7月31日、西国四十九薬師めぐりの2ヶ所を回り終え、これで三重県の札所はコンプリートとなった。翌日、西国三十三所めぐりとして那智の青岸渡寺を目指すにあたり、宿泊地への移動である。宿泊地は熊野市で、同じ三重県でも伊勢から紀伊へと国が移る。
国道42号線に沿って紀勢自動車道が走る。先ほど訪ねた神宮寺の近くに勢和多気インターがあるが、まずはそこを素通りして42号線を行く。また青空が戻ってきた。紀勢線の線路も見えるが列車がやって来る気配はない。
大紀町に入り、道の駅「木つつ木館」に立ち寄る。奥伊勢のさまざまな産品が売られている。
駐車場に隣接して鳥居があり、「瀧原宮」の文字がある。ちょっと行ってみることにする。
この瀧原宮は伊勢神宮の内宮の別宮である。先に、国道で奈良県の御杖村を通った時、垂仁天皇の皇女・倭姫が天照大神を祀る場所を探していたことに触れたが、伊勢のこの地にふさわしい場所を見つけ、新しい宮を建てた。後に天照大神は現在の伊勢神宮に移るのだが、その後も別宮として現在まで受け継がれている。
瀧原宮が内宮に似ているのか、あるいは内宮が瀧原宮を受け継いでいるのか、規模の違いはあるが、参道の風情もどこか通じるものがあるように見える。内宮には五十鈴川のほとりに御手洗場が設けられているが、こちら瀧原宮にも宮川の支流である頓登川が流れており、ここで手を清める。
奥には瀧原宮、瀧原竝宮(ならびのみや)、若宮神社、長由介神社という4つの宮があり、順番に手を合わせることになっている。
手前に同じくらいのスペースがあるのはひょっとしたら・・と思うと、瀧原宮でも伊勢神宮に準じて20年に一度式年遷宮を行っているとあった。現在の社殿は平成26年(2014年)に建てられたもので、まだ真新しい姿の社員が載るパンフレットと見比べると少しは年季が入ってきたのかなというところである。
こうした山の中に神が鎮座するというのも神秘的だとは思うが、もし伊勢神宮がずっとこの地にあったならば、後の世に一般庶民を含めてここまで伊勢参りがブームになることはあっただろうか。最寄りの紀勢線滝原駅まで松阪方面から線路が延びてきたのは大正時代の終わり頃だったが、さすがに近鉄がここまで線路を延ばして特急を走らせるなどということはなかっただろう。伊勢神宮が現在の地に移された経緯は諸説あるようだが、やはり今のところでよかったのではないかと思う。
さて、もう少し南下しよう。大内山、梅ヶ谷という力士のような駅名が続く地区を過ぎ、荷坂峠に差し掛かる。伊勢と紀伊の境である。熊野古道のスポットであるが、国道は坂道とトンネルで越えていく。
一気に峠を下り、道の駅「紀伊長島マンボウ」に到着。今「マンボウ」というとコロナ対策のあの言葉が連想されるが、ここのマンボウとはもちろん魚のマンボウのことである。この辺りはマンボウを食べる習慣があるそうで、道の駅の食堂でもマンボウ料理が提供される。残念ながら食堂はすでに閉店時間で、土産物コーナーには冷凍のマンボウ料理もあるが、旅の途中では持ち帰ることもできない。またそうしたものも味わいたいものだ。
この先尾鷲までは海岸をちらりと見る区間も走るが、尾鷲を過ぎると海べりの紀勢線に対して、トンネルと勾配で最短距離で熊野市を進む。すると再び空に雲が広がり、雨が落ちてきた。やはりこの日は不安定な天候である。紀勢自動車道の無料区間に入ったということで多くのクルマがそちらに向かったこともあり、交通量が少なくさびしく感じる中をひた走る。
尾鷲市から熊野市に入り、紀勢自動車道の現在の終点である熊野大迫インターと合流。ようやく海が見えてきた。18時を回ったところでこの日の行程を終了する。
この日の宿泊は、国道42号線沿いにある「ホテルなみ」。今回の三重・和歌山行きを7月31日~8月1日にしたのは、このホテルに宿泊するというのが決め手だった。熊野灘にも面したこの宿でとりあえず夜はゆっくり過ごすことに・・・。