのだけど、これはやっぱり有名作品だし見れてうれしかった。かわいらしい女性は13歳年下の妻がモデルでは?と言われているそうで、東洋風の髪型やオダリスクというタイトルからも、イスラムの後宮の美女を表現しているのでは?とのこと。

 

天文学者:ヨハネス・フェルメール 

 

この作品を見に行ったし、合計3回も見たにも関わらず、本日の1枚ではなかったのは、やっぱり題材が堅過ぎるからかなぁ フェルメールと言えばの、窓に向かった人物、差し込む光、背景に絵画など、好きな要素満載なのだけど、やっぱり美少女もしくは美女の方が見ていて楽しいからかな(笑) 説明文によると、ここに描かれている天球儀は1600年にヨドクス・ホンディウスによって作られたもので、机の上の本は1621年に刊行されたアドリアーン・メティウスの「星の研究と観察」なのだそう。17世紀オランダでは天文学者と地理学者は近しい存在と考えられていたそうで(←ここちょっと曖昧)、同時期に描かれた「地理学者」も同じ発注者によるものではないか?とのことだった。


地理学者:ヨハネス・フェルメール

(今回の展示作品ではありません)


あまりグッと来なかったとはいえ、机から垂れる布のドレープの感じや、窓からの光、動き出しそうな写実感、覗き見ているかのような構図が素晴らしい。やっぱり好きだなフェルメール

 

【今日の一枚】

 

 水汲み場のブルターニュの女たち:ジャン=バティスト・カミーユ・コロー

 

これ38.5×55cmとあまり大きな作品ではないし、色合いも全体的に茶色っぽく淡いし、目立つ作品ではないのだけど、とっても素朴で好きだった。なんとなくアンドリュー・ワイエスを思わせるような、19世紀の画家の作品とは思えない新しさを感じる。コローは印象派の画家たちに影響を与えた人物だけど、印象派の作品よりも"古くない"感じが好きだった。

 

ということで、感想としてはこんな感じかな・・・ 描かれた2人の男女が不細工過ぎて逆に好きで、何度も見に行ってしまった、ユーディト・レイステルの「陽気な集い」や、猿の擬人化が興味深かった、ジャン・シメオン・シャルダンの「猿の画家」など、気になる作品もあったのだけど、まぁいいかな(笑)

そういえば、こんな素敵な感じになってた

 

国立新美術館のエントランスの柱が、こんな感じになってて素敵だった 帰りは暗くてよく見えなかったので、見る前に撮っておいてよかった!

 

ルーブル美術館展:2015年2月21日~6月1日 @国立新美術館

ルーブル美術館展 日常を描く -風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄|日本テレビ

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:善峯寺・楊谷寺」

2015-05-24 15:45:40 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:善峯寺・楊谷寺」

吉峯寺 本尊は2体の十一面観音菩薩。一体は秘仏。山門の仁王像は運慶。

 

西山善峯寺縁起 源算が開いた寺(現善峯寺)に秘仏の十一面観音が移された。脇本尊となった。天皇家の庇護の元善峯寺となった。

 

源算上人(源算(げんざん)とは|コトバンク)が善峯寺(京都・西山 西国第二十番札所 善峯寺)を開くにあたり、体験した霊的な出来事を描いたのが西山善峯寺縁起(善峯寺の歴史|歴史とゆかりの人々)。源算上人が霊地を求めて西山に入ると、翁神が現れてここに寺を開くように導かれたり、寺を開くにも岩が多くて地ならしが困難だと思っていると、猪の大群がやって来て一夜で平地になったりと、ちょっと不思議なお話だったりする。


秘仏の十一面観音様を移された元の寺や、それを指示した天皇の名前も言っていたのだけどメモしきれず 後一条天皇が"良峯寺"と命名し、後に後鳥羽上皇から直筆の寺額を賜ったことにより"善峯寺"となったり、天皇家とゆかりが深い。元善峯寺ってtweetしちゃってるけど、これは庇護の下って書きたかった

 

平安時代 末法思想 西方浄土として注目を浴びた西山 開祖源算も阿弥陀如来を信仰


何故平安時代に末法思想(Wikipedia)が流行ってしまったのだろうと思ったら、Wikipediaによると貴族による摂関政治から院政へ移り、武士が胎動して来て世の中が大きく動き始め、治安が乱れたこともあり、そういう感じになってしまったのね 最澄などは既に末法だと思っていたらしい。早いよ最澄(笑) まぁ、末法になって、また新たな世が始まるってことなのかもしれないけど、とりあえずそれから千年以上日本は続いているし、仏教も続いている。形は変わっている部分はあるのかもしれないけれど、それこそが諸行無常ってことなのでしょうし・・・

 

現在残る伽藍を整備したのは桂昌院 桃山時代作の阿弥陀三尊は桂昌院と所縁がある。桂昌院の父は信心深く善峯寺に度々参拝。父亡き後、善峯寺に奉公。やがて公家の養女となり、家光に見初められ、将軍生母となった。このため桂昌院が信仰した薬師如来を出世薬師と呼ぶ


善峯寺は天皇家だけでなく、徳川将軍家とも所縁が深い。それは、桂昌院(Wikipedia)とのつながりから始まる。詳細はtweetにあるとおり、上の"西山善峯寺縁起"にリンクした、善峯寺のサイトでも紹介されている。ここで言う桂昌院の父っていうのは、本庄太郎兵衛宗正のことなのかな? 本当は八百屋の娘とも言われているよね? 善峯寺に奉公したりと、苦労もしたようだけれど、その後の出世ぶりを見ると、運もあるけど優れた女性だったのでしょう。ドラマなどでは気が強く、綱吉に生類憐みの令を出させてしまう悪女に描かれることが多いけれど、本当のところはどうだったのかな?

 

ここから、楊谷寺

 

2本立て 楊谷寺 山門に風神雷神を祀る=観音信仰の寺であるということ( ゜д゜)ホゥ 本尊は十一面千手千限観世音菩薩 秘仏ってことはお前立? 後輩に六道 六道でそれぞれの観音菩薩が救う。修羅道から救い上げるのは本尊十一面観音

 

 

 山門(Wikipedia)に風神雷神が祀られていると、観音信仰の寺であるということなのね? 知らなかった! まだまだ、知らないことが多い。後輩ってtweetしちゃってるけど、これは光背(Wikipedia)。六道(Wikipedia)は上から、天道 ➡ 人間道 ➡ 修羅道 ➡ 畜生道 ➡ 餓鬼道 ➡ 地獄道で、煩悩がある限りこの6つの道を輪廻転生し、前世の行いにより"道"が決定すると考えられている。それぞれの"道"には、担当の観音様がおられ、十一面観音様は修羅道担当。ちなみに、悟りを開くと、この輪廻から外れる。


清水寺を開いた円珍が開祖 西山に行けば観音菩薩が現れると夢でお告げを得る 柳谷観音と呼ばれる 円珍は再び清水寺に戻るが、空海が度々楊谷寺を訪れる 境内に眼病に効くという泉を発見したのが空海 眼病を患った子猿の目を洗う母猿の姿にうたれ17日間祈祷をし、これを治した


開祖円珍(Wikipedia)が楊谷寺を開いた経緯はtweetどおりなのだけど、この方空海(Wikipedia)の甥っ子なのね? なるほど、空海が度々楊谷寺を訪れたのは、地理的に近かっただけではなかったのね。まぁ、その頃には円珍は清水寺(音羽山 清水寺)に戻ってたそうだけれど。そういえば、楊谷寺(京都 眼の観音様 -柳谷観音 立願山楊谷寺)のリンク貼るの忘れてた 柳谷観音と書いて"やなぎたにかんのん"とそのまま読む。円珍が柳の生い茂る中に、生身の観音様のお姿を見たことから柳谷観音と呼ばれているとのこと。


弘法大師空海が眼病に効く泉を発見したきっかけは、母猿が眼を患った子猿の目を洗っている姿を見たからだそうで、この姿にうたれ十七日間祈祷をしたところ、子猿の眼が治ったのだそう。まぁ、こんなことを言っては何だけれど、要するに"ものもらい"とかそういう眼病なのであって、生まれつきの障害が治ったわけではないのでしょうけれど、今より病気の知識が乏しかった当時、藁をもすがる人々の心の支えとなったことは間違いないわけで、そういうことが信仰なのであり、お寺や仏様のあり方なのかなと思った。

 

おこう水←漢字が分からない 眼病に効く泉 江戸時代天皇が眼病を治したため、天皇家とゆかりが出来た


おこう水というのは、独鈷水と書くらしい。これは読めないわ 独鈷(独鈷(トクコ)とは|コトバンク)って空海が手に持ってる仏具だよね? 密教で用いる仏具だそう。


弘法大師空海

 

弁天堂 お前立に和人形 淀殿の姿を模した人形 弁財天=サラスバティー女神 弁財天を拝む同時に、淀殿の冥福も祈る形 豊臣家とゆかりのあった禅寺の僧が、この寺に寄進するよう淀殿に依頼したことから、淀殿と縁ができた


淀殿(Wikipedia)と楊谷寺との所縁についてはtweetどおり。しかし、淀殿を模した和人形が祀られているというのは、かなりビックリした! イヤ、仏教って戒律などが厳しいイメージがあったけど、結構大らかなんだね。弁財天(Wikipedia)が女神だということもあるのでしょうけれど


今回は歴史上有名な女性2人にゆかりのお寺ってことで、興味深く見た。やっぱり歴史って面白い

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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