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【art】「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」鑑賞 @ 東京都美術館

2023-02-24 00:58:25 | art

【art】「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」鑑賞 @ 東京都美術館

 

 

東京都美術館で開催中の「エゴン・シーレ展」、シーレをメインとした企画展は30年ぶりとなるそうで、とても楽しみにしていた。開始一週間後の2月3日(金)見に行ってきたー

 

いつものように感想ツイートに追記する形で記事として残しておく。あと、「ぶらぶら美術・博物館」で紹介された内容(マーク&太字表記)も、残しておく。

 

 

 

 

 

 

ルドルフ・レオポルドとエリザベート・レオポルド夫妻は、現代ほど評価されていない1950年代から約50年にわたって、220点以上のエゴン・シーレ作品を集めた。夫妻のコレクションはレオポルド美術館私設財団へ寄贈され、それをベースに2001年にレオポルド美術館が開館したのだそう。今回はそのうちの50点が来日

 

エゴン・シーレ(Wikipedia)についてもザックリと。1890年ウィーン近郊で生まれる。15歳の時に父親が亡くなり、裕福な叔父に引き取られる。16歳の時にウィーン美術アカデミーに合格。その後、クリムトの影響を受け1910年にアカデミーを辞める。モデルで恋人のワリー・ノイツェル(Wikipedia)と暮らしていたノイレングバッハで事件を起こすも、その後アトリエの向かいで暮らすエーディトと結婚。しかし、1918年にスペイン風邪で28歳で死去。

 

シーレは病んでいると思われがちだが、病んではいない。わざわざ亡き父親の思い出の場所に行って悲しんだりと、中流家庭のロック好きのような行動をしている。ただ、当時はオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊寸前で社会全体が不安であった。

 

クリムトのモデルだった16歳のワリーと出会い、モデルであり恋人として、母親の故郷であるクルマウに移住するも、2人が未婚の同棲カップルであったことや、ヌード作品などが物議をかもし、3カ月で追い出されてしまう。

 

後にノイレングバッハに移住するも、シーレを慕う14歳の家出少女を泊めたことが発覚し、少女の父親が有力者だったため警察の捜査が入り、作品が猥褻であるとのことで逮捕され、20日間拘留されてしまう。

 

ノイレングバッハ事件と呼ばれるこの拘留中、ワリーが毎日差し入れを持って面会に来て、絵を描いたりと自由に過ごしていたが、やはりショックを受けて自画像へと向かう。これが唯一の辛い出来事といえる。

 

しかし、シーレは後にノイレングバッハのアトリエの向かいに住んでいた一家の娘エーディトと結婚する。ワリーが労働者階級の出身だったため、結婚は中流階級の女性がいいというのがその理由。しかも、ワリーにその後も関係を続けようと持ち掛けるも、当然ながら拒否される。その後、ワリーは従軍看護師に志願し、1917年に猩紅熱で死去。

 

 

 

「菊」エゴン・シーレ

 

万国博覧会などをきっかけに、世紀末ヨーロッパを席巻したジャポニズム(Wikipedia)。シーレの師匠でもあるグスタフ・クリムト(Wikipedia)も影響を受けたことで有名だけど、シーレもとは知らなかった。まぁでも、師匠が影響を受けたなら、当然ながら弟子も影響を受けるか😅 

 

この「菊」は日本美術の影響として紹介されていた。自分としてはゴッホの「ひまわり」っぽいタッチだなと思ったけど、ゴッホも日本美術にガッツリ影響を受けているし🤔

 

この背景は銀なのかな? 金箔を用いたクリムトに対して、銀のクリムトと呼ばれているのだそう。

 

 

「ほおずきの実ある自画像」エゴン・シーレ

 

個人的には「ほおずきの実のある自画像」の方が構図的に浮世絵っぽいかなと思った。まぁ、このシーレはかなり斜に構えてはいるものの、目線はこちらに向けているけど、浮世絵ってあまりこちらに目線向けてることないので、その辺りは違うかもだけど。ほおずきの描き方が日本美術っぽいかなと。装飾的というか・・・🤔

 

一番のお目当てはメインビジュアルともなっている今作だったのだけど、思ったよりも小さなめな作品ながらやっぱり訴えてくるものがあった。ただ、そこから感じたのは、以前から言われていたような"狂気"とか"孤独"というのとは違った。上手く言えないけど自我のようなもの。

 

作品に添えられた説明によると、当時のウィーンでは"自我"がブームだったそうで、シーレもその影響か自画像を200点も描いたのだとか。200点てそれはちょっと狂気を感じる😅

 

強いまなざし。頭と体がねじれているけれど、肩の斜めの線とほおずきのバランスなど構図的にとても考えられている。肌にはいろいろな色が使われているけれど、とても写実的。

 

シーレは自画像や写真を多く残している。ナルシスト的な部分もあったとは思うが、世紀末ウィーンでは自己を見つめる表現主義が流行った。時代的な流れもあったのではないか。

 

実は「ほおずきの実のある自画像」には対となる作品がある。「ワリー・ノイツェルの肖像」がそれで、当時の恋人であった人物。ノイレングバッハ事件でかいがいしく世話をしてくれたワリーへの感謝の意味もあったのではないか。また、この事件の後、シーレは自画像を多く描くようになった。

 

 

風景画コーナーは撮影可能。シーレといえば自画像や裸婦というイメージだったので、風景画って意外でビックリしたのだけど、チェスキー・クルムロフやノイレングバッハ、トリエステ、トラウシン湖、ヴァッハウ地方、ケルニテ地方など、結構風景画を残しているらしい。

 

自然を擬人化したり、実際の景色を組み合わせて別の風景に仕上げたりしているそうで、色彩と配色に関心があったのではないかとのこと。

 

 

「ドナウ河畔の街シュタインⅡ」エゴンシーレ

 

「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」エゴン・シーレ

 

風景画はどれもとても良かったのだけど、一番好きだったのがこの「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」だった。 なんとなく、びっしり家が並んでいる構図がセザンヌっぽい印象も受けたのだけど、「ほおずきの実のある自画像」の肌のように、いろいろな色が使われている壁の感じがおもしろい。

 

このクルマウというのは母親の故郷で、どうやら閉鎖的な街で、あまり歓迎されなかったようだけれど、風景としては気に入ったのか繰り返し描いているらしい。画面の下に風景と自画像を組み合わせた図柄が描かれているそうで、1960年代に発見されたとのこと。

 

追放されたクルマウの風景。ありえない視点で描かれている。家を積み重ねることで高さを出すことで奥行きがギュッと縮まっていて、全体的に装飾的になってる。

 

手前の黒い部分はモルダウ川で、画面を多くしめる家との水平と垂直のバランス、屋根をワントーンで抑え、壁や窓がカラフルになっていて、構図などかなり考えられているが、おそらくセンスで行けてしまっているのではないか。

 

「小さな街Ⅲ」エゴン・シーレ

 

「丘の前の家と壁」エゴン・シーレ

 

「小さな街Ⅲ」も好きだった。この一見デッサンが狂っているように見える構図も、配置と配色でまるで絵本のようなかわいさ。シーレの風景がをもっと見てみたいと思った。

 

風景画は今回のオススメ。シーレ作品でオークションで過去最高価格がついたのは実は風景画。「カラフルな洗濯物のある家"郊外Ⅱ"」という作品で、32億円で落札されている。

 

 

「クルマウの家並み」エゴン・シーレ

 

「ランゲン・アム・アールベルク近くの風景」エゴン・シーレ

 

「クルマウのクロイツベルク山麓の家々」エゴン・シーレ

 

デッサンの時点で独特の線がでているけど、こうやって見てみるとしっかりと形などをとらえていることが分かる。やっぱりとても上手い。でも、このデッサンだけ見たらシーレの作品だとは分からないかも。

 

「荷造り部屋」エゴン・シーレ

 

シーレは1914年に第一次世界大戦に徴兵されている。「荷造り部屋」は兵役中に描いたそうで、室内を緻密に描いている。当時、24歳とまだ若いけれど、28歳で亡くなってしまうので、画業の後半と言える。このころから自然主義的表現に変わったのだそう。

 

徴兵されたものの、配属されて行く先々の上司が大変理解があって、事務的な任務についていたこともあり、絵を描いて過ごしていた。さらに妻エーディトの同伴も許され、軍人なので食料も豊富で、とても恵まれた生活をしていた。

 

 

「横たわる金髪の裸婦」エゴン・シーレ

 

1914年の徴兵と1915年の結婚で新たな表現を得たと言われており、1918年にクリムトが亡くなり、3月に開催された第49回ウィーン分離派展(Wikipedia)ではシーレの作品がメインとして展示され、一躍人気画家となったのだそう。

 

この時期の裸婦像がエゴン・シーレ作品としてよく知られているのかな? 何となくシーレといえば裸婦というイメージ。そして線がゴツゴツしていて、丸みのある女性らしいラインではない印象だった。

 

「横たわる女」を見ても、同じような感想だったのだけど、実は写実的だった。それが分かったのはデッサン画の「横たわる金髪の裸婦」がめちゃめちゃ上手かったから。ちゃんと形としてとらえた上で、ああいう表現になっているんだということが腑に落ちた。

 

当たり前のことなんだけど、デッサンと作品は違うということなんだよね。漠然と理解していたことが、こうやって自分の中で具体的に腑に落ちた時が、美術作品を見ていて楽しい瞬間であったりする。

 

1918年クリムトが亡くなり、オスカー・ココシュカもグスタフ・マーラーの妻との不倫に破れウィーンを去っている。そんな中、「第49回ウィーン分離派展」はシーレ大会となっている。今回展示のポスターも自分で手掛けており、中心に座っている。悲劇の人生ではない!

 

とはいえ、幸せは長くは続かず、妊娠6ヶ月の妻エーディトがスペイン風邪で亡くなり、看病していたシーレもその3日後に亡くなっている。

 

1918年はクリムトが亡くなり、シーレも亡くなり、オーストリア・ハンガリー帝国も滅亡している。華やかなウィーンの終焉。不安、芸術運動、国の崩壊と師匠の死と共に死ぬ。時代の不安を象徴する運命的な画家だった。

 

 

 

 

夜間開館のある金曜日の17:30-18:00入場のチケットを購入。18:00少し前に入場。それなりに混んではいたけれど、例えば「ほおずきの実のある自画像」にしても、並ばないと見れないというようなことはなくノンストレス。コロナ対策不要になっても日時指定続けて欲しいなー

 

シーレ作品以外にも、クリムトやオスカー・ココシュカ(Wikipedia)、コロマン・モーザー(Wikipedia)など、世紀末ウィーンの芸術家たちの作品が100点以上見れて楽しかった。

 

鑑賞後、ぶらぶら美術博物館や山田五郎さんのYouTubeを拝見し、エゴン・シーレが苦悩の人生を歩み夭折した悲劇の天才ではなかったことに驚愕! でも、こうして記事を書きながら思い出してみると、山田五郎さんの「中流家庭のロック好き」という発言がしっくり来る。

 

もちろんシーレはシーレなりに悩んだりしたと思うし、大きな不幸がなければ芸術家ではないということもない。そして、女性遍歴含めて、波風立たない人生だから、あえて波風を起こそうとしているのとも違うように思う。上手く言えないのだけど、ずっと思春期みたいな・・・ うーん、上手くまとまらないな💦

 

まぁ自我とか自分探し的なことって若者のものだし。そういう意味で日本の若い人にとっても刺さるというか、共感しやすいんじゃないかと思う。中流家庭のロック好きな感覚。現状に不満があるわけじゃないけど、何かを見つけたいみたいな。

 

そういう時期をとうに過ぎた身としては、懐かしくも歯がゆい感じがとても楽しかった😊 あくまで個人的な感想。

 

 

 

 

お土産は「ほおずきの実のある自画像」と「菊」のポストカード。どちらもとても気に入った作品。

 

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展:2023年1月26日~4月9日 @ 東京都美術館

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才


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