'14.07.12 『思い出のマーニー』(試写会)@よみうりホール
試写状にCOCOと印が押されていたので、多分cocoで当選したのだと思う! いつもありがとうございます ジブリ作品の試写会は初めてかも? よろこんで行ってきたー
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「札幌で養母と暮らす12歳の安奈は、複雑な生い立ちから心を閉ざし、養母にもクラスにも馴染めずにいた。喘息が悪化したため、夏休みを釧路で過ごすことになる。湖畔にある美しい洋館に惹かれるものを感じる安奈。ある日、洋館に住む少女が現れて・・・」という話。寂しい少女同士の友情を、美しい風景と美少女2人で描いた美しい作品。感動って感じではないけど、気づいたら涙が出ているような、じんわり来る作品。
原作はジョーン・G・ロビンソンの児童文学。宮崎駿氏も推薦しているとのこと。米林宏昌監督が、この原作を鈴木敏夫氏から手渡されたことが映画化のきっかけなのだそう。1967年にイギリスで出版された原作は未読。なので、日本に置き換えたこと以外に変更点があるのかは不明。毎度のWikipediaによりますと、養父母から無気力と言われ、友達もいないアンナが、喘息の療養のため過ごすことになった海辺の町で、古い洋館に心を奪われ、その屋敷の少女マーニーと親友になるが、町の人はマーニーの存在を誰も知らないという話らしい。今作では安奈はマーニーのことを誰にも話さないので、町の人が知らないというシーンはないけれど、それ以外の設定の変更はなさそう? 米林監督は原作を読み、とても面白かったし感動したけれど、映画化するのは難しいと思ったのだそう。物語の醍醐味は2人の会話であり、その会話が2人の心に微妙な変化をもたらしていくことが面白いので、それをアニメでどう描けばいいのか悩んだとのこと。
ただ、監督の中には美しい湿地に面した石造りの屋敷の裏庭のイメージがあり、その裏庭にいるアンナとマーニーのイメージが広がり、何枚かイメージ画を描いているうち、映画化に挑戦したいと思うようになったのだそう。なるほどこの洋館が美しい! 美術監督には主に実写を担当してきた種田洋平氏を起用したのも、その辺りにこだわってのことなのでしょう。とってもリアル。作画監督には安藤雅司氏。ジブリについては全然詳しくないので、全く知らなかったのだけど『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を担当した方で、宮崎駿氏との方向性の違いでジブリを去っていたのだそう。なるほど・・・ 今作は、ジブリの二大巨頭である宮崎駿氏と高畑勲氏が全く関わっていない初めての作品だそうで、その辺りも注目されているらしい。
ジブリ作品は『風の谷のナウシカ』『耳をすませば』など好きな作品もあるのだけど、最近の作品は説教臭い気がして苦手だった。メッセージ性の強い作品も嫌いではないけれど、それが押しつけがましいというか・・・ 意図していることに共感できるか、できないか以前に何となく素直に受け入れられないものを感じていた。なので、スクリーンで見たのは『千と千尋の神隠し』以来。世界的に大ヒットとなり、評価の高い『千と千尋の神隠し』が、個人的にはジブリ作品から遠ざかるきっかけとなったのは、我ながらひねくれているのか?と心配になったりもしたけれど、苦手なものは仕方がない(笑) 今回見てみたいと思ったのは、実は宮崎駿氏が関わっていないと聞いていたから。良くも悪くも影響力が大き過ぎるであろう、宮崎駿氏が関わらないと、どんな作品になるのか? そして、自分はどういう反応をするのか気になったので。結論から言うと好きなタイプの作品だと思う。涙を流したので・・・ パンチに欠ける部分はあるかなという気もするけれど、米林監督が目指したのは今作を見に来る安奈やマーニーにそっと寄り添うような作品であり、子供のためのジブリ作品を作りたいということだったのだそうで、確かにそっと寄り添うような、やさしいタッチの作品だったと思う。ただ、今コミュニケーションに悩んでいる思春期の子供たちにはいいと思うけれど、もっと小さな子供たちには難しいかもしれない。マーニーはある意味トトロのような存在ではあるけれど、あんなに分かりやすい姿をしていないので・・・
事故で両親を亡くした安奈は、養父母に引き取られる。この養父母が親戚なのか、全く血縁関係のない人たちなのか説明あったかな? 養母の血のつながりがないというセリフがあったので、親戚ではないのかも? 養父が写真以外一切登場しないのだけど、亡くなっているんだっけ? その説明もあったかな? この辺りちょっと気になったのだけど・・・ 後に親戚と思われる人々が、自分のことを押し付け合っているのを安奈が見ているシーンがある。大人は子供は聞いていない、もしくは聞いても分からないと思っているけど、意外に子供ってちゃんと聞いてるし、理解してるんだよね。特に自分に関することは。絵を描くことが好きな安奈は感受性豊かな少女。そんな少女が自分は必要とされていないと思って育ったとしたら・・・ 学校で喘息の発作を起こしてしまった安奈を、養母が心から心配していることは、見ている側には伝わっているけれど、やっぱりちょっと過敏なものを感じる。思春期には本当の親でもウザったく思うものなのに、養母ならばなおさら複雑かもしれない。そして、安奈には養母の愛情を疑う理由があった。
冒頭、美術の授業で写生をしているシーンから始まる。日蔭のベンチでクラスメイト達と離れて1人座る安奈。先生は安奈の元にもやって来るけれど、他の生徒のように素直に対応することが出来ない。緊張のあまり喘息の発作を起こしてしまう。その時、今作のキーとなる2つの言葉のうちの1つ"この世には目に見えない魔法の輪がある"というセリフが語られる。金髪の美少女がほほ笑むチラシに書かれたこの言葉だけ見ると、なるほどこの作品のことを上手く表しているなと思うのだけど、実はこのセリフには続きがある。「輪には内側と外側があって、私は外側。私は、私が嫌い」と安奈は言う。この感覚って多かれ少なかれ、誰でも一度は感じたことがあると思うけれど、養母に愛されている自信が持てない安奈にとっては、常にこの疎外感があるのだと思う。
喘息の発作にはストレスも関係しているということで、養母の頼子は釧路での療養を決める。預かり先となる大岩家は頼子と親戚だったように思うのだけど、どうだったかな? 娘さんがいるけど今は家を出ている。2人はちょっとお節介なところもあるけれど、サッパリとしたいい人たち。安奈が泊まる部屋は元娘さんの部屋だそうだけれど、この部屋ちょっと現実離れしている気も・・・ まぁ、いいけど(o´ェ`o)ゞ うるさ型ご近所の娘たちと七夕祭りに行くことになった安奈。セツは久しぶりに娘が戻って来たような気持になって浴衣を用意してくれるけど、安奈にはそれが重荷。自分が思っているほど嫌なわけではないと思うけれど、多分どう対応すればいいのかが分からないのだと思う。仮に本当に嫌でお節介だと思っていても、浴衣を用意してくれるセツを喜ばせる芝居をしようと思えばできるわけで、それが出来ればいろいろ上手く回ることも分かっているのだと思うけれど、やっぱりそうは出来ない。浴衣を着て出かけるだけなら問題ないけど、自分を外側の人間だと思っている者にとって、既に出来上がっている輪に入っていくのはとんでもなく勇気のいること! 大人は12歳はまだまだ子供だと思っているから、直ぐに仲良くなれると思っているけど、そんなに簡単じゃない。受けれる側に何のわだかまりもなくても、誰もが無邪気に入っていけるものでもない。自分が入らなければ気を使わせることはないのではないだろうか? 上手く立ち回れなくてつまらない思いをさせてしまうのではないか? そう考えたら1人の方が気が楽と思ってしまう気持ちはとってもよく分かる! 自分は比較的そういう考えをする方だし、少なくとも安奈と同じ年齢の頃にはそういう風に思うことが多かった。だからつい、お節介で上から目線の彼女に暴言を吐いてしまう気持ちも分かる。でもまぁ、あの暴言はないとは思うけれど(笑)
そして、安奈が自分の中の問題と向き合った時、彼女の前にマーニーが現れる。実は釧路に来た早い段階で湿地に立った洋館を見つけてた。惹かれるものを感じた安奈は、潮が引いていたこともあり、洋館に向かってしまう。初めて来たのに懐かしさを感じる。同時に少し怖い感じ。気づくと潮が満ちて帰れなくなっており、湖畔で毎日釣りをしている老人に助けてもらう出来事があった。お祭りの夜、近所の少女(作画的にオバちゃんにしか見えない・・・)に暴言を吐いて逃げ出した安奈は、いつもの湿地にボートが繋いであるのを見つける。不器用な手つきで漕ぎ出すと、洋館に明かりが灯る。そして、金髪の美少女が現れる。自分がボートを用意しておいたという少女はマーニーと名乗る。直ぐに打ち解ける2人。マーニーは2人のことは秘密にしておこうと言う。マーニーには事情があるからなのだけど、この年頃の秘密の関係っていうのはドキドキするものだったりする。まぁ、自身の秘密なんて親に内緒で買い食いとか、親に内緒で遠出とかその程度だったけど(笑)
2人は頻繁に会うことになるけど、いつも湖の周りか洋館の周り。洋館に住んでいるのはマーニーとお手伝いのばあや、双子のねえやのみで、両親はたまに帰って来るという感じらしい。2人が会っている時、マーニーの周囲の人は現れるけれど、安奈の周囲の人は誰もいない。基本、安奈がマーニーの住む世界に入っていくという感じ。これは伏線。安奈がオバちゃんみたいな同級生にキレてしまったのは、自分の瞳が不思議な色であることを指摘されたから。もちろんこれも伏線で、おそらくこれでオチに気づく人も多いのでは? 丘の上で毎日のように洋館を描いている女性がいる。久子というこの女性の存在も伏線。ある夜、洋館で開かれたパーティーに招かれた安奈は、そこでマーニーが若い男性と親しげに話す姿を見かけて嫉妬する。これも伏線・・・ 伏線ではないか(笑) でも、ほぼ出番のないこの青年は実は需要人物。
一方、洋館はある一家に買われ、引っ越しのため改装工事が始まっている。原作ではアンナが町の人々にマーニーのことを尋ねるらしいけれど、安奈はマーニーとの約束を守っているため、見ている側には安奈にとってのマーニーの存在が曖昧なまま。この一家の娘(役名を失念)が、洋館を訪ねてきた安奈をマーニーと勘違いしたことから、このメガネ少女との関係が生まれる。見ている側にはマーニーの服装が現代とは違っていることに気づいているけれど、この一家の登場でマーニーの存在自体が異空間であることが決定的になる。このメガネ少女は偶然マーニーの日記を見つけ、夢中になって読んでいたところ、安奈が現れたので、てっきり安奈がマーニーだと思ったというわけ。その日からメガネ少女は謎解きに夢中になるけれど、安奈はこの謎を解きたくないと思っている感じ・・・ この感じも良かった。知ってしまうと、失ってしまうような気持ち。
安奈はマーニーにあることを打ち明けていた。養母の頼子は自分を育てることで手当てを貰っていたのだった。その事実を知ってからは、頼子の言葉全てが信じられない。まぁ、これはショックでしょう・・・ 見ている側には、頼子が本当に安奈を心配していること、必死に母親になろうとしていることは伝わって来るから、手当を受給していることと、愛情とは別なんじゃないかなと思えるけれど、頼子の愛情を求めているからこそ、慎重になっている安奈にとって、これは愛情を疑うには十分な証拠。マーニーの言葉も受け入れられない。安奈を慰めるため、マーニーは自分のことを話し出す。ばあやが自分を閉じ込めようとすること、きつく髪をとかすこと、双子のねえや達にサイロに閉じ込められたこと・・・
安奈はマーニーにサイロに行こうと言う。サイロに着くと嵐になる。マーニーは取り乱し、安奈を置いて去ってしまう。サイロに向かう途中で会ったメガネ少女が、心配して兄と共に探しに向かうと、途中で倒れている安奈を発見する。熱を出して寝込んでいた安奈は、夢の中で洋館を訪ねマーニーと会う。何故、自分を置いて帰ってしまったのか? マーニーは涙を流して許しを請う。もちろん許す「あなたのことが大好き!」と、もう一つのキーワードとなるセリフ!キタ━━━(゚∀゚)━━━!! そして、マーニーは「あの日あなたはいなかったから」と言う。あの日・・・?
メガネ少女と共に久子の元へ向い、マーニーのことを尋ねる。悲しい話だと前置きして語り始める久子。両親は裕福だったけれど、マーニーはいつも放っておかれていた。家ではばあやと双子のねえやにいじめられていた。悲しい少女時代を過ごした。いわゆる暴力を振るわれている様子はないけれど、サイロに閉じ込められたってことは間違いなく虐待(*`д´) マーニーは幼馴染みの青年と駆け落ちをし、娘が生まれた。でも幸せは長くは続かず、夫を病気で亡くし、自身も病に倒れ娘を施設に預けることになった。数年後迎えに行った娘は心を開かず、結婚して家を出てしまった。そして、孫を残し交通事故で亡くなってしまったのだった。孫を引き取り、今度こそ幸せにしてあげたいと思った矢先、亡くなってしまったのだった
そう! マーニーは安奈の祖母だった。てっきり母親かと思っていたけど、お祖母ちゃんだったんだね・・・ 自身も愛情を求めて悲しい思いをしていたマーニー。娘にも同じ思いをさせてしまった。そして今また、悲しい思いをしている孫を救うために現れたのだと思ったら、自然に涙があふれていた・・・ 同時に悲しかった少女時代の姿で現れたということは、自身の少女時代も楽しい思い出に書き換えたかったのかもしれない。 多分、これは孤独な魂が共鳴しあった奇跡であり、ファンタジーなのでしょう!
迎えに来た頼子に自然に接することが出来た安奈。それには、折に触れていかに養母が安奈を思っているかを話してきた大岩夫婦のアシストのおかげもある。でも、それを素直に受け入れることが出来たのは、マーニーに愛されて、自分もマーニーを愛し、それをちゃんと相手に伝えることが出来たから。そして、自分が必要とすれば手を差し伸べてくれる人がいること、心を開けば相手も心を開いてくれることに気づいた。安奈が受け入れ態勢になったので、頼子も手当のことを打ち明ける。そして2人は母娘になった。もちろん、本当の意味で母娘になるのはこれからだけれど・・・ オバちゃんみたいな少女の押しつけがましい親切にも、一応の敬意を払いつつ、なんとか上手くやっていけそうな感じだし、メガネ少女という友達も出来た。これは安奈の成長の話で、美しいファンタジー。
キャストについては・・・ 自身もいわゆるアニメ声や、大人の女性が少年や少女の吹替えなどで違和感があると見れないタイプ。大きな声では言えないけれど、妹の声がダメで『となりのトトロ』が苦手 なので声高にプロの声優を使うべき!と言うつもりはないのだけど・・・ 主演の2人は良かったと思う。安奈役の高月彩良はオーディションで300名の中から選ばれたそうで、ご本人も安奈のようにキリリとした美少女。マーニー役の有村架純は名前は聞いたことあるのだけど・・・ 2人イマドキのこもったような喋り方ではなく、滑舌も良かったと思うし、なにより初々しく爽やかで良かったと思う。声が似ていると思いながら見ていたけれど、そこも狙いだったのかな? 大岩清正の寺島進は出演しているの知らなくて、誰だろう?と思いながら見ていた。後から知ってビックリ。 大岩セツの根岸季衣は好きな女優さんで、キャラに合っていたと思う。お2人とも脇役を多くされるので、吹替え演技も前に出過ぎないさじ加減が良かったと思う。
で・・・ 長めに前置きしてから主演2人をよく知らなかったこと、比較的重要人物だけど脇に徹していたことを書いているのは、養母の頼子役の松嶋菜々子がミスキャストだと思ったから。イヤ、松嶋菜々子のお芝居がダメだったわけではなく! 頼子の画が本当に地味な普通のオバさんなので・・・ 年齢的には松嶋菜々子でいいと思うんだけど、割とかわいらしい声と喋り方なので、このキャラと声が合っていない気がした。で、声とキャラに違和感があるまま見ていると、どうしても松嶋菜々子本人の顔が浮かんできてしまう。これは久子役の黒木瞳にも言えること。久子はやや地味めではあるけれどキャラのデザイン的にも、役柄的にも黒木瞳で合っていると思うだけど、どうにも黒木瞳声なので顔が浮かんでしまう。最近のジブリ作品が個人的に合わないと感じているのはこの辺りにも原因があるかも・・・ 有名俳優を使う場合、どうしてもその人の顔が浮かんでしまう・・・ それはコチラ側の問題と言われればそうなので、あくまで好みの問題といえばそうなのだけど・・・ でも、そこを差し引いても松嶋菜々子は合わなかったと思う。
美術監督に実写専門だった種田洋平、作画監督に安藤雅司を迎えた画はどれも素晴らしく美しかった。湿地に浮かぶ洋館は絵画のようなタッチ。これはあえてなのかな? 幻想的な感じもするけれど、どちらかというと絵本を見ているような感じ。洋館の中もマーニーと一緒にいる時と、メガネ少女と一緒にいる時とでは雰囲気が違う。それは単純に夜と昼というだけではなかったように思う。時空が違うというか・・・ とにかく全ての背景が細かく描き込んである。レンガの質感とか本当にスゴイ! さすがにスタジオジブリという感じ! そして主役2人が美少女 例えば『千と千尋の神隠し』の千尋の場合、普通の少女が健気に頑張る姿を見せたいわけだから、美少女ではむしろダメなのでしょうけれど、こういう作品は美少女じゃないと! 安奈が近寄りがたい雰囲気なのも、マーニーがばあやたちに意地悪されたもの、2人が美少女だからという側面もあると思うので・・・ と力説してるけど、そういう趣味はないです!キリッ あくまで絵的な話!
ジブリファンの方はどう感じるのかなぁ? 宮崎駿作品が大好きな方はどうなんだろう?? 安奈と同じ年くらいの少女たちには共感する部分があるんじゃないかな? 安奈のように、自分は輪の外側にいると感じたことがある少女だった大人の女性にもおススメ! もちろん、男性の方も是非!!(笑)
『思い出のマーニー』Official site
試写状にCOCOと印が押されていたので、多分cocoで当選したのだと思う! いつもありがとうございます ジブリ作品の試写会は初めてかも? よろこんで行ってきたー
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「札幌で養母と暮らす12歳の安奈は、複雑な生い立ちから心を閉ざし、養母にもクラスにも馴染めずにいた。喘息が悪化したため、夏休みを釧路で過ごすことになる。湖畔にある美しい洋館に惹かれるものを感じる安奈。ある日、洋館に住む少女が現れて・・・」という話。寂しい少女同士の友情を、美しい風景と美少女2人で描いた美しい作品。感動って感じではないけど、気づいたら涙が出ているような、じんわり来る作品。
原作はジョーン・G・ロビンソンの児童文学。宮崎駿氏も推薦しているとのこと。米林宏昌監督が、この原作を鈴木敏夫氏から手渡されたことが映画化のきっかけなのだそう。1967年にイギリスで出版された原作は未読。なので、日本に置き換えたこと以外に変更点があるのかは不明。毎度のWikipediaによりますと、養父母から無気力と言われ、友達もいないアンナが、喘息の療養のため過ごすことになった海辺の町で、古い洋館に心を奪われ、その屋敷の少女マーニーと親友になるが、町の人はマーニーの存在を誰も知らないという話らしい。今作では安奈はマーニーのことを誰にも話さないので、町の人が知らないというシーンはないけれど、それ以外の設定の変更はなさそう? 米林監督は原作を読み、とても面白かったし感動したけれど、映画化するのは難しいと思ったのだそう。物語の醍醐味は2人の会話であり、その会話が2人の心に微妙な変化をもたらしていくことが面白いので、それをアニメでどう描けばいいのか悩んだとのこと。
ただ、監督の中には美しい湿地に面した石造りの屋敷の裏庭のイメージがあり、その裏庭にいるアンナとマーニーのイメージが広がり、何枚かイメージ画を描いているうち、映画化に挑戦したいと思うようになったのだそう。なるほどこの洋館が美しい! 美術監督には主に実写を担当してきた種田洋平氏を起用したのも、その辺りにこだわってのことなのでしょう。とってもリアル。作画監督には安藤雅司氏。ジブリについては全然詳しくないので、全く知らなかったのだけど『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を担当した方で、宮崎駿氏との方向性の違いでジブリを去っていたのだそう。なるほど・・・ 今作は、ジブリの二大巨頭である宮崎駿氏と高畑勲氏が全く関わっていない初めての作品だそうで、その辺りも注目されているらしい。
ジブリ作品は『風の谷のナウシカ』『耳をすませば』など好きな作品もあるのだけど、最近の作品は説教臭い気がして苦手だった。メッセージ性の強い作品も嫌いではないけれど、それが押しつけがましいというか・・・ 意図していることに共感できるか、できないか以前に何となく素直に受け入れられないものを感じていた。なので、スクリーンで見たのは『千と千尋の神隠し』以来。世界的に大ヒットとなり、評価の高い『千と千尋の神隠し』が、個人的にはジブリ作品から遠ざかるきっかけとなったのは、我ながらひねくれているのか?と心配になったりもしたけれど、苦手なものは仕方がない(笑) 今回見てみたいと思ったのは、実は宮崎駿氏が関わっていないと聞いていたから。良くも悪くも影響力が大き過ぎるであろう、宮崎駿氏が関わらないと、どんな作品になるのか? そして、自分はどういう反応をするのか気になったので。結論から言うと好きなタイプの作品だと思う。涙を流したので・・・ パンチに欠ける部分はあるかなという気もするけれど、米林監督が目指したのは今作を見に来る安奈やマーニーにそっと寄り添うような作品であり、子供のためのジブリ作品を作りたいということだったのだそうで、確かにそっと寄り添うような、やさしいタッチの作品だったと思う。ただ、今コミュニケーションに悩んでいる思春期の子供たちにはいいと思うけれど、もっと小さな子供たちには難しいかもしれない。マーニーはある意味トトロのような存在ではあるけれど、あんなに分かりやすい姿をしていないので・・・
事故で両親を亡くした安奈は、養父母に引き取られる。この養父母が親戚なのか、全く血縁関係のない人たちなのか説明あったかな? 養母の血のつながりがないというセリフがあったので、親戚ではないのかも? 養父が写真以外一切登場しないのだけど、亡くなっているんだっけ? その説明もあったかな? この辺りちょっと気になったのだけど・・・ 後に親戚と思われる人々が、自分のことを押し付け合っているのを安奈が見ているシーンがある。大人は子供は聞いていない、もしくは聞いても分からないと思っているけど、意外に子供ってちゃんと聞いてるし、理解してるんだよね。特に自分に関することは。絵を描くことが好きな安奈は感受性豊かな少女。そんな少女が自分は必要とされていないと思って育ったとしたら・・・ 学校で喘息の発作を起こしてしまった安奈を、養母が心から心配していることは、見ている側には伝わっているけれど、やっぱりちょっと過敏なものを感じる。思春期には本当の親でもウザったく思うものなのに、養母ならばなおさら複雑かもしれない。そして、安奈には養母の愛情を疑う理由があった。
冒頭、美術の授業で写生をしているシーンから始まる。日蔭のベンチでクラスメイト達と離れて1人座る安奈。先生は安奈の元にもやって来るけれど、他の生徒のように素直に対応することが出来ない。緊張のあまり喘息の発作を起こしてしまう。その時、今作のキーとなる2つの言葉のうちの1つ"この世には目に見えない魔法の輪がある"というセリフが語られる。金髪の美少女がほほ笑むチラシに書かれたこの言葉だけ見ると、なるほどこの作品のことを上手く表しているなと思うのだけど、実はこのセリフには続きがある。「輪には内側と外側があって、私は外側。私は、私が嫌い」と安奈は言う。この感覚って多かれ少なかれ、誰でも一度は感じたことがあると思うけれど、養母に愛されている自信が持てない安奈にとっては、常にこの疎外感があるのだと思う。
喘息の発作にはストレスも関係しているということで、養母の頼子は釧路での療養を決める。預かり先となる大岩家は頼子と親戚だったように思うのだけど、どうだったかな? 娘さんがいるけど今は家を出ている。2人はちょっとお節介なところもあるけれど、サッパリとしたいい人たち。安奈が泊まる部屋は元娘さんの部屋だそうだけれど、この部屋ちょっと現実離れしている気も・・・ まぁ、いいけど(o´ェ`o)ゞ うるさ型ご近所の娘たちと七夕祭りに行くことになった安奈。セツは久しぶりに娘が戻って来たような気持になって浴衣を用意してくれるけど、安奈にはそれが重荷。自分が思っているほど嫌なわけではないと思うけれど、多分どう対応すればいいのかが分からないのだと思う。仮に本当に嫌でお節介だと思っていても、浴衣を用意してくれるセツを喜ばせる芝居をしようと思えばできるわけで、それが出来ればいろいろ上手く回ることも分かっているのだと思うけれど、やっぱりそうは出来ない。浴衣を着て出かけるだけなら問題ないけど、自分を外側の人間だと思っている者にとって、既に出来上がっている輪に入っていくのはとんでもなく勇気のいること! 大人は12歳はまだまだ子供だと思っているから、直ぐに仲良くなれると思っているけど、そんなに簡単じゃない。受けれる側に何のわだかまりもなくても、誰もが無邪気に入っていけるものでもない。自分が入らなければ気を使わせることはないのではないだろうか? 上手く立ち回れなくてつまらない思いをさせてしまうのではないか? そう考えたら1人の方が気が楽と思ってしまう気持ちはとってもよく分かる! 自分は比較的そういう考えをする方だし、少なくとも安奈と同じ年齢の頃にはそういう風に思うことが多かった。だからつい、お節介で上から目線の彼女に暴言を吐いてしまう気持ちも分かる。でもまぁ、あの暴言はないとは思うけれど(笑)
そして、安奈が自分の中の問題と向き合った時、彼女の前にマーニーが現れる。実は釧路に来た早い段階で湿地に立った洋館を見つけてた。惹かれるものを感じた安奈は、潮が引いていたこともあり、洋館に向かってしまう。初めて来たのに懐かしさを感じる。同時に少し怖い感じ。気づくと潮が満ちて帰れなくなっており、湖畔で毎日釣りをしている老人に助けてもらう出来事があった。お祭りの夜、近所の少女(作画的にオバちゃんにしか見えない・・・)に暴言を吐いて逃げ出した安奈は、いつもの湿地にボートが繋いであるのを見つける。不器用な手つきで漕ぎ出すと、洋館に明かりが灯る。そして、金髪の美少女が現れる。自分がボートを用意しておいたという少女はマーニーと名乗る。直ぐに打ち解ける2人。マーニーは2人のことは秘密にしておこうと言う。マーニーには事情があるからなのだけど、この年頃の秘密の関係っていうのはドキドキするものだったりする。まぁ、自身の秘密なんて親に内緒で買い食いとか、親に内緒で遠出とかその程度だったけど(笑)
2人は頻繁に会うことになるけど、いつも湖の周りか洋館の周り。洋館に住んでいるのはマーニーとお手伝いのばあや、双子のねえやのみで、両親はたまに帰って来るという感じらしい。2人が会っている時、マーニーの周囲の人は現れるけれど、安奈の周囲の人は誰もいない。基本、安奈がマーニーの住む世界に入っていくという感じ。これは伏線。安奈がオバちゃんみたいな同級生にキレてしまったのは、自分の瞳が不思議な色であることを指摘されたから。もちろんこれも伏線で、おそらくこれでオチに気づく人も多いのでは? 丘の上で毎日のように洋館を描いている女性がいる。久子というこの女性の存在も伏線。ある夜、洋館で開かれたパーティーに招かれた安奈は、そこでマーニーが若い男性と親しげに話す姿を見かけて嫉妬する。これも伏線・・・ 伏線ではないか(笑) でも、ほぼ出番のないこの青年は実は需要人物。
一方、洋館はある一家に買われ、引っ越しのため改装工事が始まっている。原作ではアンナが町の人々にマーニーのことを尋ねるらしいけれど、安奈はマーニーとの約束を守っているため、見ている側には安奈にとってのマーニーの存在が曖昧なまま。この一家の娘(役名を失念)が、洋館を訪ねてきた安奈をマーニーと勘違いしたことから、このメガネ少女との関係が生まれる。見ている側にはマーニーの服装が現代とは違っていることに気づいているけれど、この一家の登場でマーニーの存在自体が異空間であることが決定的になる。このメガネ少女は偶然マーニーの日記を見つけ、夢中になって読んでいたところ、安奈が現れたので、てっきり安奈がマーニーだと思ったというわけ。その日からメガネ少女は謎解きに夢中になるけれど、安奈はこの謎を解きたくないと思っている感じ・・・ この感じも良かった。知ってしまうと、失ってしまうような気持ち。
安奈はマーニーにあることを打ち明けていた。養母の頼子は自分を育てることで手当てを貰っていたのだった。その事実を知ってからは、頼子の言葉全てが信じられない。まぁ、これはショックでしょう・・・ 見ている側には、頼子が本当に安奈を心配していること、必死に母親になろうとしていることは伝わって来るから、手当を受給していることと、愛情とは別なんじゃないかなと思えるけれど、頼子の愛情を求めているからこそ、慎重になっている安奈にとって、これは愛情を疑うには十分な証拠。マーニーの言葉も受け入れられない。安奈を慰めるため、マーニーは自分のことを話し出す。ばあやが自分を閉じ込めようとすること、きつく髪をとかすこと、双子のねえや達にサイロに閉じ込められたこと・・・
安奈はマーニーにサイロに行こうと言う。サイロに着くと嵐になる。マーニーは取り乱し、安奈を置いて去ってしまう。サイロに向かう途中で会ったメガネ少女が、心配して兄と共に探しに向かうと、途中で倒れている安奈を発見する。熱を出して寝込んでいた安奈は、夢の中で洋館を訪ねマーニーと会う。何故、自分を置いて帰ってしまったのか? マーニーは涙を流して許しを請う。もちろん許す「あなたのことが大好き!」と、もう一つのキーワードとなるセリフ!キタ━━━(゚∀゚)━━━!! そして、マーニーは「あの日あなたはいなかったから」と言う。あの日・・・?
メガネ少女と共に久子の元へ向い、マーニーのことを尋ねる。悲しい話だと前置きして語り始める久子。両親は裕福だったけれど、マーニーはいつも放っておかれていた。家ではばあやと双子のねえやにいじめられていた。悲しい少女時代を過ごした。いわゆる暴力を振るわれている様子はないけれど、サイロに閉じ込められたってことは間違いなく虐待(*`д´) マーニーは幼馴染みの青年と駆け落ちをし、娘が生まれた。でも幸せは長くは続かず、夫を病気で亡くし、自身も病に倒れ娘を施設に預けることになった。数年後迎えに行った娘は心を開かず、結婚して家を出てしまった。そして、孫を残し交通事故で亡くなってしまったのだった。孫を引き取り、今度こそ幸せにしてあげたいと思った矢先、亡くなってしまったのだった
そう! マーニーは安奈の祖母だった。てっきり母親かと思っていたけど、お祖母ちゃんだったんだね・・・ 自身も愛情を求めて悲しい思いをしていたマーニー。娘にも同じ思いをさせてしまった。そして今また、悲しい思いをしている孫を救うために現れたのだと思ったら、自然に涙があふれていた・・・ 同時に悲しかった少女時代の姿で現れたということは、自身の少女時代も楽しい思い出に書き換えたかったのかもしれない。 多分、これは孤独な魂が共鳴しあった奇跡であり、ファンタジーなのでしょう!
迎えに来た頼子に自然に接することが出来た安奈。それには、折に触れていかに養母が安奈を思っているかを話してきた大岩夫婦のアシストのおかげもある。でも、それを素直に受け入れることが出来たのは、マーニーに愛されて、自分もマーニーを愛し、それをちゃんと相手に伝えることが出来たから。そして、自分が必要とすれば手を差し伸べてくれる人がいること、心を開けば相手も心を開いてくれることに気づいた。安奈が受け入れ態勢になったので、頼子も手当のことを打ち明ける。そして2人は母娘になった。もちろん、本当の意味で母娘になるのはこれからだけれど・・・ オバちゃんみたいな少女の押しつけがましい親切にも、一応の敬意を払いつつ、なんとか上手くやっていけそうな感じだし、メガネ少女という友達も出来た。これは安奈の成長の話で、美しいファンタジー。
キャストについては・・・ 自身もいわゆるアニメ声や、大人の女性が少年や少女の吹替えなどで違和感があると見れないタイプ。大きな声では言えないけれど、妹の声がダメで『となりのトトロ』が苦手 なので声高にプロの声優を使うべき!と言うつもりはないのだけど・・・ 主演の2人は良かったと思う。安奈役の高月彩良はオーディションで300名の中から選ばれたそうで、ご本人も安奈のようにキリリとした美少女。マーニー役の有村架純は名前は聞いたことあるのだけど・・・ 2人イマドキのこもったような喋り方ではなく、滑舌も良かったと思うし、なにより初々しく爽やかで良かったと思う。声が似ていると思いながら見ていたけれど、そこも狙いだったのかな? 大岩清正の寺島進は出演しているの知らなくて、誰だろう?と思いながら見ていた。後から知ってビックリ。 大岩セツの根岸季衣は好きな女優さんで、キャラに合っていたと思う。お2人とも脇役を多くされるので、吹替え演技も前に出過ぎないさじ加減が良かったと思う。
で・・・ 長めに前置きしてから主演2人をよく知らなかったこと、比較的重要人物だけど脇に徹していたことを書いているのは、養母の頼子役の松嶋菜々子がミスキャストだと思ったから。イヤ、松嶋菜々子のお芝居がダメだったわけではなく! 頼子の画が本当に地味な普通のオバさんなので・・・ 年齢的には松嶋菜々子でいいと思うんだけど、割とかわいらしい声と喋り方なので、このキャラと声が合っていない気がした。で、声とキャラに違和感があるまま見ていると、どうしても松嶋菜々子本人の顔が浮かんできてしまう。これは久子役の黒木瞳にも言えること。久子はやや地味めではあるけれどキャラのデザイン的にも、役柄的にも黒木瞳で合っていると思うだけど、どうにも黒木瞳声なので顔が浮かんでしまう。最近のジブリ作品が個人的に合わないと感じているのはこの辺りにも原因があるかも・・・ 有名俳優を使う場合、どうしてもその人の顔が浮かんでしまう・・・ それはコチラ側の問題と言われればそうなので、あくまで好みの問題といえばそうなのだけど・・・ でも、そこを差し引いても松嶋菜々子は合わなかったと思う。
美術監督に実写専門だった種田洋平、作画監督に安藤雅司を迎えた画はどれも素晴らしく美しかった。湿地に浮かぶ洋館は絵画のようなタッチ。これはあえてなのかな? 幻想的な感じもするけれど、どちらかというと絵本を見ているような感じ。洋館の中もマーニーと一緒にいる時と、メガネ少女と一緒にいる時とでは雰囲気が違う。それは単純に夜と昼というだけではなかったように思う。時空が違うというか・・・ とにかく全ての背景が細かく描き込んである。レンガの質感とか本当にスゴイ! さすがにスタジオジブリという感じ! そして主役2人が美少女 例えば『千と千尋の神隠し』の千尋の場合、普通の少女が健気に頑張る姿を見せたいわけだから、美少女ではむしろダメなのでしょうけれど、こういう作品は美少女じゃないと! 安奈が近寄りがたい雰囲気なのも、マーニーがばあやたちに意地悪されたもの、2人が美少女だからという側面もあると思うので・・・ と力説してるけど、そういう趣味はないです!キリッ あくまで絵的な話!
ジブリファンの方はどう感じるのかなぁ? 宮崎駿作品が大好きな方はどうなんだろう?? 安奈と同じ年くらいの少女たちには共感する部分があるんじゃないかな? 安奈のように、自分は輪の外側にいると感じたことがある少女だった大人の女性にもおススメ! もちろん、男性の方も是非!!(笑)
『思い出のマーニー』Official site