まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第48番「水観寺」~西国四十九薬師めぐり・42(第14番「三井寺」~西国三十三所めぐり3巡目・30)

2021年08月25日 | 西国四十九薬師

広島から延々と青春18乗り継ぎでやって来た大津。京阪石山坂本線の三井寺で下車。途中の乗り継ぎ時間を含めると、自宅を出てすでに8時間近くかかった。

三井寺駅に「三井寺妖怪ナイト」の看板があるが、その上から「中止」のお知らせが貼られている。8月7日~9日の期間、夜の三井寺を妖怪がさまよう肝試しイベントだが、コロナの影響を受けての中止である。

少し雲が出てきた中を歩き、大門で拝観料を納めて境内に入る。三井寺は天智・天武天皇の頃からの歴史を持つ寺院だが、建物の多くは豊臣秀吉の桃山時代~江戸時代にかけてのものである。まずは右手にある食堂に向かう。現在は釈迦如来が祀られている。

そして本堂に当たる金堂へ。秀吉の正室・北政所により再建された建物で、本尊弥勒菩薩を祀る。この弥勒菩薩は用明天皇の時に百済から伝えられ、天智天皇も深く信仰したといい、三井寺が何度も兵火にさらされたり、秀吉の怒りをかって一時廃寺扱いになったりする中でも無事に残ったという。

靴を脱いで上がり、弥勒菩薩に手を合わせて外陣をぐるりと回る。三井寺を再興した智証大師円珍像や、平安時代以降の大日如来、不動明王など数々の仏像が四方を護るかのように祀られている。この金堂だけでも見ごたえは十分ある。

金堂の前に、近江八景の「三井の晩鐘」で知られる鐘楼がある。除夜の鐘で撞かれることで有名だが、平常でも撞くことはできるそうだ。ただ、鐘楼の前に行くと一撞き800円・・。さすがにいいかなと思う。

三井寺でもう一つ有名な鐘として「弁慶の引摺り鐘」がある。その昔、山門(比叡山)と寺門(三井寺)で争いがあった際、山門の修行僧だった弁慶がこの鐘を奪い、叡山まで引き摺って帰った。そして山門で撞いてみると「いのー、いのー(去のう、去のう)」と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と鐘を谷底に投げ捨ててしまった。

弁慶と言えば、三井寺のゆるキャラ「べんべん」の由来にもなっている。三井寺から見れば「敵方」だった比叡山の僧をゆるキャラにするのも妙な話だが、弁慶関連では他に門前の名物で「弁慶力餅」や「ひきずり鐘まんじゅう」というのもあるそうだ。三井寺にしても「引摺り鐘」伝説がある弁慶のおかげでずいぶん儲けさせてもらっているというところか。

引き続き、三重塔や唐院などを見ながら境内を歩く。それぞれのエリアが独立していてもいいくらいの規模だ。他にも文化財収蔵庫があるが、こちらはコロナ対策のため休館中(トイレのみ開放)だった。

さて、境内も進んできたところでいよいよ水観寺に入る。境内周辺には「三福神」の幟が目立つ。

水観寺は平安中期に明尊大僧正によって三井寺の別所寺院の一つとして創建された。三井寺には5つの別所寺院があったそうだ。京阪石山坂本線の三井寺の隣の駅である大津市役所前は数年前まで別所という名前で、水観寺もかつてはその辺りにあったようだ。

現在の水観寺の本堂は江戸時代前期の再建だが、1988年に現在地に移転してきた。結構最近のことで、その辺りの事情はわからないが、結果、別院寺院を三井寺の本体が吸収した形に見える。一体で管理しているのだろう。

本堂といっても小ぢんまりとしたもので、さしずめ三井寺の薬師堂といった感じである。その扉も開け放たれてオープンな雰囲気だ。本尊の薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将がまとまって祀られている。ここでお勤めとする。

そして、次の間には七福神のうち弁財天、大黒天、毘沙門天が並んで祀られている。元々は三井寺の金堂などで別々に祀られていたが、コロナ終息祈願として昨年の11月から水観寺に集めて公開しているという。薬師如来は病苦、災難から人々を救うとして信仰されていて、それに福をもたらすとしての取り組みである。この三福神をお目当てにお参りする人の姿も見られた。

納経所は独立してあり、西国薬師のバインダー式の朱印をいただく。第48番ということで「もう一周終わられるんですね」と声を掛けられる。いや実際はもう少し残っているのだが・・。

これで水観寺を回り終えたとして次の行き先を決めるサイコロにするところだが、今回はそのまま同じ三井寺の境内で西国三十三所の本尊である観音堂に行くので、それを終えてからにする。

石段を上がり、観音堂の前に出る。三井寺の駅から寺の境内を歩いただけだが、この日は蒸し暑く汗だくになる。観音堂は大津市街を見下ろす高台の上にあるので多少は涼しいかと思ったが、ほとんど変わらない。こちら観音堂は平安時代に創建され、室町時代に現在地に移された。現在の本堂は元禄期のものである。板張りの堂内にそのまま上がり、ここで観音経のお勤めである。

先達用の納経軸に重ね印が入る。これで西国三十三所3巡目も残すは第10番・三室戸寺、第11番・醍醐寺、そして第22番・総持寺の3ヶ所となった。そして、このうちどこで満願となるかは、西国四十九薬師めぐりの出方次第となる・・。

そして次の行き先を決めるサイコロの出目は、

1.大阪(四天王寺プラス西国22番総持寺)

2.橿原(久米寺)

3.阪神(久安寺、昆陽寺)

4.京都(法界寺、醍醐寺プラス西国10番三室戸寺、11番醍醐寺)

5.振り直し

6.振り直し

・・・観音堂から琵琶湖を見渡す展望台でのサイコロ(アプリ)。その結果は、「2」。この前に名張の弥勒寺を切り離されて残った橿原の久米寺である。西国三十三所めぐりがどこで満願になるかは、これでひとまずおあずけだ。

何やかんやで1時間以上三井寺に滞在し、気づけばそろそろ帰りの新幹線も気になるところ。そのまま三井寺駅に向かい、往路と同じびわ湖浜大津乗り継ぎで山科に戻る。帰路は新快速で新大阪に向かい、予定の新幹線に間に合った。

20番線はどこからともなく熱風が舞い込む感じで、「こだま」の入替作業を待つ間、実に暑い。その中で、バファローズのユニフォーム姿でキャリーバッグを持った人を見る。こんなところで珍しいな・・あ、そういえばこの日(8月8日)は京セラドームでエキシビションマッチ(対ベイスターズ)が行われていたっけ。連休を兼ねて大阪に来ていたのだろう。東京五輪の裏で、ましてや公式戦ではないので結果が報じられることもなく、どのくらいの人が観戦していたのだろうか。

余談だがこのエキシビションマッチ、広島でも何試合か組まれていて観戦できるのかなとチェックしていたが、結局一般販売はなく、年間指定席、あるいはファンクラブ会員からの抽選での招待制だった。

今回は17時32分発の「こだま865号」に乗車。500系使用で、6号車の旧グリーン車の座席を確保。そこそこの数の乗客がいる。

帰りの車内は在来線側の売店で買った缶チューハイをカップの氷でいただく。大阪府に緊急事態宣言が出ているために、新幹線改札内の売店ではアルコールの販売を休止している。以前、それで残念な思いをしたために在来線側で飲食物を仕入れた次第。

順調に各駅に停車し(岡山では19分停車)、広島に無事に帰還。この時は台風の影響はまだなく、そのまま帰宅できた。

そして翌日9日の朝、九州を通って来た台風9号が呉付近で再上陸、中国山地を縦断していった。この時も交通機関等への影響もあり、結局9日に出かけなくて正解だったのだが、ひどかったのがその後、13日以降の豪雨である。ひっきりなしに警報音が鳴るし、広島県内も(以前の広島豪雨や西日本豪雨ほどではなかったにせよ)土砂災害が発生した。私が住む同じ広島市西区でも、山の手の住宅では家屋の損壊もあった。

そして呉線、芸備線の一部はこの記事を書いている今でも運休で・・・。

コメント