まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

独特の歴史感ある吉備津神社へ

2018年01月18日 | 旅行記F・中国
桃太郎線(吉備線)の吉備津で下車。ここから歩いて吉備津神社を目指す。

先ほど備前一宮の駅を過ぎ、そちらは吉備津彦神社の最寄り駅である。吉備津神社に吉備津彦神社。似たような名前である。歴史的には吉備津神社は備中の一ノ宮、吉備津彦神社は備前の一ノ宮とされている。また、ここからは離れているが、備後の一ノ宮として、福山市の新市町に吉備津神社がある。いずれも吉備津彦命を祀っている。この中で備中の吉備津神社が元々は吉備の国の総鎮守だったのが、国が備前、備中、備後と「三備」に分かれたことで、備前と備後に分祀するようになったという。・・・それにしても、この記事だけでここまで「備」の文字はいくつ出てきたやら。

5分も歩くと昔ながらのものだろうか、松並木に出る。横の車道は参拝者たちのクルマで渋滞している。

そんな中で石段の下に出ると、そこも長い行列である。拝殿から石段の下までこんなに行列が続くのかと思いながらしばらく並んだが、石段は普通に参拝者が上り下りしている。よく見れば石段の下の手水場での列である。手水場が小さい感じで一度に使える人が少なそうだ。ちょっと礼儀に反するが、手水は省略して列を横切って石段を上がる。

石段を上がりきったらそのまま拝殿である。したがって外からの様子はわからない。ともかく、ここでお参りである。

そして境内へ。普段の神社詣とは順番が逆のようだが、吉備津神社はこちらから仰ぎ見るのがよい感じである。

本殿と拝殿はつながっていて、ともに室町将軍足利義満が造営したものである。現在は国宝にも指定されている。これだけ大きな社殿だと厳重に柵に囲まれているのが多いが、真横から間近に見られるのも変わった感じがする。まさか、横の広いところから社殿を仰ぎ見るために、拝むところが石段を上がってすぐのところにあるわけではないだろうが。この様式は吉備津造と呼ぶそうである。

変わっているといえば、社殿の向きもそうだ。神社といえば南を向いて建つのが多いイメージがあるが、吉備津神社は北東から北を向いている。鬼門を守る意味合いがあるとか、桃太郎伝説に絡めて北の方に鬼ヶ城があるとか、諸説あるようだ。あるいはヤマト王朝を意識したのかもしれない。

境内の一角はお守りやお札、おみくじのコーナーだが、その奥に千代の富士の優勝額が立てられている。昭和61年1月場所だから32年前のものである。国技館に飾られていたのはもっと大きいはずだからレプリカだと思うが、吉備津神社で千代の富士とは。ここの氏子が千代の富士の後援会長をされていたからという。これは想像だが、小さな体で大型力士に立ち向かい、投げ飛ばしたりする姿に桃太郎のイメージを重ねていたのかもしれない。その千代の富士こと九重親方は若くして亡くなったわけだが、このところの相撲界のゴタゴタをあの世からどんな思いで見ているのかなと思う。

この後は、本殿の上にある一童社へ向かう。こちらは学問・芸術の神様で、桃太郎を描いた絵馬には合格祈願があれこれ書かれている。

そして吉備津神社のもう一つの見所の回廊を歩く。神社でこうした回廊というのもあまりないのではないかと思う。

さまざまな独特のものがある吉備津神社はこれで回ったことにして、次は備前の一ノ宮である吉備津彦神社に向かうことにする。吉備線なら一駅だが、駅間の距離が短いのと、途中であるところに立ち寄ってみようと、歩いて行くことにする・・・。
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