大分から広島への帰途、山口は山陽小野田に宿泊する。このまま運転を続けてもいいのだが、せっかくの連休ということと、宿泊経験地を増やそうということで、山口県内で泊まったことがないここで一泊とする。
山陽線、美祢線が接続する厚狭駅。1996年には山陽新幹線の駅も開業したが、唯一「こだま」しか停車しない駅である。ここに駅ができたのは宇部方面、長門市方面への便宜を図ってのことだろうが、「こだま」しか停まらなくても新幹線があるだけありがたく思えということかな。
厚狭といえば、その昔臨時夜行で走っていた「ふるさとライナー九州」、「ムーンライト九州」を思い出す。京都・大阪から博多に向かう座席列車だが、翌朝の最初の停車駅が厚狭だった。そのため、「次は厚狭(朝)まで停まりません」という洒落のアナウンスが流れて・・。
駅前にはマスク姿の銅像が建つ。「三年寝太郎」の像である。三年寝太郎は民話の一つだが、舞台となったのはこの厚狭だという。この話の中身とは・・。
庄屋の息子である太郎は仕事もせずに寝てばかりで、周りから「寝太郎」と呼ばれていた。3年寝ていた太郎が急に起き出し、父親に千石船と船一杯の草履を作るよう頼む。父親がそうしてやると、太郎は船を漕いでどこかに行ってしまう。
数十日して、船一杯に土がついてぼろぼろの草履を積んで太郎が帰ってきた。そして、太郎が大きな桶で草履を洗うと、土の中から砂金が出てきた。太郎が行っていたのは佐渡の金山で、そこで働いていた者たちの草履を交換していたのだった。太郎はこの砂金を元手に堰を造り、灌漑水路を引いて田畑を開き、村の人たちに分け与えたという。
この話には寝太郎のモデルとなった人物がいて、実際に厚狭川の堰や用水路を築いたという。そこに3年寝ていたとか、佐渡に行ったとかいう話がつけ足されて民話になったそうだ。
さて、厚狭といって書くことが少ないからと三年寝太郎について触れたのだが、そろそろホテルにチェックインしよう。この日の宿はエクストールイン山陽小野田厚狭。まだ新しい建物のようだ。
チェックインすると、「以前にもご利用いただいていますね」と声をかけられる。いや、ここは初めてなのだが・・と不思議に思っていると、「高松のホテル川六エルステージにお泊りですね」と加えられる。高松のこのホテルは四国八十八ヶ所めぐりの時に泊まったことがあるが、エクストールインは同じく株式会社川六が展開するホテルチェーンである。高松宿泊時と住所は変わっているが、名前と携帯電話番号で紐づいているのかな。
時刻は17時を回ったあとで、今夜は一献とするか。ただ、新幹線も停まる駅とはいっても駅周辺がそれほど賑わっているわけでもなさそうだ。
事前にネットで検索していたが、ホテルすぐ近くの「憩いの場」という店に向かう。店の外観からして私のような一見にはちょっと入りにくいように思うが、店のホームページがあり、そこで料理のあれこれがチェックできたので入ってみる。
早い時間で先客が1組いるだけ。店は大衆酒場というには小粋な感じで、たまにはこうした雰囲気の居酒屋もいいだろう。
最初のビールを持って来た後、この後の注文は紙に書いてベルで店員を呼ぶようにと言われる。メニューそれぞれに番号が振られていて、これを紙に書いて渡す。コロナ対策というよりは、注文を聞く店員の負担を減らすためのようだ。
メインは長州鶏の唐揚げとクジラの竜田揚げ。横にあるのは東京五輪オフィシャルビールのアサヒスーパードライ。アサヒはこうしたところの戦術には長けてますな。
刺身の盛り合わせはヒラマサとアジ。こちらも美味しくいただく。
アテで結構力が出ていたのが冷奴。豆腐一丁がドンと出るのではなく細かく切り分けていて、薬味をいろいろ変えながら楽しむことができる。
その冷奴と相対したのが、厚狭の酒蔵である永山酒造が出す「山猿」。山口の酒といえば「獺祭」が知られているが、それだけではないぞという感じである。
この店の名物は〆のラーメンだそうだが、まあそれはいいとして店を後にする。部屋用でコンビニで買い物をしながらほんの少しぶらつく。
その周りで目立つのが、衆議院山口3区選出の河村建夫議員(元官房長官)関連。河村氏は萩の出身だが、山口県の4つの小選挙区は県を南北に切った形に近く、3区は宇部市、山陽小野田市、美祢市、阿武郡、萩市などが含まれる。瀬戸内側と日本海側の両方にまたがる選挙区設定も結構乱暴だと思うが、さまざまな事情でそうなったのだろう。
ちょうど私が厚狭に来た数日前、参議院の山口選挙区選出の林芳正議員(元文部科学大臣)が、次の総選挙で山口3区に鞍替え立候補する意向を表明した。現職の河村氏(二階派)に鞍替えの林氏(岸田派)が挑む形で、派閥の代理戦争とも言われている。立候補をめぐって早速さまざま応酬が交わされているようだが、自民王国の山口県にあって果たして結果はどうなるだろうか。
宿泊した7月23日は東京五輪の開会式が行われた。これを書いている時はもう終わったのだが、私はその後の競技、閉会式を含めてテレビで観ることはなかった。今回の東京五輪の招致以来のグダグダぶり、そして昨今のコロナ禍の中での政府や東京など関係者の対応、さらにマスゴミの手のひら返し(かねてからの絶叫実況や偏向報道)、ダブルスタンダードにあきれ返っていて、五輪放送そのものを最初から嫌っていたので・・。
さて早朝、バイキング形式の朝食を取った後、7時すぎにチェックアウト。
ここまで来たのだからと国道2号線の下道、バイパスを通る形でひたすら走る。途中、周南市に入った「道の駅ソレーネ周南」で休憩、買い物を挟み、広島県に入って宮島口駅前近辺で多少渋滞していたが、スムーズに広島に戻ることができた。
こうして延々と下道を走ったことで、往路で利用した周防灘フェリーが、費用はかかるものの所要時間短縮に大きな役割をしているのだなというのを感じることができた。
次の九州西国霊場にはそう遠くないタイミングで出るだろうが、今から楽しみである・・・。