中日新聞の読者投稿欄に「言葉に責任持ち 生きる」というタイトルで高校三年生の男子生徒さんが投稿されていました。
「またあした」という言葉をどういう意味で使っているだろうか。
ぼくは「またあした、元気で会おう」の意味と解釈している。
中学生の頃、一緒に野球をしていた友だちを電車の事故で失った。
すごく仲が良くて、前日まで普段と同じように話していた。
下校する時も、なにげなく「またあした」という言葉を交わした。
この言葉を交わした時、次の日に友だちがいなくなるなんて思いもしなかった。
あの日の言葉は正解だったのか、力になれることはなかったのかとその後は後悔の毎日だった。
今発している言葉、一言一言に責任を持つことができているだろうか。
この体験から言葉に責任を持つことの大切さを知った。
この出来事は悲しいことだが、下を向いたままではなくて、これも何かの意味があるのではないかと思い、あしたも生きる。
以上です。
>下校する時も、なにげなく「またあした」という言葉を交わした。
この言葉を交わした時、次の日に友だちがいなくなるなんて思いもしなかった。
あの日の言葉は正解だったのか、力になれることはなかったのかとその後は後悔の毎日だった。
投稿者の高校生の気持ちは分かりますが、これはどうしようもないことです。
人間一歩先の事は分かりません。
言葉が正解だったかどうかなんて、悩む必要はありません。
一期一会という格言があります。
今日の出会いを大切にする、それ以外ないように思います。
明日のことは誰にも分かりません。
人間、ありふれた毎日が幸せであり、今この時を大切にして生き続けることが大事なのでは。
舟木一夫★まだ見ぬ君を恋うる歌★New Edition