今日はデイオフでした。
習い事しようかな。独りドライブもいいな。料理とか庭いじり始めるのも悪くないな。休みの日は、アレもしたいコレもしたいと、いろいろ楽しい夢想をするのですが…結局何ひとつ実行せぬまま、ダラダラと一日を無為に潰してしまうのが常となっているのでございます今日も外に一歩も出ず、自室にこもって録りだめしてたドラマ観てました♪
ああ~もっと上手に時間を使いたい。人生も残り少ない年齢になってるのでますます切実に思う。けれど…誰にも会わず気を使わず、ダラダラまったり孤独な時間を過ごすのが、とてつもなく幸せに感じているのもまた事実。このままじゃいけない!どっぷり浸かってる心地よいぬるま湯も、いつかは凍える冷水になる!と分かってはいるんですけど…
なので、夏休みは旅行にでも行こうかな~なんて思い立ってます。吉田修一の「路」読んだら、台湾に行きたくなった。また夢想で終わらなきゃいいけど
フランスの名匠+大女優映画祭③
「リディキュール」
「仕立て屋の恋」や「髪結いの亭主」などで日本でも人気のパトリス・ルコント監督初のコスチュームプレイ。
革命前のフランス。地方の領主ポンスリュドンは、干拓計画で起きた問題について陳述するため、ヴェルサイユ宮殿へ向かう。そこでは、王を取り巻く貴族たちが言葉遊びでエスプリを競いながら、熾烈で過酷な権力争いを繰り広げていた…
切ない男女の官能ドラマや男同士の友情もの、皮肉のきいたコメディなど、ルコトン監督は様々なテーマを扱った映画を作ってますが、この時代劇はそのすべてが含まれています。いつの時代も人間って、男と女って、愚かで悲しい滑稽な生き物…という真実を、華やかに軽やかにシニカルに描いている悲喜劇です。
言葉遊び。遊びといっても、そこには教養やセンス、人格が表れるため、恋愛や社会において自分の価値を認知させる手段にもなる。ヴェルサイユ宮殿のエスプリは、日本でいうと平安時代の和歌にようなものでしょうか。どちらも当意即妙さが必要不可欠。本当は優雅なはずの上流社会の言葉遊びは、野心や保身のための生臭い闘いにもなる。この映画は、文字通り地位も名誉も命さえも賭けた、フランス貴族たちの壮絶な茶番劇です。はっきり言って、何やってんのこいつらと呆れてしまいます。スティーヴン・フリアーズ監督の「危険な関係」もそうでしたが、ヒマと金を持て余したら人間ってロクなことしないよなあ、他にやることあんだろ、と羨ましいやら腹立だしいやら。宮廷人が、ほんとロクでもない連中ばかりなんです。華麗な衣装や化粧の下に隠してる、醜悪で腐りきった性根がおぞましいです。腹黒いこと、残忍なこと、悪知恵に富むこと、エゲツなく卑しすぎて笑えるほどです。汚らしい欲望や悪意、怨みが渦巻くヴェルサイユ宮殿は、まさに伏魔殿。
言葉遊びにうつつを抜かし血道をあげる貴族たち、はたから見れば滑稽そのものなのですが、本人たちは大真面目。失敗すれば何もかも失う命がけのゲームなので、軽薄さと深刻さが表裏一体のスリリングさに引き込まれます。それにしても。知識が豊富で頭の回転が速くないと生き残れない宮廷は、何だか日本のバラエティ番組とカブります。センスと瞬発力が必要なお笑いタレントも、ブレイクとサバイバルのために命がけでウケを狙ってるんだろうなあ。ウケれば天国、スベれば地獄。おちゃらけたバライティ番組も、実は殺伐とした決闘の場。何とかして自分だけ目立とう、何とかしてライバルが自分より劣って見えるようにしよう、というお笑いタレントたちのドス黒い胸の内が透けて見えて、心から笑えなくなってしまいます。
この映画の重要なテーマとなっている、エスプリについても考えさせられました。エスプリって、大ざっぱに言えば頭を使って人を“笑わせる”機知や知識を駆使した笑いなのでしょうか?おバカを装って人に“笑われる”のが、ハリウッドのコメディや日本のお笑いの主流ですが、頭の良さをひけらかすような気取ったウィットとかよりも、私は体を張ったギャグのほうが好きです。
ルコント監督らしい、ちょっぴりスケベなおっさん視点も随所に見受けられ、ニヤリとさせられます。キャストもシブく、個性あふれるキャラクターをそれぞれ好演しています。
主人公のポンスリュドン役は、シャルル・ベルリング。今はすっかり熟年俳優な彼ですが、映画デビューしたばかりだったこの作品では、さすがに若々しくてキビキビと溌剌した躍動感があります。魑魅魍魎、百鬼夜行なヴェルサイユ宮殿に迷い込み、妖怪どもに侮られながらも誇りを失わないキャラに好感。ポンスリュドンをサポートしてくれる老貴族役に、ルコント監督作の常連ジャン・ロシュフォール。軽妙かつ哀感ある演技はさすがです。
そして何と言っても、ヴェルサイユ宮殿の女番長みたいなバイヤック伯爵夫人役のファニー・アルダンの、強烈かつ魅惑的な存在感に圧倒されます。したたかに狡猾に権力を握り、他人を操り利用し弄ぶ悪女を、熟女の色気と毒気と貫禄たっぷりに快演してるファニーおばさま、思わず憧れてしまうほどカッコいい悪女です。「危険な関係」のグレン・クローズを彷彿とさせる魔女っぷりですが、冷酷で性悪すぎるグレンおばさんに比べるとファニーおばさまの悪女は、どこか茶目っけもあったり、若い女への嫉妬、褪せていく女の魅力への焦燥感や虚無感など、女のイヤらしさや哀しさがより人間的で、単なる悪役になってないところがトレビアンです。
習い事しようかな。独りドライブもいいな。料理とか庭いじり始めるのも悪くないな。休みの日は、アレもしたいコレもしたいと、いろいろ楽しい夢想をするのですが…結局何ひとつ実行せぬまま、ダラダラと一日を無為に潰してしまうのが常となっているのでございます今日も外に一歩も出ず、自室にこもって録りだめしてたドラマ観てました♪
ああ~もっと上手に時間を使いたい。人生も残り少ない年齢になってるのでますます切実に思う。けれど…誰にも会わず気を使わず、ダラダラまったり孤独な時間を過ごすのが、とてつもなく幸せに感じているのもまた事実。このままじゃいけない!どっぷり浸かってる心地よいぬるま湯も、いつかは凍える冷水になる!と分かってはいるんですけど…
なので、夏休みは旅行にでも行こうかな~なんて思い立ってます。吉田修一の「路」読んだら、台湾に行きたくなった。また夢想で終わらなきゃいいけど
フランスの名匠+大女優映画祭③
「リディキュール」
「仕立て屋の恋」や「髪結いの亭主」などで日本でも人気のパトリス・ルコント監督初のコスチュームプレイ。
革命前のフランス。地方の領主ポンスリュドンは、干拓計画で起きた問題について陳述するため、ヴェルサイユ宮殿へ向かう。そこでは、王を取り巻く貴族たちが言葉遊びでエスプリを競いながら、熾烈で過酷な権力争いを繰り広げていた…
切ない男女の官能ドラマや男同士の友情もの、皮肉のきいたコメディなど、ルコトン監督は様々なテーマを扱った映画を作ってますが、この時代劇はそのすべてが含まれています。いつの時代も人間って、男と女って、愚かで悲しい滑稽な生き物…という真実を、華やかに軽やかにシニカルに描いている悲喜劇です。
言葉遊び。遊びといっても、そこには教養やセンス、人格が表れるため、恋愛や社会において自分の価値を認知させる手段にもなる。ヴェルサイユ宮殿のエスプリは、日本でいうと平安時代の和歌にようなものでしょうか。どちらも当意即妙さが必要不可欠。本当は優雅なはずの上流社会の言葉遊びは、野心や保身のための生臭い闘いにもなる。この映画は、文字通り地位も名誉も命さえも賭けた、フランス貴族たちの壮絶な茶番劇です。はっきり言って、何やってんのこいつらと呆れてしまいます。スティーヴン・フリアーズ監督の「危険な関係」もそうでしたが、ヒマと金を持て余したら人間ってロクなことしないよなあ、他にやることあんだろ、と羨ましいやら腹立だしいやら。宮廷人が、ほんとロクでもない連中ばかりなんです。華麗な衣装や化粧の下に隠してる、醜悪で腐りきった性根がおぞましいです。腹黒いこと、残忍なこと、悪知恵に富むこと、エゲツなく卑しすぎて笑えるほどです。汚らしい欲望や悪意、怨みが渦巻くヴェルサイユ宮殿は、まさに伏魔殿。
言葉遊びにうつつを抜かし血道をあげる貴族たち、はたから見れば滑稽そのものなのですが、本人たちは大真面目。失敗すれば何もかも失う命がけのゲームなので、軽薄さと深刻さが表裏一体のスリリングさに引き込まれます。それにしても。知識が豊富で頭の回転が速くないと生き残れない宮廷は、何だか日本のバラエティ番組とカブります。センスと瞬発力が必要なお笑いタレントも、ブレイクとサバイバルのために命がけでウケを狙ってるんだろうなあ。ウケれば天国、スベれば地獄。おちゃらけたバライティ番組も、実は殺伐とした決闘の場。何とかして自分だけ目立とう、何とかしてライバルが自分より劣って見えるようにしよう、というお笑いタレントたちのドス黒い胸の内が透けて見えて、心から笑えなくなってしまいます。
この映画の重要なテーマとなっている、エスプリについても考えさせられました。エスプリって、大ざっぱに言えば頭を使って人を“笑わせる”機知や知識を駆使した笑いなのでしょうか?おバカを装って人に“笑われる”のが、ハリウッドのコメディや日本のお笑いの主流ですが、頭の良さをひけらかすような気取ったウィットとかよりも、私は体を張ったギャグのほうが好きです。
ルコント監督らしい、ちょっぴりスケベなおっさん視点も随所に見受けられ、ニヤリとさせられます。キャストもシブく、個性あふれるキャラクターをそれぞれ好演しています。
主人公のポンスリュドン役は、シャルル・ベルリング。今はすっかり熟年俳優な彼ですが、映画デビューしたばかりだったこの作品では、さすがに若々しくてキビキビと溌剌した躍動感があります。魑魅魍魎、百鬼夜行なヴェルサイユ宮殿に迷い込み、妖怪どもに侮られながらも誇りを失わないキャラに好感。ポンスリュドンをサポートしてくれる老貴族役に、ルコント監督作の常連ジャン・ロシュフォール。軽妙かつ哀感ある演技はさすがです。
そして何と言っても、ヴェルサイユ宮殿の女番長みたいなバイヤック伯爵夫人役のファニー・アルダンの、強烈かつ魅惑的な存在感に圧倒されます。したたかに狡猾に権力を握り、他人を操り利用し弄ぶ悪女を、熟女の色気と毒気と貫禄たっぷりに快演してるファニーおばさま、思わず憧れてしまうほどカッコいい悪女です。「危険な関係」のグレン・クローズを彷彿とさせる魔女っぷりですが、冷酷で性悪すぎるグレンおばさんに比べるとファニーおばさまの悪女は、どこか茶目っけもあったり、若い女への嫉妬、褪せていく女の魅力への焦燥感や虚無感など、女のイヤらしさや哀しさがより人間的で、単なる悪役になってないところがトレビアンです。