2017.02.22 『光をくれた人』試写会@アキバシアター
cocoさんで当選! いつもありがとうございます アリシア・ヴィキャンデルとマイケル・ファスベンダーの交際のきっかけとなった作品ということで、楽しみに行ってきた~
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「戦争で心に傷を負ったトムは、孤島での灯台守の仕事を得る。最寄りの街で知り合ったイザベルと結婚し、幸せな日々を送っていたが、イザベルは2度流産をしてしまう。そんな時、島にボートが流れ着き、中には息絶えた男性と、女の赤ちゃんが乗っていた。2人はいけないことと知りつつも、この子を自分たちの子供として育てることにするが・・・」という話。これはとても良かった。やや強引なところがなくもないけど、俳優たちの演技と、時にキビシイけれど美しい自然に惹き込まれて132分飽きることなく見た。号泣ということはなかったれど、気がついたら泣いていた。とても正しい美しい作品だと思う。
『ブルー・バレンタイン』『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ / 宿命』のデレク・シアンフランス監督が、世界40ヵ国以上で出版されたM・L・ステッドマンの同名小説を映画化。原作は未読で、監督の作品も『ブルー・バレンタイン』しか見ていない。シアンフランス監督は脚本も手掛けている。編集のジム・ヘルトンとロン・パテインは前述の2作品も手掛けている。
毎度のWikipediaによりますと、2012年11月27日、ドリームワークスが映画化権を獲得し、デヴィッド・ハイマンとジェフリー・クリフォードがプロデューサーを務めることが報じられた。2013年9月、デレク・シアンフランスが監督を務めることが発表された。2014年6月、アリシア・ヴィキャンデルがキャストに加わった。2014年7月、さらにマイケル・ファスベンダーとレイチェル・ワイズの出演が報じられた。とのこと。
2014年10月22日、スタッフはダニーデンの旧ダニーデン刑務所を撮影場所とし、3週間に及ぶ市内での撮影を行った。10月下旬、スチュアート・ストリートでの撮影が行われ、スタッフは旧キング・エドワード・テクニカル・カレッジの前をロケ地に選んだ。撮影は他にポート・チャーマーズでも行われた。その後はセントラル・オタゴのセント・バサンズに移り、1週間撮影し、11月半ばにニュージーランドでの撮影が完了した。とのこと。
冒頭、トム・シェアボーン(マイケル・ファスベンダー)が面接を受けているシーンから始まる。第一次世界大戦の英雄として帰国したトムだが、心に傷を負っており、一人静かに過ごせる環境を求めていた。そんな時、オーストラリア西部バルタジョウズ岬から160km離れた孤島、ヤヌス島の灯台守に空きが出たため、その採用面接に来たということらしい。島に住む者はなく、本土との間に3ヶ月に1度連絡船があるのみ。前職者は妻を亡くしたことにより精神を病み辞職、後に自ら命を絶ってしまう。重要な職ではあるけれど、僻地勤務の過酷な労働条件ゆえか、3ヶ月の試用期間ということになる。
島に渡る前数日を過ごす港町。海岸で鳥にエサをやる女性と目が合う。美しい女性。後に、彼女イザベル(アリシア・ヴィキャンデル)の家に招待されることになる。この辺りのことをちょっと忘れてしまったのだけど、イザベルの父親がトムの身元引受人とかになったってことかな? 何故、この家に招待されたんだっけ? 実は、マイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィキャンデルが夫婦役だと知って見たので、初めから夫婦として赴任するのかと思っていたら、冒頭で出会いがあってビックリ。イヤ、いくら昔の話とはいえ、かなり過酷な生活なので、それを承知で結婚するってスゴイなと思ったので。
意外に島に渡るまでが長かった印象だけど、とにかくトムは1人島に渡る。この時点ではイザベルとの間は、お互い気になっているという程度で進展はない。島の大きさについては全く詳しくないけど、誰も住んでいないという割には大きな島。灯台の麓に小さな家が建っている。家具などは前任者が残したものだと思われるけれど、ピアノなどもあって思ったよりも快適そうな家。でも、ここに1人ぼっちで3ヶ月に1度しか誰とも会えないと考えると、快適とは程遠い環境ではある。物資も届かないということだから、基本自給自足。なので、灯台の仕事の他に畑仕事や家畜の世話、家の手入れなど、やることが多く孤独感にさいなまれている暇はないらしい。こういう心の傷の癒し方もあるのかもしれない。
3ヶ月経って本採用となる。この手続きのため本土に戻ったのかな? 結構ちょこちょこ本土に戻っていた印象。イザベルと一緒にピクニックに行ったのはここだったっけ? このタイミングでイザベルとの距離が縮まった感はあったものの、プロポーズまでには至らず島に戻ってしまう。どうするのかと思っていると、イザベルとの文通が始まる。この辺りはトムの真面目で誠実な人柄を表しているのかもしれない。第一次世界大戦直後という時代もあるけれど、じっくりお互いの気持ちを確かめ合う感じは好感が持てた。結局プロポーズも手紙で、イザベルの返事も手紙。この感じもいい。
結婚式は本土でしていたと思うけれど、映像でサラリと見せる感じで、シーンとしてはなし。船で島に嫁入りしてくるシーンは質素ではあったけれど素敵だった。ここから2人きりの生活が始まる。島については重複するかもしれないけれど、思っていたよりも大きな島の左端の高台に灯台があって、その麓に彼らの家がある。灯台まではかなり長い階段を登らなければならないので、トムが仕事場に行ってしまうと、実質ほぼ1人きりで家にいることになる。まぁ、現代日本でも専業主婦の方の日常はそうだけれど、他に誰も住んでいない孤島で暮らすのとは違う。ただ、女性が1人でいることを考えると、他に誰も住んでいないほうがむしろ安全かもしれない。つらつら何が言いたいかというと、要するにかなりの覚悟が必要ということ。
でも、見ている側の心配をよそに2人はとっても幸せそう。2人で家畜や畑の世話をしたり、家のことをしたり、じゃれあったり(笑) マイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィキャンデルがこの作品をきっかけに恋に落ちたことを知っていることもあり、2人のラブラブ感が微笑ましい。試写会後のトークショー(記事はコチラ)でも話題になった、ファスのヒゲをアリシアが剃るシーンもこのシークエンス。ファスからの提案で、刃物を向けることについて、エージェントがいろいろ揉めたようだけれど、このシーンがあって良かったと思う。2人の信頼関係や、お互いにとって、特にトムにとってイザベルがなくてはならない存在であることが強調されたと思う。この超ラブラブな幸せ描写は、後に2人が迎える様々な試練との対比となっている。
幸せな日々の中、イザベルは妊娠する。大切に新しい命を育んでいたある夜、激しい嵐が島を襲う。灯台を守る者として、トムは職場へ向かう。イザベルも同行を希望するけど家の中の方が安心だということで1人残ることになる。仕事をするトムの姿と、1人家事をこなすイザベルが交互に映される。そして、イザベルに異変が。必死にトムを呼ぶけれどもちろん声は届かない。事前に流産してしまうことは知っていたので、この場面なのだなと思う。どんな状況でも自分の体の異変には、ある程度自分で対処しなければならない。でも、この島にいる自分以外の唯一の存在である夫すら近くにいない状況というのは辛い。イヤ命も落としかねないからね! 吹きすさぶ嵐の中、トムのいる灯台を目指すイザベル。危険! でも、気持ちは分かる。長い階段を上りたどり着くも扉は閉まっている。必死にドアをたたきトムを呼ぶけれど、苦痛で大きな声も出ない上、嵐の音にかき消されてトムには届かない。このシーンはホントに緊迫感が漂っていた。これどうやって撮影したんだろう?
翌朝、トムが扉を開けると、ドアの外にイザベルが倒れていた。ごめんなさいと何度も謝るイザベルを、お姫様抱っこで家に運ぶトム。長い階段を下りるの危なっかしくて怖い。トムは医者を呼ぶと言うのだけど、イザベルは拒否する。どうせ嫌な思いをするだけで何の解決にもならないと言うのだった。たしかに、この時代ではそうかもしれない。でも、次の定期便の時、いつものラルフ・アディコット(ジャック・トンプソン)たちの他に黒い鞄を持った人物も同乗していた。トムが医者を呼んだと思ったイザベルは嫌がるけれど、この老人はピアノの調律師。前任者の置き土産であるピアノは調律が狂っていたので、イザベルのために呼んだのだった。このシーンはトークショーでトム素敵ダンナ様エピソードとして話題になったけど、ホント素敵。原作者が男性なのか女性なのか不明なのだけど、トムは女性からしてみたら理想的なダンナ様だと思う。
2人は立ち直り、イザベルは再び妊娠する。今度はかなりお腹が大きくなっている。順調かに見えたのだけど、2人で過ごしていた時、再びイザベルの体に異変が起こる。まだ早いわ!まだ早いわ!と繰り返すイザベル。どうしたらいい?とうろたえるトム。現代のように救急搬送されたら助かったのかもしれない。でも、孤島ではどうすることもできない。またしても流産してしまう。これは辛い。このシーンでのアリシア・ヴィキャンデルとマイケル・ファスベンダーの演技が素晴らしい。お腹の子に対して、まだ出てこないでと祈るイザベルと、どうすることもできずにいるトムの感じがリアル。
2人は再び流れてしまった子のために十字架を立てる。その時、トムが漂流するボートを発見する。イザベルに声をかけつつ海岸へ走る。イザベルも向かう。海の中から引き揚げたボートの中には横たわる男性と、泣き叫ぶ赤ん坊。男性はすでに息絶えていた。このことを報告しなければというトムに対して、この子は神様からの贈り物だと言うイザベル。職務に対する思いから報告しなければならないと言っても、子供を亡くしたばかりのイザベルにとっては、この子こそ救いとしてすがってしまう。その気持ちは分かる。許されないことではあるけれど。
結局トムも報告せず隠蔽することに同意してしまう。男性を埋め、生まれてこなかった自分たちの子供のために建てた十字架を外し、船の赤ん坊を予定よりも早く生まれた自分たちの子供として報告してしまう。子どもは女の子でルーシーと名付けられる。見ている側としてはいけないこととは思いつつも、愛情を注ぎ幸せそうなイザベルを責めることはできない。2人の生活はルーシーを中心とした家族となっていく。ホントに2人の間に生まれた子だったらよかったのにと思ってしまう。定期便の2人がやって来る。若い男性の方の名前を失念してしまったのだけど、この男性がルーシーが握っていた銀のおもちゃ?に気に留める。これはもちろん後の伏線。
ルーシーの洗礼式のため本土に渡った2人。医者や産婆の手を借りず出産したということでイザベルは女性たちの間で話題になっていた。教会で洗礼式を終えた後、トムは1人である墓の前に佇む女性に気づく。虫の知らせかとても気になり、彼女が去った後、お墓を見に行く。すると彼女の夫と生後数ヶ月の娘の墓であることが分かる。しかも、亡くなったのはあのボートが辿り着いた日だった。彼女はルーシーの母親なのではないか? 気になったトムが人に尋ねると、彼女はハナ・ポッツ(レイチェル・ワイズ)という名前で、町で一番の金持ちの娘だが、ドイツ人と恋に落ち結婚したため父親とは絶縁状態であること、その夫が生まれたばかりの娘とボートで海へ出て亡くなったことを教えられる。これによりトムはハナがルーシーの母親であることを確信する。こう書くと唐突な気がしなくもないけど、こういう勘って当たるし、そんな偶然もあるはずないので、見ていて違和感を感じることはない。
ただ、後から考えると2人の遺体は見つかってないのに、どうしてハナは2人が亡くなったと思ったのだろう。確かに月日が経っているので、亡くなったと考えるのは自然ではあるけれど、当時は敵国だったドイツ人と親の反対を押し切って結婚したハナが、彼の死をアッサリと認めるのは不自然な気がしなくもない。その辺りちょっとご都合主義的だったかなと思ったりもするけど、見ている間は気にならなかった。罪悪感にさいなまれたトムは、島へ戻る前にハナの家に「夫君は神の御許だが娘さんは大切にされている」と書いた手紙を届ける。ルーシーを返せないのであれば、余計なことはしない方がいい気がするけれど、そうせざるを得なかったトムの気持ちは分かる。この辺りのショックと苦悩をマイケル・ファスベンダーが的確に表現してたと思う。
トムは胸に秘め島で3人で親子として暮らす。イザベルは何も知らずルーシーに愛情を注ぐ。2年後、灯台の40周年を祝う式典が街で開催されることになり、現灯台守であるトム一家も招待される。式典にはハナも出席しており、スピーチを求められたトムは、ハナの姿に激しく動揺してしまう。一方、イザベルもハナの妹からハナの夫と娘のことを聞き、ルーシーが彼女の娘であることを知ってしまう。トムはハナにルーシーを返すべきだと話すけれど、イザベルは今さら遅いと言う。まぁ、そうだよね。でも、この時正直に話すことが出来ていたら、お互いを深く傷つけあうこともなかったのかなと思うのだけど、イザベルにとってルーシーが全てになっているし、そんなに簡単なことではないのは良く分かる。
良心の呵責に苦しむトムは、赤ん坊のルーシーが握っていた銀のチャームをハナの家に届けてしまう。何度も言うけど返す気がないなら余計なことはしない方がハナのためにも良いと思うのだけど、そうせざえるを得ない気持ちは分かる。ハナの父親はこのチャームを手掛かりとして、情報提供者に報奨金を与えるというポスターを貼り出す。それを見た前述の定期便に乗っていた若い男性が反応する。実際通報したシーンはないので、彼が正義感からしたのか報奨金目当てだったのかは不明。まぁ両方でしょうけれど、彼を責めることはできない。ルーシーはハナの元へ連れていかれ、トムは逮捕されてしまう。ハナの夫の殺害容疑がかけられてしまったのだった。
普通に考えてトムがハナの夫を殺害する理由がない。子供欲しさにハナの夫を殺したと考えられなくもないけど、ちょっと突飛過ぎる。でも、刑事としては疑わざるを得ないということなのでしょうかね。トムが第一次世界大戦の英雄であったことも、平気で人を殺せる人間だということで疑惑の目を向けさせてしまったらしい。イザベルはトムの行動がルーシーと自分を引き裂いたのだと思い込み、島に流れ着いた時には既にハナの夫が亡くなっていたことを証言しなかった。これはちょっと酷い・・(ll゚∀゚) 2度の流産を経験しボロボロだったイザベルを責めるのは酷かもしれないけれど、2人を発見したことを報告するというトムを引き留めたのはイザベルなのだから、トムを恨むのは逆恨みだし、ましてや夫を無実の罪に落としてしまうのは人としてどうかと思ってしまう。
どうやら当時は殺人は死刑だったようで、このまま無実が証明できなければトムは死刑になってしまう。刑事は悪い人ではなさそうだけれど、職務に忠実で何としてもトムを殺人犯にしたい様子。イザベルは相変わらず証言を覆す気がないどころか、トムからの手紙を読もうともしない。酷い・・(ll゚∀゚) トムはハナの夫の殺害は否定していたけれど、ルーシーを自分たちの子供として育てたことについては、全て自分一人で判断したことであって、イザベルは関係ないと主張する。切ない トムはそれだけイザベルを愛していたということなのでしょう。
一方、ハナと暮らし始めたルーシー。本当の名前が何だったか忘れてしまったのだけど、本来の名前で呼ばれてもしっくりこないし、ハナのことも母親とは思えない。そりゃそうだよね。まだ4歳で複雑な事情は理解できないし、4年間両親として暮らしたのはトムとイザベルなのだから。ある日、ルーシーは島に戻ろうとして行方不明になってしまう。大捜索が行われる中、ハナはある決断をする。トムの言う通りイザベルが事件に関与していないのであれば、ルーシーが見つかったらイザベルに彼女を託すというのだった。それがルーシーの幸せならばと言うのだった。この決断も切ない。結果、ルーシーは見つかってイザベルの元に戻ったんだよね? 見てから1ヶ月以上経ってしまったので記憶が曖昧
トムの無実は証明されることはなく、移送されることになる。移送されればほどなく死刑になってしまう感じだったと思う。移送の日、イザベルはトムの手紙を読む。そこにはイザベルに対するトムの無償の愛が綴られていた。その思いにイザベルは自分が間違っていたことに気づき、港に急ぐ。港ではトムがまさに船に乗せられるところだった。ラルフが船を出すようで、今日はあの若い男はいないのかと尋ねるトムに言葉を濁すラルフ。来られるわけがないよね。こういうエピソードをチラリと入れて来るのが上手いと思った。
港にイザベルが駆けつける。そして、船を発見した時ハナの夫は既に死んでいたと証言する。ルーシーを返さないで欲しいと自分が言ったのだとも言っていたと思う。よかった。正しいことをしてくれてよかった。トムの命が救われたのはもちろんだけど、イザベルのためにも正しいことをしてくれて良かったと思った。そう思ったら泣いてた😢
刑事から事の顛末を聞いたハナは、2人は罪に問われるのか尋ねる。そうだと答えると、自分が嘆願すれば2人の罪は軽減するかと尋ねる。配慮されると思うと答えると、しばらく考えてから嘆願すると言う。彼女がこの判断を下したのは夫の一言によるものが大きい。どの段階で差し込まれたか忘れてしまったのだけど、ハナと夫の出会いから、2人の結婚生活までの回想シーンが入る。当時敵国だったドイツ出身の夫に対する人々の風当たりは強かった。それでも夫は不平も言わず笑顔を絶やなかった。何故そんなに強くいられるのかハナが聞くと、夫は「一度赦せばいい」と答える。ハナはその言葉に感動するわけだけど、これは自分にも浸みた。一度赦してしまえば、その人をずっと憎むことはないってことだよね? 自分はそのように解釈した。それはとても難しいことだけれど、それが出来たら自分も楽になれる気がした。
その後、トムとイザベルがどうなったのかは描かれていない。2人のしたことは正しいことではなかったかもしれないけれど、そもそもは人々の暴言に耐えられなかったハナの夫の無謀な行動が引き起こしたことで、2人がルーシーを誘拐したわけではない。むしろ2人はルーシーの命の恩人とも言える。当時のオーストラリアの法律は不明だし、現在の日本でもこのケースがどんな罪に当たるのかサッパリ分からない。でも、ハナの嘆願もあるし、罪は軽くて済んだのかなと思う。
シーン変わって海辺(だったよね?)の小さな家を若い女性が訪ねて来る。迎えたのはトム。訪ねて来たのはルーシー。既にイザベルは亡くなっている。ルーシーは2人に感謝しており、ずっと訪ねたいと思っていたと話す。2人の会話は穏やかに続く。父と娘よりは少し距離がある感じもするけれど、そこには温かい空気が溢れている。車で訪ねたルーシーは、社内に赤ん坊の息子を残していた。これよく考えたら危ないよね?誘拐もそうだけど、日射病とか。というツッコミはいいか(o´ェ`o)ゞ おそらくあの日以来トムとイザベルはルーシーに会っていないと思われる。当時4歳だったルーシーが結婚して子供を産んでいるということは、20年近く経っているはず。その間、トムとイザベルがどう生きて来たのか分からないけれど、2人は子供に恵まれなかった様子。トムにとっては孫のような存在。ルーシーはまた訪ねていいかと聞く。トムはもちろん訪ねて欲しいと答える。そこで映画は終了。
重複するけど、トムとイザベルが描かれていなかった年月をどのように過ごしたのかは分からない。こじんまりとしているけれど、温かみのある室内から、つつましやかに幸せに暮らしたのだろうと推察される。辛い経験をした2人はお互い支え合ってきたのかも。でも、イザベルは亡くなってしまった。あの頃2人が何歳だったのか不明だけど、マイケル・ファスベンダーの実年齢から考えて、若く見積もっても30代前半。プラス20年と考えてもまだ50代。イザベルは20代だったと思われるので、ずいぶん若く亡くなってしまったのね。トムには辛い日々だったと思う。そこに訪れた幸せ。光が差したということ。
原題は『The Light Between Oceans』で、正直見る前は『光をくれた人』という邦題は残念な感じだなと思っていた。でも、映画を見終わったらとってもしっくりきた。戦争で傷ついたトムにとってイザベルは光をくれた人であり、度重なる流産で打ちひしがれたイザベルにとってルーシーは光をくれた人。そして、イザベルを失ったトムにとって再会したルーシーが光をくれた。なるほど、これはとってもいい邦題。
キャストはほぼ3人芝居という感じ。脇役の方々もそれぞれ良い演技をしていたと思うけれど、主演3人が素晴らしかったし、また3人を中心として演出されていたため、あまり印象に残っていない。あ、でもルーシーの3人がかわいらしかった。特に4歳のルーシーの子は演技が自然で上手かった。ハナのレイチェル・ワイズが良かった! ハナは複雑な役だと思う。被害者といえばそうだけれど、前述したとおりトムとイザベルはルーシーの命の恩人と言う側面もある。でも、我が子が自分になついてくれないのは、トムとイザベルのせいでもある。2人が憎いといえば憎いし、でも憎しみをぶつけられない側面もある。その辺りの感情を抑えようとしている感じがとても伝わって来た。派手な演技はしていないのに、ハナの気持ちがよく分かる。素晴らしい演技だったと思う。
感情の起伏が激しいイザベルをアリシア・ヴィキャンデルがキュートに演じていたと思う。彼女の魅力はピュアさなのかなと思う。純潔というのとはちょっと違うのだけど、いろんなことに真っ直ぐにぶつかって傷ついたりしてしまうような、不器用なピュアさのような・・・ 一度は取り乱して人として道を誤るところだったけれど、その部分も含めてピュアな感じ。そのピュアな部分を感じさせないと、ただのわがままな人になってしまう。そうはなっていなかったのはアリシア・ヴィキャンデルの演技と、彼女自身が持っているピュアさによるものだと思う。
トムのマイケル・ファスベンダーが良かった。この役ちょっと出来過ぎな部分もあったりする。前述のピアノのエピソードしかり、かなり理想のダンナ様。ボートが島に辿り着いた時も正しくあろうとしていたし、ハナのことが分かってからは良心の呵責に苦しんでいても、イザベルのせいだとは決して言わない。イザベルが自分を裏切っても責めることなく、全ての罪を被り彼女を守ろうとする。ちょっといい人過ぎじゃないかと思ったりもするけど、それがイザベルへの愛であり、どん底だった自分に光をくれた彼女への恩返しであることが伝わって来た。とても良かったと思う。ラストあまり老けなかったなと思ったけど、まだ50代くらいだからいいか
今作は原作ありだけど、『ブルー・バレンタイン』でも、妻の愛情が冷めても夫が愛し続ける話だった。シアンフランス監督はそういう話が好きなのかな? 偶然かもしれないけれど。よく考えるとツッコミどころがなくもないけど、見ている間は気にならなかったし、サスペンスタッチで描かれているのも良かったと思う。
とにかく映像が美しい。どちらかというと自然の厳しさが描かれることが多い。最初の流産の嵐の夜だけではなく、そもそも島の暮らし自体が厳しい。でも、そんな中で愛を育んでいく姿が美しい。思い返すと重たい色のことが多い海だけど、その海が重要な要素でもある。
重いテーマなのでデート映画という感じではないけど婦愛や家族愛が美しく描かれているので、カップルやご夫婦にオススメかも。もちろん女性同士、男性同士もOKだし、おひとり様でもOK! レイチェル・ワイズ好きな方是非! アリシア・ヴィキャンデル、マイケル・ファスベンダー好きな方必見です!