【tv】ぶらぶら美術博物館「ルネ・ラリック展」
開催中の美術展などを紹介する番組。今回は東京都庭園美術館で開催中(2020.03.17現在、新型コロナウィルス対策で休館中)の「ルネ・ラリック展」を取り上げていた。アール・デコの館として有名な庭園美術館は、実はルネ・ラリックによる装飾であふれている。そんな、庭園美術館で行われる「ルネ・ラリック展」は行きたいと思っていたので、メモ取りながら鑑賞。
休館がいつまで続くか不明で、会期もどうなるか? 実際に行けるか分からないけど、とりあえず記事にして残しておく😌
今回は、北澤美術館所蔵のルネ・ラリック(Wikipedia)作品220点を展示。ルネ・ラリックはアール・ヌーボー(Wikipedia)とアール・デコ(Wikipedia)を代表する人物。アール・ヌーボーの時代はジュエリー職人として人気を博し、アール・デコの時代はガラス工芸の世界に革命を起こした。
今回の解説は東京都庭園美術館の学芸員 牟田行秀氏。ご自身もラリック製品をコレクションされているそうで、ラリック愛が伝わる解説だった。日本のアール・デコ建築を代表する庭園美術館は、旧朝香宮邸だったことで有名。1933年竣工でラリックの現役時代。何故、アール・デコの邸宅を建てることにしたのか? 1925年パリで現代装飾美術産業国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)が開催された。この時パリに滞在していた朝香宮夫妻がこれを見学したことがきっかけ。日本にアール・デコを持ち込んだ。
「ガラスレリーフの扉」
「ガラスレリーフの扉」はラリックが直接手掛けた。朝香宮邸だった時には正面玄関として使われていた。
「ランプ(孔雀)」
入口から入って直ぐの広間ではエレクトリック・エイジということで、ランプなどを展示。「ランプ(孔雀)」はガラスを本格的に始めた50歳の頃の作品。ジュエリー作品を作っていた頃もエナメル細工が得意であったこともあり、まだアール・ヌーボーの名残りを感じる。ジュエリー作家の頃、葛飾北斎(Wikipedia)など日本の影響を強く受けた。特に反復するデザイン。傘の部分に描かれている孔雀もジャポニズムの影響。作品脇に展示されているラリックの写真には、今作の原型が映っている。
ルネ・ラリックは1860年生まれ。アルフォンス・ミュシャ(Wikipedia)らと同世代。父親を早く亡くし宝飾工房に入り技術を学ぶ。デザインセンスが良く20歳頃から独立し、カルティエなどから注文を得る。1900年のパリ万博で宝飾部門のグランプリを獲得している。ちなみに、ガラス部門のグランプリはエミール・ガレ(Wikipedia)とドーム兄弟(Wikipedia)。
ラリックの新しさは宝石の質や一点物などの希少性ではなく、デザインや技巧で勝負したところ。さらに量産化したところ。1920年頃から電気を使ったランプが普及し、各家庭で必要となったことによりガラス製品も量産化されるようになった。大量生産時代に安価でたくさん出来て、芸術性と実用性を兼ね備えた物づくりを実現した。
「テーブルセンターピース《三羽の孔雀》」
「テーブルセンターピース《三羽の孔雀》」透明のガラス。ランプが仕込まれていて点灯すると光る構造。プレス成型にすることにより大量に作ることが出来る。プレス成形とは高圧の空気で型に押し付けて作る製法。また全体にサチネと呼ばれる加工を施している。サチネとはフランス語のサテンの意味で、薬剤を使って腐食させすりガラス加工すること。裏を見るとよく分かる。人力ではできない。
【大客間】
「シャンデリア《ブカレスト》」
「シャンデリア《ブカレスト》」(部分)
「シャンデリア《ブカレスト》」は68歳の頃の作品。花がモチーフだけれど、ギザギザとしていて幾何学的に表現されている。この幾何学的なのがアール・デコの特徴。何故《ブカレスト》という名前なのかは不明だけど、ラリックは作品に都市名を付けることが多い。
「花瓶《菊に組紐文様》」
菊=東洋的。青いガラスで透明部分をへこませて作り、後から透明部分を埋め込んでいるという手の込んだ作り。正面から光を当てると中から光を反射するが、裏からは光を通さない。実は透明ガラスに銀引きという加工がされており、光が銀に反射している。いろんな角度から見て欲しい。第7回装飾美術家協会サロンに出品した作品。ガラス工芸=ガレ、ドーム兄弟と言われた時代に力を見せたいという意気込みを感じる。
【大食堂】
「パイナップルとザクロ」
大食堂の照明である「パイナップルとザクロ」は朝香宮邸のためにデザインし、後にラリックのラインナップに加わった。
大食堂では「テーブルセッティング」を展示。カトラリー以外は全てラリックの作品。生活の全てをガラスでトータルコーディネートしたいと考えていた。
「グラスセット《トウキョウ》」
「グラスセット《トウキョウ》」は朝香宮邸のためにデザインされたものではないけれど、デザインした1930年当時朝香宮邸の仕事をしていたことや、都市の名前をつけることも多かったので名付けられたのではないか。気泡が真珠を思わせる。この気泡は液体を注ぎ上から見ると、円を重ねたように模様が広がって見える。牟田さんはトウキョウをコレクションされていて、パリの蚤の市で購入されたのだそう。その辺りもラリックの魅力とのこと。
【喫煙室】
「ラリック製ガラス・プレート付 香水瓶《レフルール》コティ社(瓶はバカラ製)」
喫煙室ではラリックがガラスメインに移行するきっかけとなった作品を展示。コティ社とのコラボの香水瓶。当時はまだ資金がなかったため、ラリックはプレートのみ作成し、バカラの瓶に貼り付けてコティの香水を入れて販売した。これが大ヒットとなり、資本を手に入れたラリックは工房を開き香水瓶を量産した。
「香水瓶《シダ》あるいは《女性の胸像》」
モデルとなったのは2番目の妻アリス。ここで山田五郎氏熱弁! ラリックは30歳でアリスと不倫して子供をもうけた。40歳で最初の妻と離婚が成立しアリスと結婚。しかし、直ぐに別の女性と不倫して子供をもうけている。生涯で4人の女性との間に6人の子どもをもうけており、最後の子どもは67歳の時だったのだそう。山田五郎氏は不倫を繰り返すことが許せないのと同時に、67歳で子供をもうけた元気さにビックリしたらしい😅 話を戻すとアリスはラリックにとってミューズ的な存在でだったそうだけれど、1909年に亡くなってしまったのだそう。1912年最後のジュエリー展覧会を開催しており、アリスモチーフの作品を出品。ジュエリーとの惜別。この香水瓶のエメラルドグリーンもアリスの瞳の色なのだそう。
【本館2階の小部屋】
「花瓶《ナディカ》」
今回のポスターにもなっている「花瓶《ナディカ》」のナディカとは水の妖精のこと。北澤美術館の中でも貴重な作品。取っ手は後から付けたわけではない? インジェクションという本体と取っ手を別に作り、固まる前に付けて成形する手法で作られているが、やり方が分からない。北澤美術館の首席学芸員の北澤まゆみさんは実際作業を見学し説明されたけれど分からなかったのだそう😅 サチネとの組み合わせで取っ手部分はグラデーションになっている。パチネという手法で表面着色がされている。1930年70歳の時の作品。
「花瓶《バッカスの巫女》」
1927年67歳の時の作品「花瓶《バッカスの巫女》」 バッカスというワインと豊穣の神の巫女がモチーフ。オパルセットというオパールっぽくする手法で作られている。これは添加物を混ぜて加熱を繰り返すと化学変化で青みがかった乳白色になり、オパールのような色調になるのだそう。見え方が違うのでいろんな角度から見て欲しいとのこと。オパルセットは17世紀イタリアで生まれた手法で、19世紀中ごろに再び流行した。この作品は現行シリーズでもあるそうだけれど高いらしい! おぎやはぎの小木氏が220万円まで払えると言ったところ、近い線まで行っているとのことなので、そのくらいの金額なのでしょう😅
【北側ベランダ】
「カーマスコット《鷲の頭》」
カーマスコットはラジエーターキャップ。1920~30年自動車が一般化し普及。「カーマスコット《鷲の頭》」は1928年68歳の作品。アダプターまで残るのは珍しい。
「カーマスコット《勝利の女神》」
有名なのは「カーマスコット《勝利の女神》」これはカッコイイ😍
「カーマスコット《ロンシャン》」
カーマスコットの流行が直ぐに終わってしまったのでブックエンドにした。「《ロンシャン》第2バージョン」がブックエンドになっているのだと思うけれど、この画像は見つからず😢
【新館】
「花瓶《インコ》一対」
最初にラリックを日本に紹介したのは誰なのか? 朝香宮なのか? 調査をしていたらおもしろい発見があったのだそう。実は昭和天皇なのだそう。昭和天皇(Wikipedia)は皇太子時代に半年間ヨーロッパを外遊されたそうで、1921年に内閣閣僚のお土産としてラリックの作品を持ち帰られたのだそう。今回展示の「花瓶《インコ》一対」は農商大臣の山本達雄への土産の品だったのだそう。このことから国賓がお土産とするのにふさわしいクオリティの高さだと評価されていたということが分かるのだそう。
「花瓶《インコ》一対」は所為の作品で、型吹き成形。この型吹き成形がラリックの商才があるところで、一つの型で色を変えていくつも作ることで、コレクターの心をつかむことに成功した。展示室には色違いの作品が展示されているっぽい? 緑色の作品などが見えたのだけど🤔
皇太子裕仁親王殿下が外遊された翌年、1922年に朝香宮鳩彦殿下(Wikipedia)がパリへ。ご親戚の北白川宮成久王(Wikipedia)もパリへ行かれたのだけど、この方自動車がお好きだったそうで、朝香宮とドライブに出かけて事故に遭い亡くなられたのだそう😢 朝香宮は大けがをされ、允子妃殿下(Wikipedia)がパリに向かわれた。その後、朝香宮が回復されると、お二人はパリを満喫されたそうで、その流れで1925年のアール・デコ博覧会を見学されることになったのだそう。壁にはこの時のご夫妻を撮影した動画が映し出されている。これは貴重!
「《受領証綴》より R.ラリック社発行の請求書 1925年4月4日付」は画像見つけられなかったのだけど、要するに朝香宮家が購入した商品の領収証。美しい筆記体で記載された領収証の右上に日本語で商品内容が記載されている。この日に購入したのは"ガラス器(電燈用)殿下御買上"とのことで「テーブル・センターピース《火の鳥》」であることが分かるのだそう。これは画像が映っていたので今回の展示作品ではないのかな?🤔
またペンダントを買われたそうで、これも画像が見つけられなかったのだけど「ペンダント《三匹の蝶》」のこと。これは第一王女妃久子様のお土産なのだそう。ここで山田五郎氏が熱弁。この妃久子様は鍋島直泰侯爵(Wikipedia)に嫁いだそうで、この鍋島侯爵も車好きで有名で、以前番組で訪れたトヨタ博物館に展示されているイスパノスイザK6という高級車を所有していたのだそう。さらに鍋島侯爵はゴルフがお好きでゴルフの鍋島と呼ばれていたらしく、これまたゴルフの宮と呼ばれた朝香宮が妃久子様の嫁ぎ先に選ぶ決め手となったとのこと。埼玉県朝霞市の名前はゴルフ場がらみで朝香宮由来なのだそう😲
「デザイン画《朝香宮邸正面玄関扉》」
「デザイン画《朝香宮邸正面玄関扉》」はタイトル通り朝香宮邸の正面玄関扉のデザイン画なのだけど、今回これを実物大に拡大したものも展示さている。朝香宮邸をデザインするにあたり、フランス側とどういうやり取りをしたのかは実は謎の部分が多く、資料もこのデザイン画しか残っていないのだそう。このデザイン画にはラリックの自筆で"これがトウキョウで選ばれたモデル、人物を薄布で覆うこと"と書かれている。この鋳型の鋳造が残されており、何というタイトルなのだろうと期待した牟田さんは"トウキョウのドアの取っ手"と書かれていてガッカリしたのだそう😞
4つの案が提案されて、右端のデザインが選ばれた。ただし、裸はダメということで薄布を着せることという注文がついたということらしい。宮家の邸宅なので来客も多く、またこのデザインはドアの取っ手となっていたため、毎回裸体を握るのはまずいということになったのでは? 牟田さんは当初、この裸のデザインに朝香宮殿下はOKで妃殿下がNGだったと考えていたけれど、むしろ逆だったのではないかと思っているのだそう。
ラリックは1945年に亡くなった。ラリックがアール・デコを作ったと言っても過言ではなく、新しい時代を作った。素材や一点物の希少性ではなく、デザインで勝負したこと、量産化したことが最大の功績。
日本美術の影響を受けていることもありアール・ヌーボーが好きだけど、暮らしの中に取り入れることを考えるとアール・デコの方が暮らしやすい。日常の中に芸術を落とし込んだということがラリックの功績ということなのでしょうかね。庭園美術館は大好きな美術館。アール・デコの館で見るラリック作品✨ これは見たい! どうなる? 早くコロナ終息してくれーーーー😫
ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 21:00~22:00 @BS日テレ