北陸新幹線は高岡駅には乗り入れず、1.5キロほど南に新たにできた新高岡駅を通る。ちょうど城端線と交差するところに新駅ができ、市内とは城端線や路線バスで結ばれている。駅舎および駅前は新幹線開業を機会に全面的にリニューアルされていて、開放的な感じである。新しい駅舎になって下車するのは初めてで、以前の、いかにも古い国鉄らしい風情のあった駅のことも憶えているので、時の流れを感じる。JRは氷見線、城端線があるが、メインの金沢、富山方面はあくまであいの風とやま鉄道の路線である。駅の放送も「あいの風とやま鉄道をご利用いただきありがとうございます」だし、券売機も同線がメイン。氷見線や城端線を利用する客は券売機で一度JRのボタンを押してから買う仕組みになっている。これから北陸新幹線が延伸するにつれて、こうした駅が増えてくるのかなと、ちょっと複雑な気分である。
改札口の正面には大きな窓があり、構内から東の方向を見渡すことができる。正面には立山連峰があり、天気がよい時の展望写真と山の名前が書かれたパネルがある。この時間、雨や雪は降っておらず、山の下のほうが薄いながらも何とか見える。さすがに、ポスターのようにはいかない。
到着したのが12時前ということで、昼食とする。目指すのは駅ビルの中にある今庄という店。ここで「ちゃんぽん」をいただく。わざわざカッコ書きにしたのは、長崎名物、中華料理のメニューのちゃんぽんとはちょっと違うからだ。
その中身はこれ。要はうどんとそばが一つの丼に入る「ハーフ&ハーフ」である(玉子はトッピング)。両方がごっちゃになっているから「ちゃんぽん」というわけだが、この店のオリジナルメニューである。おそらく高岡の他のうどん屋、そば屋でこれを注文しても出てこないだろう。丼の半分ずつに盛られているものを、最初は片方ずつ味わう。そして次からはかき混ぜて両方いっぺんに口に入れる。独特の食感である。福井駅の今庄そばに続いて、一応ここで年越しそばの第二弾ということにする。
大きなバッグをコインロッカーに預けて、さてこれからどうするか。まず思いつくのは、富山県で唯一の国宝である瑞龍寺。以前にも訪ねたことがあるが、ここはもう一度訪ねてみることにする。駅の南側(瑞龍寺口)も、新高岡駅への玄関口ということで整備されている。
歩いて10分ほどで八丁道に至る。ここを右折すると石畳の道が続く。出迎えるのは前田利長の銅像。前田利長は前田利家の長男で、加賀藩主である。この利長の菩提を弔うためとして前田利常によって建立されたのが瑞龍寺である。堂々とした七堂伽藍で知られている。全盛期は3万6千坪あり、堀も設けられたそうで、寺というより城に近い感じだったそうだ。その後、加賀藩もなくなったり寺の経営も思うように行かなくなったりで周囲の土地も売り払われて住宅地になったところが多いが、寺の構えは現在も堂々としたものである。
門前で拝観料を払い、前田家の家紋である梅鉢があしらわれた総門をくぐる。そして目の前に広がる景色にうなる。
頭の中では堂々とした山門の姿を描いていたのだが、現れたのは巨大なフェンスに覆われた建物である。ちょうど2017年のGWの頃から大改修工事に入っていて、終わるのが2020年~2021年にかけてのことだという。これも国宝、文化財の維持には必要なことである。また瑞龍寺は往年の七堂伽藍を現代に復元させようとしているそうだ。確かに山門、仏殿、法堂は国宝に指定されているが、周りの回廊は一時期はほとんど失われていたものだそうだ。それを何回かに分けて復元して、後は浴室と東司(トイレ)が建てられると完成するという。
その山門をくぐると、正面に仏殿、奥に法堂、そして左右には見事な対称を見せる回廊が広がる。この佇まいがよろしい。パンフレット等では、境内の芝が鮮やかに諸堂を引き立てているが、目の前に広がるのは雪景色。これも一味違った景色である。
仏殿に入る。曹洞宗の寺院ということで釈迦三尊(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)を祀っている。柱、天井の組み方には複雑な技法が用いられている。その後ろには瑞龍寺を開いた広山恕陽禅師、さらには中国の達磨和尚などの像も祀られている。
その奥が法殿で、先ほどの仏殿よりも堂々とした造りである。パッと見るとこちらが本堂かと思わせる。正面には前田利長の位牌が安置されている。仏像とは違うが、そもそもが利長の菩提を弔うための寺ということでここでも手を合わせる。
その隣の部屋にも仏壇が設けられている。こちらに祀られているのが烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)像である。少し前に流行った植村花菜さんの「トイレの神様」という一曲があるが、その中で「私」に「おばあちゃん」が「トイレにはキレイな女神様がいるんやで」と語りかけるところがある。その「女神様」が直接烏瑟沙摩明王を指すものではないとしても、この曲が流れるようになってから、この明王の存在も世に広まるようになった。元々はインドの神様だったのが、仏教の中では不浄を清める功徳があるとして信仰されるようになった。一方で、昔から家の中に怨霊や悪魔が侵入するのがトイレからという思想があったことから、そこを守るためにこの明王をトイレに祀るようになったという。
瑞龍寺の烏瑟沙摩明王の像は120cmあるが、これは全国最大級の大きさだそうである。そのこともあり、瑞龍寺では七堂伽藍とともに「トイレの神様」を売りにしているように感じられる。お札もあるし、烏瑟沙摩明王のご朱印も用意している。今回は札所めぐりとは違うのでご朱印はいただかないが、せっかくなのでお札をいただく。トイレの中で、自分の視線より高いところに祀るようにとある。帰宅後にそのようにするとちょうどトイレ上の棚にいい感じで納まった。これで運気も上がるかな(画像は、回廊の東司跡に祀られている像)
この後は法殿の後ろにある石廟や、回廊を見て回る。禅堂も復元されており、今も寺で修行する人もきちんといるのだろう。回るうちに、気動車のエンジン音が通り過ぎて行った。城端線の線路は法殿のすぐ後ろを通っている。
これで瑞龍寺を後にして、八丁道をそのまま真っ直ぐ進む。「八丁」(1丁は約108m)と呼ばれるのは、瑞龍寺から前田利長の墓所まで敷かれた道の長さである。現在もこの石畳の道があり、両側に車道、そして住宅はその奥という形で整備されている。そして向かった墓所は武士としては最大の高さを持つものだという。いかに加賀藩の祖を大事にしたかがうかがえるところである。
さてこの後はもう少し町を歩くことにする。次は高岡の中心部に行くことにして、JRの線路下の歩行者・自転車用の近道をくぐる。ここで雨が少しパラパラと降ってきた。降ったり止んだりだし、雨も弱いのでここは傘は取り出さず、コートのフードを頭からかぶって歩くことに・・・。
改札口の正面には大きな窓があり、構内から東の方向を見渡すことができる。正面には立山連峰があり、天気がよい時の展望写真と山の名前が書かれたパネルがある。この時間、雨や雪は降っておらず、山の下のほうが薄いながらも何とか見える。さすがに、ポスターのようにはいかない。
到着したのが12時前ということで、昼食とする。目指すのは駅ビルの中にある今庄という店。ここで「ちゃんぽん」をいただく。わざわざカッコ書きにしたのは、長崎名物、中華料理のメニューのちゃんぽんとはちょっと違うからだ。
その中身はこれ。要はうどんとそばが一つの丼に入る「ハーフ&ハーフ」である(玉子はトッピング)。両方がごっちゃになっているから「ちゃんぽん」というわけだが、この店のオリジナルメニューである。おそらく高岡の他のうどん屋、そば屋でこれを注文しても出てこないだろう。丼の半分ずつに盛られているものを、最初は片方ずつ味わう。そして次からはかき混ぜて両方いっぺんに口に入れる。独特の食感である。福井駅の今庄そばに続いて、一応ここで年越しそばの第二弾ということにする。
大きなバッグをコインロッカーに預けて、さてこれからどうするか。まず思いつくのは、富山県で唯一の国宝である瑞龍寺。以前にも訪ねたことがあるが、ここはもう一度訪ねてみることにする。駅の南側(瑞龍寺口)も、新高岡駅への玄関口ということで整備されている。
歩いて10分ほどで八丁道に至る。ここを右折すると石畳の道が続く。出迎えるのは前田利長の銅像。前田利長は前田利家の長男で、加賀藩主である。この利長の菩提を弔うためとして前田利常によって建立されたのが瑞龍寺である。堂々とした七堂伽藍で知られている。全盛期は3万6千坪あり、堀も設けられたそうで、寺というより城に近い感じだったそうだ。その後、加賀藩もなくなったり寺の経営も思うように行かなくなったりで周囲の土地も売り払われて住宅地になったところが多いが、寺の構えは現在も堂々としたものである。
門前で拝観料を払い、前田家の家紋である梅鉢があしらわれた総門をくぐる。そして目の前に広がる景色にうなる。
頭の中では堂々とした山門の姿を描いていたのだが、現れたのは巨大なフェンスに覆われた建物である。ちょうど2017年のGWの頃から大改修工事に入っていて、終わるのが2020年~2021年にかけてのことだという。これも国宝、文化財の維持には必要なことである。また瑞龍寺は往年の七堂伽藍を現代に復元させようとしているそうだ。確かに山門、仏殿、法堂は国宝に指定されているが、周りの回廊は一時期はほとんど失われていたものだそうだ。それを何回かに分けて復元して、後は浴室と東司(トイレ)が建てられると完成するという。
その山門をくぐると、正面に仏殿、奥に法堂、そして左右には見事な対称を見せる回廊が広がる。この佇まいがよろしい。パンフレット等では、境内の芝が鮮やかに諸堂を引き立てているが、目の前に広がるのは雪景色。これも一味違った景色である。
仏殿に入る。曹洞宗の寺院ということで釈迦三尊(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)を祀っている。柱、天井の組み方には複雑な技法が用いられている。その後ろには瑞龍寺を開いた広山恕陽禅師、さらには中国の達磨和尚などの像も祀られている。
その奥が法殿で、先ほどの仏殿よりも堂々とした造りである。パッと見るとこちらが本堂かと思わせる。正面には前田利長の位牌が安置されている。仏像とは違うが、そもそもが利長の菩提を弔うための寺ということでここでも手を合わせる。
その隣の部屋にも仏壇が設けられている。こちらに祀られているのが烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)像である。少し前に流行った植村花菜さんの「トイレの神様」という一曲があるが、その中で「私」に「おばあちゃん」が「トイレにはキレイな女神様がいるんやで」と語りかけるところがある。その「女神様」が直接烏瑟沙摩明王を指すものではないとしても、この曲が流れるようになってから、この明王の存在も世に広まるようになった。元々はインドの神様だったのが、仏教の中では不浄を清める功徳があるとして信仰されるようになった。一方で、昔から家の中に怨霊や悪魔が侵入するのがトイレからという思想があったことから、そこを守るためにこの明王をトイレに祀るようになったという。
瑞龍寺の烏瑟沙摩明王の像は120cmあるが、これは全国最大級の大きさだそうである。そのこともあり、瑞龍寺では七堂伽藍とともに「トイレの神様」を売りにしているように感じられる。お札もあるし、烏瑟沙摩明王のご朱印も用意している。今回は札所めぐりとは違うのでご朱印はいただかないが、せっかくなのでお札をいただく。トイレの中で、自分の視線より高いところに祀るようにとある。帰宅後にそのようにするとちょうどトイレ上の棚にいい感じで納まった。これで運気も上がるかな(画像は、回廊の東司跡に祀られている像)
この後は法殿の後ろにある石廟や、回廊を見て回る。禅堂も復元されており、今も寺で修行する人もきちんといるのだろう。回るうちに、気動車のエンジン音が通り過ぎて行った。城端線の線路は法殿のすぐ後ろを通っている。
これで瑞龍寺を後にして、八丁道をそのまま真っ直ぐ進む。「八丁」(1丁は約108m)と呼ばれるのは、瑞龍寺から前田利長の墓所まで敷かれた道の長さである。現在もこの石畳の道があり、両側に車道、そして住宅はその奥という形で整備されている。そして向かった墓所は武士としては最大の高さを持つものだという。いかに加賀藩の祖を大事にしたかがうかがえるところである。
さてこの後はもう少し町を歩くことにする。次は高岡の中心部に行くことにして、JRの線路下の歩行者・自転車用の近道をくぐる。ここで雨が少しパラパラと降ってきた。降ったり止んだりだし、雨も弱いのでここは傘は取り出さず、コートのフードを頭からかぶって歩くことに・・・。