杵築から別府市街に入り、国道10号線沿いの中心部を過ぎる。これから本題の九州西国霊場めぐりで、まず目指すのは第7番の宝満寺。これまで英彦山、中津・宇佐、国東半島と回り、九州西国も次のステージに入ったようだ。
カーナビに従い、東別府駅近くで国道10号線から日豊線のガード下をくぐる。山の斜面に住宅が密集し、道幅が狭い中を行く。この宝満寺は東別府駅から徒歩15分ほどと、九州西国霊場の中でも珍しく?公共交通機関でアクセスできるところなのだが、ただ駅からはひたすら上りである。歩いたら汗だくになりそうだ。
別府市街を見渡す開けた一角に出る。ここに宝満寺がある。寺の前には「田の口」と書かれたバス停があり、日に数便やって来るようだ。寺の駐車場とは書かれていないが、寺の横に駐車スペースがあるので、こちらに停めさせてもらう。
門の脇には薬師如来、馬頭観音などの石像が並ぶ。いずれも別府市街、別府湾の方角を向いている。
石段を上がると山門があるが、門扉や仁王像などはなく簡素なもの。上がったところには本坊があるので、後に朱印で立ち寄ることにする。寺のお堂はこの上にあるようだ。
狭い坂を上る。「冥界の道」として、「餓鬼」「畜生」などの札が立つ。やがて「人間」となり、上るにつれて仏へと近づくようだ。そして最後は「菩薩」、「仏」である。そこでたどり着いたのが本堂の観音堂である。
本堂からの眺めはよく、「冥界の道」を抜けたご褒美のようでもある。
扉の鍵はかかっておらず、中に入ってのお参りができそうだ。
宝満寺は別府でもっとも古い寺と伝えられる。開いたのは例によって仁聞菩薩で、本尊の十一面千手観音像は聖徳太子の作という。鎌倉時代には大友氏の保護を受け、宇佐八幡の神宮寺だった弥勒寺の末寺として六郷満山ともつながりがあったそうだ。別府に来てもまだまだ六郷満山の影響は続くのかな。
その後兵火に遭うなどして一時衰退したが江戸時代の中期に再興し、現在地に移ったのは大正の頃という。
本堂の裏には石仏が並ぶ。中央に十一面千手観音があり、数からみれば西国三十三所の本尊が集まっているかと思うが、それだと数が足りない。この石仏のほうが、現在の本堂よりも先にあったのかなと推察する。
これで納経所に向かう。時刻は9時を回ったところ、納経の時間は問題ないだろう。納経所といっても普通の家屋の玄関で、インターフォンを鳴らす。ところが応答がない。扉に手をかけたが鍵がかかっている。ひょっとしてお留守かな・・。これもローカル札所ならではの出来事。
幸いにというか、この次の札所に向かった後、帰りも同じ国道10号線を通る。帰りにもう一度立ち寄ってみることにする。その時にいなければ・・また考えることに。
細道を下って国道10号線に出る。別府と大分を結ぶ区間で、海沿いの穏やかなところを走る。暑い中だが、歩道をジョギングする人も目立つ。ここは長い歴史を持つ別府大分マラソンのコース(2021年は延期)にもなっている。
うみたまご、高崎山の入口を過ぎ、田ノ浦ビーチに立ち寄る。別府湾の眺めがよく、市街地も遠くに見える。遊具も整備されていて家族連れで楽しむもよし、また木陰のベンチで海を眺めながらのんびり過ごすのもよし。
クルマは大分市に入り、第8番の霊山寺を目指す。今度は一転して山の中だ・・・。