【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:醍醐寺」
醍醐寺 聖宝は天智天皇の子孫 修験道を学び、大峯山などで山にこもり修行 笠取山で横尾明神と出会う 「醍醐味なるかな」水に心を寄せる 醍醐水は今も湧き出している
醍醐寺(世界遺産 京都 醍醐寺)の開祖 理源大師聖宝(Wikipedia)が、笠取山で出会った横尾明神が、この地の水をホメて「醍醐味なるかな」と言ったことに心打たれた。また、横尾明神はこの地を聖宝に譲り、守っていくと告げる。聖宝は小堂宇を建立し、准胝観音(Wikipedia)、如意輪観音(Wikipedia)を祀ったことが、醍醐寺の始まり。また、この時の水が醍醐水と呼ばれ、今も上醍醐で湧き出している。聖宝は天智天皇(Wikipedia)の6世孫にあたるとのことで、俗名は恒蔭王とのことなので、宮様だったのね?
修験道と真言密教を学んだ聖宝は、この地を聖地とした 如意輪堂はかけづくり←漢字出ない 如意輪観音が岩に降り立ったことから、この場所に如意輪堂を建てた 6本の腕で人々を救う 如意輪観世音大好き❤
聖宝は空海(Wikipedia)の直弟子の弟子とのことで、そもそもは真言密教を学んだ人らしいけれど、修験道をよみがえらせた人としても知られているのだそう。そもそも、笠取山に入ったのも、修験道の修行としてだったらしい。前述の如意輪観音様を祀っているのが如意輪堂で、これは長谷寺(記事はコチラ)でも出て来た懸け造り(懸け造り・懸造り(かけづくり)とは|コトバンク)。
この如意輪様素晴らしい!! 見たい!!
907年に醍醐天皇が寺建立を依頼 薬師如来を祀る ←国宝 醍醐天皇は人々の病を救いたいと、薬師如来を祀った 五大堂には五大明王を祀る 大日如来が変化した姿
最初はiPhoneでtweetしてたので、漢字変換や入力が思うように出来なくて、全然メモが間に合わない 何が言いたくてメモしてたのかもうよく分からないよ・・・ 醍醐天皇の依頼はもっと違う言い方をしていたのだけど、多分意味的には合っていると思われる。五大明王(Wikipedia)もちゃんと見れなかった
実修実証の心は、寺が開かれてから50年後、下醍醐で引き継がれることになる。醍醐天皇は下醍醐にお堂を建てる。世継ぎを望む→村上天皇、朱雀天皇 2人が伽藍を整えた
実修実証というのは聖宝が遺した言葉で、修行で習得した知識を残すというような意味だと言っていたような? あれ?(o゜ェ゜o) 醍醐寺は上醍醐と下醍醐のそれぞれの伽藍から構成されているそうで、聖宝が醍醐天皇の庇護のもと、整えたのが上醍醐。醍醐天皇が醍醐寺に力を注いだのは、世継ぎ誕生を望んだからで、結果、村上天皇(Wikipedia)と朱雀天皇(Wikipedia)が誕生することになる。そして、2人が父の意志を継ぎ下醍醐を整えることになる。
五重塔はそもそも仏舎利=釈迦の遺骨を祀る建物。2人の天皇は父醍醐天皇を祀るために建てた。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅=両界曼荼羅が描かれている。それぞれの役目がある。
このtweetも分かりにくいのだけど、要するに村上、朱雀両天皇は五重塔を本来の目的とは違い、父帝を祀るために建てたということ。仏舎利(Wikipedia)というのはお釈迦様の遺骨。五重塔内には両界曼荼羅(Wikipedia)が描かれている。このどちらにも役割があるというのは、胎蔵界曼荼羅=現実世界、金剛界曼荼羅=精神世界のそれぞれに役割があるということ。
正面の板に描かれた空海の姿は、日本で一番古い空海の姿。上醍醐にも下醍醐にも清瀧を祀るお堂が建てられた。空海を守る。
清瀧宮本殿_上醍醐
清瀧宮本殿_下醍醐
木の文化=堂塔や仏像 如意輪観音は脚を下にたらした形、平安時代の特徴を残す。←この如意輪見たい!! 大日如来も見たい!! 紙の文化=書物 代々の座主や僧侶が残した日記など
このtweetの言いたいことは、要するに醍醐寺には"木の文化"と"紙の文化"があるということ(笑) 座主(Wikipedia)っていうのは天台宗の代表となっているけど、醍醐寺は真言密教と修験道のお寺なのではないのか?
脚を下にたらした如意輪様素敵だった。如意輪観音の少し首を傾けて、頬杖をついているような姿が優美で、妖艶で好きなのだけど、脚を垂らしていることによって、よりリラックスされている気がして、見ている側も力が抜けていく感じ。見たい!
室町時代に悲運。応仁の乱で戦火に包まれ、多くのお堂を失う。傾きかけた五重塔だけが残った。豊臣秀吉が訪れる。上醍醐に登る途中、槍山という開けた土地を通る。花の醍醐と呼ばれた場所。この場所で"醍醐の花見"を行う準備1ヶ月、700本の桜を移植、茶屋を設け1,300人が訪れた。
応仁の乱(Wikipedia)で京都はほぼ焼けてしまったそうなのだけど、醍醐寺も被害にあっていたのね 五重塔しか残っていなかった光景を見て、豊臣秀吉(Wikipedia)も感じるものがあったのかもしれない。"醍醐の花見"(Wikipedia)は有名だよね! でも全然思い当ってなかった(笑) そういえば、岩佐又兵衛(Wikipedia)の洛中洛外図屏風の映像展示を見た時(記事はコチラ)に醍醐の花見の説明がなかったっけ? あれ?(o゜ェ゜o) この記事の右隻の画像の右下に描かれてるのが醍醐寺だった気がする・・・ 違ったか?
花見だけでなく、醍醐寺の復興にも尽力。下醍醐のお堂は和歌山の万願寺から移築。本尊の薬師如来も移されたもの。80代座主義演が秀吉の遺志を継ぐ。 国宝表書院 下段、中段、上段
中段と上段の障壁画は長谷川等伯の一派の手によるもの。三宝院回遊式庭園は秀吉の設計。秀吉亡き後、義演が整えた。秀吉は結構庭を設計しているのね・・・ 回遊式庭園は本来巡りながら楽しむものだが、書院から見渡す。立体曼荼羅になっている。
豊臣秀吉って何となくあまり好きじゃないんだけど、お寺の復興に尽力したり、観音菩薩を信仰したりと、ちょっと違う一面が見えてきた。清水寺(記事はコチラ)の袖手水鉢も秀吉の寄進だったし、どこかのお寺の庭も設計していたような・・・ 回遊式庭園(Wikipedia)って巡りながら楽しむものなのね? しかも"回遊式庭園"っていうのは日本庭園にのみ使うらしい。なるほどφ(・ェ・o)メモメモ この立体曼荼羅になっているということの説明の中に、石(?)を薬師如来三尊に見立てていると言っていたのだけど、メモするので手いっぱいで、画像も見てないしうろ覚えだし本末転倒
観音堂 准てい観音菩薩←漢字出ない! 聖宝が最初に祀った仏像。安産の仏様。目に見えない命。山の上に修行の場=上醍醐、山の下に教えを広める場=下醍醐を作った。それが醍醐寺。
前述したとおり准胝観音は聖宝が最初に祀った2体の仏像。この方秘仏なのかな? 毎年5月18日を中日とした一週間御開帳しているらしい? 急激に上醍醐と下醍醐が上手く作用しているのが醍醐寺って感じでまとめちゃってるけど、要するにそういうこと(笑)
古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ