白川郷から、再び富山県に入り五箇山を目指す。今度はバスの最前列の席に座って前方の景色を楽しむ。朝来た時から時間が経っていて雪の量も少し減ったようにも見えるが、それでも時おり降ってくる。
再び岐阜、富山の入り組んだ県境を過ぎて富山県に入る。先ほどの白川郷は村自体は過疎であるが、南部に通じる道もありまだ開けた印象があった。それに比べるとやはり国境を越える越中への道のりのほうが厳しそうである。秘境度でいえば五箇山のほうが深そうだ。
菅沼に到着。ここから観光客の乗車がある。今回は菅沼はバスの車窓から見るに止め、そのまま相倉を目指す。こちらには一度、世界遺産に認定されて間もない時期に見学している。世界遺産と言えば姫路城や法隆寺、原爆ドームに厳島神社といった歴史的建造物というイメージだったところに、合掌造りの集落が認定された。見学に来ていた人の中に、「これが世界遺産? 何だ、オレの田舎と一緒じゃないか」と言っていたのがいたのを覚えている。日本の昔の田舎の景色が世界遺産になることが当時すぐには結びつかなかったようだ。その後、世界遺産として日本からも文化遺産、自然遺産がさまざま認定されるようになったが、合掌造りの集落よりも無理がありそうな物件がないわけでもない。それがどこかと言うのは伏せるとして・・・。
相倉口のバス停に到着。下車したのは私だけだったが、ここから何人かの乗車がある。バス停から5分ほど歩いて集落入口の駐車場に着く。白川郷と比べて集落の規模は小さいが、落ち着いてまとまって見える。世界遺産がどうとか関係なく、日本の冬にはこうした景色があり、人の生活があることを感じさせる。こちらは先ほどの白川郷のように東南アジアから多くの観光客が来るわけでもなさそうで、静かである。次のバスまで1時間弱しかないが、集落を回るには十分である。
白川郷の展望台へは雪のため上がれなかったが、相倉では、民家の間に「ビュースポット」と書かれた手書きの看板があり、それに従って雪道を少し上がる。前の人の足跡はあるが、時おりそれを踏み抜いてズボッと足首の上まではまってしまう。
そして出たのはこの景色。相倉の観光写真でよく見る角度とは異なるが、昔話にでてきそうな風景である。
時間があれば民俗館や産業伝承館を見学するところだが、今回は中の見学は省略する。稲作ができない厳しい自然の中、五箇山はかつては加賀藩の支配下にあって、年貢米の代わりに火薬の原料となる塩硝を製造したり、養蚕で暮らしてきたという歴史に思いを馳せる。
今は塩硝も養蚕もなくなり、観光が産業になっている感じだが、相倉集落の全ての家が観光に従事しているわけではないだろう。そうした人たちは何を生業としているのかも気になる。
南砺市の地酒の三笑楽を土産として、そろそろバスの時間となり、集落を離れて相倉口のバス停に戻る。次の便は土日祝日ダイヤでの城端駅行き。行きと同じ路線バスタイプの車両で、乗客は私を含めて4人。冬とはいえ淋しい乗車率である。ここでまた山越えとなるが、雪が降るかと思えば晴れ間も出て、複雑な天気である。
城端駅に到着。これから城端線に乗るのだが、ここまでの行程は、朝早くに高岡を出たことで1時間ほど前倒しで進んでいる。その時間を使って、例えば城端の町並みを歩くこともできるのだが、ここに来て雨が降ってきた。これで町歩きはもういいかとなり、そのまま高岡行きの気動車に乗ることにした。
元日も早くも午後の時間になったが、これから大移動で大阪に戻ることに・・・。
再び岐阜、富山の入り組んだ県境を過ぎて富山県に入る。先ほどの白川郷は村自体は過疎であるが、南部に通じる道もありまだ開けた印象があった。それに比べるとやはり国境を越える越中への道のりのほうが厳しそうである。秘境度でいえば五箇山のほうが深そうだ。
菅沼に到着。ここから観光客の乗車がある。今回は菅沼はバスの車窓から見るに止め、そのまま相倉を目指す。こちらには一度、世界遺産に認定されて間もない時期に見学している。世界遺産と言えば姫路城や法隆寺、原爆ドームに厳島神社といった歴史的建造物というイメージだったところに、合掌造りの集落が認定された。見学に来ていた人の中に、「これが世界遺産? 何だ、オレの田舎と一緒じゃないか」と言っていたのがいたのを覚えている。日本の昔の田舎の景色が世界遺産になることが当時すぐには結びつかなかったようだ。その後、世界遺産として日本からも文化遺産、自然遺産がさまざま認定されるようになったが、合掌造りの集落よりも無理がありそうな物件がないわけでもない。それがどこかと言うのは伏せるとして・・・。
相倉口のバス停に到着。下車したのは私だけだったが、ここから何人かの乗車がある。バス停から5分ほど歩いて集落入口の駐車場に着く。白川郷と比べて集落の規模は小さいが、落ち着いてまとまって見える。世界遺産がどうとか関係なく、日本の冬にはこうした景色があり、人の生活があることを感じさせる。こちらは先ほどの白川郷のように東南アジアから多くの観光客が来るわけでもなさそうで、静かである。次のバスまで1時間弱しかないが、集落を回るには十分である。
白川郷の展望台へは雪のため上がれなかったが、相倉では、民家の間に「ビュースポット」と書かれた手書きの看板があり、それに従って雪道を少し上がる。前の人の足跡はあるが、時おりそれを踏み抜いてズボッと足首の上まではまってしまう。
そして出たのはこの景色。相倉の観光写真でよく見る角度とは異なるが、昔話にでてきそうな風景である。
時間があれば民俗館や産業伝承館を見学するところだが、今回は中の見学は省略する。稲作ができない厳しい自然の中、五箇山はかつては加賀藩の支配下にあって、年貢米の代わりに火薬の原料となる塩硝を製造したり、養蚕で暮らしてきたという歴史に思いを馳せる。
今は塩硝も養蚕もなくなり、観光が産業になっている感じだが、相倉集落の全ての家が観光に従事しているわけではないだろう。そうした人たちは何を生業としているのかも気になる。
南砺市の地酒の三笑楽を土産として、そろそろバスの時間となり、集落を離れて相倉口のバス停に戻る。次の便は土日祝日ダイヤでの城端駅行き。行きと同じ路線バスタイプの車両で、乗客は私を含めて4人。冬とはいえ淋しい乗車率である。ここでまた山越えとなるが、雪が降るかと思えば晴れ間も出て、複雑な天気である。
城端駅に到着。これから城端線に乗るのだが、ここまでの行程は、朝早くに高岡を出たことで1時間ほど前倒しで進んでいる。その時間を使って、例えば城端の町並みを歩くこともできるのだが、ここに来て雨が降ってきた。これで町歩きはもういいかとなり、そのまま高岡行きの気動車に乗ることにした。
元日も早くも午後の時間になったが、これから大移動で大阪に戻ることに・・・。