三重県を走るうちに視界が効かないほどの大雨に遭ったが、短時間でまた小降りとなり、雨が上がったところで目的地の神宮寺に到着した。
この神宮寺だが、カーナビで目的地を入れても出てこなかった。神宮寺という名前は各地にあるので目次にはずらりと並ぶが、なぜかここだけ出てこなかった。そこでふと、「丹生大師」と入れると一発で出てきた。地元では「丹生のお大師さん」として親しまれているそうで、こちらのほうが通りがいいのだろう。
山門は令和元年に修復を終えたばかりということで真新しい。四天門となっていて、道路側には仁王像、境内側には四天王のうち多聞天、持国天が祀られている。
参道がまっすぐ伸びていて、まずは弁財天を祀る池がある。その先は閻魔堂、その向かいは不動明王を祀る護摩堂である。
この先に本堂にあたる観音堂、そして薬師堂があるが、まずは参道の突き当りにある鳥居をくぐる。ここが丹生神社である。お察しのとおり、かつてはこの丹生神社と神宮寺は一つのもので、神仏習合の名残を見ることができる。丹生という言葉には水銀の意味があり、奈良時代、東大寺の大仏建立に必要な水銀の産出をこの地の神に祈ったところすぐに出てきたことから丹生明神という名がつけられた。後には伊勢神宮や紀伊藩主からの保護も受けたという。
神宮寺の境内に戻る。西国四十九薬師めぐりの本尊である薬師如来は薬師堂に祀られているが、ここはまず本堂にてお勤めとする。
こちら神宮寺に伝わる縁起では、奈良時代、弘法大師の師である勤操大徳が開いたという。後に弘法大師が伊勢神宮参拝の折にこの地を訪ね、自分の師が開いた寺であると知って、新たに伽藍を建てたという。現在の本堂は江戸時代の再建とあり、近世の真言宗の仏堂の正統的技術が保持されているという。
続いて薬師堂へ。他の建物に比べれば、「薬師如来も祀られていますよ」というくらいの扱いに見える。ともあれ、ここが札所めぐりの本尊ということでもう一度お勤めである。
本堂の奥に石段が続き、その横には回廊がある。ここを上ると弘法大師を祀る大師堂がある。丹生のお大師さんと呼ばれているのはこの大師堂で、こちらが本堂といってもいいくらいの雰囲気だ。
というわけで、ここでもお勤めとする。ふと見ると大師堂の扉に何枚もの名刺が差し込まれている。何かそういうことでご利益が授かるのだろうか。
大師堂の横には四国八十八ヶ所のお砂踏みがある。大正から昭和にかけて四国八十八ヶ所を3度巡拝した人が、札所から持ち帰った砂を奉納したとある。
こうした山中にといっては失礼だが、丹生大師の近辺は伊勢参宮の経由地の一つでもあり、また水銀の産出やそれを商う人たちが集まって門前町が形成された歴史がある。寺、神社のほうもさまざまな神仏を祀り、信仰を集めてきたのだろう。
客殿にある納経所に向かう。客殿の入口には公文式教室の幟が出ている。寺院の副業は珍しいことではないが、公文式とはまさに「寺子屋」のようだ。西国四十九薬師の他に、伊勢西国三十三観音、三重四国八十八ヶ所、そして東海三十六不動とさまざまな霊場の札所を兼ねている。西国と東海が交じり合うところが三重らしい。
そして、次の札所を選ぶくじ引きとサイコロ。神宮寺に来たことで大阪から極端に離れた札所はこれで終わり。この次出たところは、8月29日の京セラドームでの野球観戦とセットで、前日の28日に訪ねることになる。
1.橿原(久米寺)
2.京都(醍醐寺、法界寺プラス西国10番三室戸寺、11番醍醐寺)
3.大津(水観寺プラス西国14番三井寺)
4.阪神(久安寺、昆陽寺)
5.大阪(四天王寺プラス西国22番総持寺)
6.振り直し
今回、新たに「大津」という出目が加わった。当初、第48番の水観寺は第49番(結願)の延暦寺とセットで最後に訪ねるとしていたが、西国三十三所めぐり3巡目も進めておきたい。水観寺は三井寺の境内にあるので、延暦寺と切り離して先に訪ねることを考えて新たに出目に加えた。
そして出たのは・・「3」。水観寺が一発で当選である。となると、8月28日は大津にでも泊まって翌日大阪に向かうというルートになりそうだ。
神宮寺を後にして、栃原から国道42号線を南下することにする。まだ記載していなかったが、この日の宿泊地は熊野市。このまま下道を通っても日があるうちには着けそうだ・・・。