まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

乗り鉄は吉備を目指す

2018年01月17日 | 旅行記F・中国
1月17日は阪神・淡路大震災のあった日。もう23年になるのかと思う。仕事の関係で就活を控えた大学生と話をすることがあるのだが、そうした彼らは震災の時にはまだ生まれていないという。最近は関西でも風化したかなと思うことがあるが、5時46分の時だけは、関西各局で慰霊祭の中継映像を流していた。

さて、話は10日前の1月7日。この冬柳井、高岡、紀伊勝浦と使ってきた青春18きっぷがもう1回分残っている。日帰りで使おうということで、あちこち行き先を考えた。大阪から西、北、南と行ったので東へ行くか。名古屋とか知多半島、三河などが浮かぶ。また一方で、このところ年始に訪ねている鳥取はどうか、いやいや山陽筋で岡山、間の津山も楽しそうだ。四国は・・・八十八所めぐりの順番があるのでここは外すことにする。

こうした時はサイコロに身を委ねるのも面白い。実際それで行き先を決めたこともある。ただ、時刻表の地図を見る中で少しずつ形ができてきた。目的地は岡山にする。

その決め手は・・・また改めて書くとして、岡山には久しく乗っていない路線がある。岡山と総社を結ぶ吉備線。今は桃太郎線という愛称がある。このブログの中に吉備線に乗ったという記載がないので、結構間が開いている。岡山に行くなら津山の扇形機関庫が通年公開されるようになったのも気になるのだが、今回は吉備路ということにした。沿線には由緒ある吉備津神社、吉備津彦神社もある。1月7日はまだ初詣の時季ということで、正月のお参り尽くし(前日6日は、職場行事として成田山大阪別院と伏見稲荷大社の参拝)でいいだろう。

当日朝、ともかく朝一番から出かけようと大阪駅まで出て、6時25分発の快速姫路行きに乗る。車内では2人掛けのシートに身を任せ、あまりあれこれ考え込まないように進む。

姫路に到着。ここから山陽線経由で岡山に向かうが、この区間は昔から青春18の時期は席取りが厳しい。列車の本数が前後の区間より少ないし、編成も短い。さらに、姫路では違うホームへの乗り継ぎで階段の上り下りがある。で、接続は5分・・・まあ、席は空いてまへんわね。ここは列車の最前部、運転席の後ろに陣取る。前方を見て少しでも楽しもうということだが、運転手の所作や、播磨
~備前と移り行く車窓を見るのは面白かった。

9時29分、岡山に到着。鉄道の要衝として、中国地方では岡山が最も賑やかだと思う。山陽だけでなく山陰、四国を結ぶ列車が行き交うのが大きい。ここに来ると、どの方面の列車に乗るか目移りしそうだ。その中で今回は乗るのは、10時15分発の吉備線総社行きである。

少し時間があるので外に出る。桃太郎の像とも対面する。

さて吉備線、津山線のホームに向かうと乗車口には行列ができている。吉備路の初詣スポットに向かう人たちだろう。キハ47の2両編成は立ち客も多い中で出発した。

吉備線は岡山近郊の通勤通学路線でもある。その一方で、岡山の市内電車との乗り入れを意識したLRTへの転換話も出ていたのではなかったかと思う。富山ライトレールの例もある。それはどうなっているのかと記事を検索してみる。すると、昨年12月の山陽新聞の記事として、岡山市長の市議会の答弁で、JRや総社市との協議は続けるものの、現時点ではLRT化は厳しいとの見解を示したという。富山のそれが成功体験のように全国に広まるのかと思いきや、実現にはなかなかハードルが高いようである。

さて現在の吉備線は、桃太郎線の愛称を前面に出しているようだ。車両はキハ47、40の昔ながらの朱色だが、駅名標の枠は桃にちなんだピンク色だし、駅ごとの車内放送の前には桃太郎の歌の一節が流れる。

吉備津彦神社がある備前一宮で下車客があるがここは一度通りすぎ、次の吉備津で下車する。こちらで降りた人のほうが多かった。次の記事で書くが、神社としての由緒は吉備津彦神社よりも吉備津神社のほうが深いようである。吉備線に乗るのが久しぶりなら、これらの神社にお参りするのは子どもの頃を含めて過去にあったかな?という感じである。まあそこは、初めてという形で新鮮な気持ちでお参りすればよいだろう。

晴れの国らしい穏やかな空の下での神社めぐりである・・・。
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