まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第22番「不動院」~近畿三十六不動めぐり・10(都を南から守護する不動明王)

2018年01月23日 | 近畿三十六不動
今年に入って結構たて続けに記事を載せているが、実際出かけたのは12月31日~1月1日、3日、7日のことである。ごくまれに、「まつなるは半月の間ずっとほっつき歩いているのか?」と言われることがあるのだが、1日の行程を書くのに4~5日かかっているだけのことである。そこのところはご理解のほどを・・。

さて、そう言いつつこの記事だが、この前の岡山行きから1週間後の1月14日のことである。近畿三十六不動めぐりもいよいよ10ヶ所目で、前回の比叡山の無動寺でのくじ引きサイコロを受けて出たのが不動院。最寄り駅は近鉄・京都市地下鉄の竹田である。近鉄京都線というのもなかなか乗る機会がないし、竹田駅が目的地というのも初めてである。自宅のある藤井寺から竹田へのルートだが、乗り換え案内のサイトだと、京阪で丹波橋まで行って近鉄に乗り換えるのが最短かつ運賃が安いルートとして表示される。それはそうだろう。

ただ、たかが近畿三十六不動の札所めぐりである。京阪には帰りに乗ることになると思うので、行きは変化をつける、できれば「循環ルート」にしたい。ならば、藤井寺から橿原神宮前まで行き、そこから近鉄橿原線~京都線と乗って竹田に行くのがいいかなと思う。

さて、21日の朝6時すぎに出発。出かけるなら早いほうがよく、回るところを回り終えれば帰るだけのことである。各駅停車を乗り継いで橿原神宮前に着き、京都線へは特急を張り込んで丹波橋を目指す。7時24発の京都行きにはビスタカー車両があり、どうせならと2階建ての上段の席を購入する。

冬の景色、この日は関西でも寒気がやってくるという。雪を見ることはなかったが沿線も寒々しい景色である。池などは氷が張っている様子に見える。ただ遠くの生駒山をはじめとした周りの山々はけっこうはっきりと見える。

大和郡山城や薬師寺の横を通り、大和西大寺から京都線に入る。JRの学研都市線とも並走し、かつての巨椋池の埋め立て地にできた田畑など見るうちに丹波橋に到着する。おそらく、普通に大阪市内から京阪を経由すればもう少し早く着いたであろう駅である。後続の各駅停車に乗り、8時22分、竹田に到着する。京都市地下鉄の駅でもあり、地下鉄の車両も停まっている。

不動院へは竹田駅から歩いて10分ほどのところにある。途中で見たものもあるがそれは別に書くとして、東側の門から入る。ただこちらはメインの入口ではなさそうで、南側に立派な門があったので改めてこちらから入る。「北向山不動院」というのが正式な名称である。

不動院が開かれたのは1130年、平安末期のこととされる。興教大師覚鑁(かくばん)上人の手による(「真言宗中興の祖」とされ、後には真言新義真言宗を開いた人物)。鳥羽天皇の病気平愈の祈祷を行ったところ回復したことから、勅願として不動明王を本尊とするお堂を建てたのが始まりである。寺はこの地から都を守るとして北向に建てられたことから、北向山の名前がついたという。なお、現在の本堂は江戸中期の建物。

朝9時前のことで、寺の人が境内の掃除やら本堂横に五色の幕を貼ったりと忙しい感じの中、また地元の人が散歩の途中で軽く合わせる中、階段の下でお務めとする。後でバインダー式の朱印をいただこうと向かいの建物の寺務所のインターホンを鳴らすと、本堂の後ろから寺の人が顔を出し、本堂の階段を上がった2畳ほどの小部屋に案内される。

境内のすぐ西を阪神高速京都線が走り、少し北には名神高速が走る位置で、周りも住宅や店舗が広がる町中の小ぢんまりした寺。コンパクトな中にいろいろなものが詰まっている。秘仏とされる本尊不動明王の姿を彫った石像もある。狭いながらも不動明王を前にした護摩供ができるスペースがあるし、裏手には水の行場もある。こちらの不動明王は苔に覆われている。地元の人たちに古くから親しまれているのかなと思う。

ここで、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロ。そこで並んだのは・・・

1.大津(円満院)

2.河内長野(明王寺)

3.左京(曼殊院)

4.東山(聖護院、青蓮院、智積院)

5.神戸北(鏑射寺)

6.嵯峨(大覚寺、仁和寺、蓮華寺)

そして出たのは「5」。近畿三十六不動めぐりで初めての兵庫県である。最寄り駅はJR福知山線の宝塚と三田の間の道場だが、初めて聞く名前の寺である。神戸北と言いながら、地図で見る限りでは山の中の寺に見える。「鏑射」というのは(少なくとも「不動院」よりは)どこにでもある名前ではない。面白い由緒があるのかなと、次の参詣が楽しみである。

さて、この不動院の周りは平安の頃に一時代を築き栄えたところである。不動院ともども、当時の歴史を辛うじて伝えるスポットが結構あり、それらを書くだけで一つの記事になりそうだ。これも京都の歴史の一場面ということで書くことに・・・。
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