「Miss Julie」
19世紀末のアイルランド。夏至祭の夜、男爵の令嬢ジュリーは、召使のジョンを誘惑する。身分違いの現実に畏れおののきながらも、ジョンはジュリーと衝動的に関係を結んでしまう。だが、二人の間には何の共通点も分かち合えるものもなく、やがて暗い破局へと…
スウェーデンの作家ストリンドベリの代表作である戯曲「令嬢ジュリー」の映画化。イングマール・ベルイマン監督作品の常連で、彼の恋人でもあったリヴ・ウルマンが監督を手掛けています。静謐な雰囲気の中で、冷たくも激烈で生々しいドラマが展開される、という「叫びとささやき」や「秋のソナタ」などのベルイマン監督作品を彷彿とさせる映画になってます。舞台はスウェーデンからアイルランドに変更されています。
身分の違う男女の恋、とりわけ女が上で男が下であるパターンは、古今東西いろんな文学や映画、ドラマや漫画で描かれてきた格好のネタです。ほとんどが甘美で哀切なラブストーリーですが、この映画ときたら…とにかくルナティックでニューロティック、まさにカタストロフィ(小池百合子センセイを真似て、カタカナだらけ表現♪)で、ウゲゲのゲでした。
とにかく、ミス・ジュリーが怖い!初登場シーンで、あ!これはヤバい女だ!と誰もが身構えてしまう、絶対に関わりたくない、関わってはいけないオーラを妖気にように漂わせているヒロインです。ジョンを執拗に誘惑、靴をおなめなさい!とか命令したりするジュリーですが、タカビーだけど本当は寂しがりやなお嬢さま、なんて陳腐で可愛い女じゃないんですよ。ジュリーのジョンへの態度、言動は、驕慢とか誇り高いとかいったものではなく、高齢処女の病的な性的抑圧の発露、みたいな不気味さ、悲痛さが。
そんなヤバい高齢お嬢さまに迫られ、ダメです、いけません、おやめください、と逃げ回るジョンですが、悲しいかな男の性(さが)と弱さ…よせばいいのに、とうとうジュリーに屈してヤっちゃうんですよね~。
アメリカ映画でよくある、着衣のまま男はズボンのジッパーだけ下げてナニを出し、女は下着だけ脱いでアソコ出してヤる、というせっかちで横着なセックス。この映画ではセックスシーンは端折られてますが、事後のシーンが何とも生々しくて。出すもん出したら我に返り、オロオロと動転しながらナニを水差しの水で洗うジョン。うつろな様子で汚れたアソコを拭くジュリー。二人の不毛な関係を浮き彫りにしていました。
ヤっちゃった後が、これまた大変なことに。こっちが耳を塞ぎたくなるほど、憎悪と嫌悪にまみれた罵り合いを、二人はおっぱじめるんですよ。相手の心を殺そうとしているような侮辱と蔑み。私がどっちかだったら、黙れー!!と間違いなく刺し殺してますわ。ジュリーとジョン、まるで「欲望という名の電車」のヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドでした。どうしようもなく傷つけ合うジュリーとジョンに、何で冷静にならないのか、ロマンチックになれないのか、と不思議に思えてなりませんでした。そこがこの作品の重要なポイント、テーマなんですよね~。当時のスウェーデン、この映画ではアイルランド、などヨーロッパの厳格な階級制度。現代の庶民には理解できない、易々とは乗り越えられないシビアな格差やモラルがあったのですね。
ジュリーが絶望のあまり狂ってしまったのは、ジョンの愛を得られなかったからではなく、自分にとっては卑しい犬に等しい男に汚された、辱められた、という屈辱と自己嫌悪に打ちのめされてしまったからなのでしょう。とはいえ、彼女の選んだカタのつけかたは、やっぱ異常です。
ジョンの立場や心情も、当時の賤の男の悲しさ、卑屈さに満ちていて、愚かに思えつつも同情。ジュリーへの憧れや欲望は確かにありつつ、それを凌駕する憎しみや軽蔑が、あのような残酷な仕打ちに彼を導いたのでしょうか。まさに階級社会への怨念です。
ジュリー役は、今やハリウッドきっての名女優であるジェシカ・チャステイン。彼女、今回も怖すぎ。ほとんどホラーでした。神経症ちっくな狂態、ゾンビな虚無顔にドン引き。少女のようにか細い声は可愛いのですが、物狂おしい罵声はド迫力。馬面ニューハーフ顔なジェシカですが、この映画の彼女は今まで見た中でいちばん美人だったかも。ちなみに「令嬢ジュリー」は、若い頃のイザベル・アジャーニも舞台で演じたとか。イザベルのジュリーもスゴそう。
ジョン役は、大好きなコリン・ファレル
コリン、お仕着せの召使い衣装も似合ってて、カッコかわいかった彼はやっぱ、貴族よりも下男系ですよ。前半は強引なお嬢さまにオロオロタジタジ従順、バカにされても殴られてもガマンの子、迫られて困惑しつつハアハア悶えてるドMコリン、後半は強気になって攻めに出るドSコリン、どっちもチョベリグ(死語)ひざまずいて女の靴に口づけするコリンに萌え~。コリンみたいな男、服従させてみたいですね~。
コリンといえば、あの眉毛が今回も気になって。でも今となっては、あの独特な八の字眉毛も、コリンのチャームポイントですよね。こんなに長い台詞を喋るコリン、こんなに激情的な演技するコリン、初めて見たような気がします。舞台でもイケてそうなコリンですが、ジェシカ・チャステインのあまりの凄絶さに圧倒され飲み込まれていたような印象も。コリン、今度はロマンチックな恋愛映画に出て!
料理女役のサマンサ・モートンが、すっかり貫禄あるおばさんになってました。てっきりジョンのお母ちゃん役かと思ったし。ほぼ3人だけの登場人物、屋敷内だけで展開される映画で、まるで舞台劇みたいでしたが、森や庭園の自然も美しく撮られていました。
↑男汁出しまくりなコリンが好き先日発表されたゴールデン・グローブ賞のノミネーション、コメディ部門の主演男優賞に、「ロブスター」で候補入り!🎊まさかの受賞だった「ヒットマンズ・レクイエム」に続いて2度目の驚喜、あるでしょうか
19世紀末のアイルランド。夏至祭の夜、男爵の令嬢ジュリーは、召使のジョンを誘惑する。身分違いの現実に畏れおののきながらも、ジョンはジュリーと衝動的に関係を結んでしまう。だが、二人の間には何の共通点も分かち合えるものもなく、やがて暗い破局へと…
スウェーデンの作家ストリンドベリの代表作である戯曲「令嬢ジュリー」の映画化。イングマール・ベルイマン監督作品の常連で、彼の恋人でもあったリヴ・ウルマンが監督を手掛けています。静謐な雰囲気の中で、冷たくも激烈で生々しいドラマが展開される、という「叫びとささやき」や「秋のソナタ」などのベルイマン監督作品を彷彿とさせる映画になってます。舞台はスウェーデンからアイルランドに変更されています。
身分の違う男女の恋、とりわけ女が上で男が下であるパターンは、古今東西いろんな文学や映画、ドラマや漫画で描かれてきた格好のネタです。ほとんどが甘美で哀切なラブストーリーですが、この映画ときたら…とにかくルナティックでニューロティック、まさにカタストロフィ(小池百合子センセイを真似て、カタカナだらけ表現♪)で、ウゲゲのゲでした。
とにかく、ミス・ジュリーが怖い!初登場シーンで、あ!これはヤバい女だ!と誰もが身構えてしまう、絶対に関わりたくない、関わってはいけないオーラを妖気にように漂わせているヒロインです。ジョンを執拗に誘惑、靴をおなめなさい!とか命令したりするジュリーですが、タカビーだけど本当は寂しがりやなお嬢さま、なんて陳腐で可愛い女じゃないんですよ。ジュリーのジョンへの態度、言動は、驕慢とか誇り高いとかいったものではなく、高齢処女の病的な性的抑圧の発露、みたいな不気味さ、悲痛さが。
そんなヤバい高齢お嬢さまに迫られ、ダメです、いけません、おやめください、と逃げ回るジョンですが、悲しいかな男の性(さが)と弱さ…よせばいいのに、とうとうジュリーに屈してヤっちゃうんですよね~。
アメリカ映画でよくある、着衣のまま男はズボンのジッパーだけ下げてナニを出し、女は下着だけ脱いでアソコ出してヤる、というせっかちで横着なセックス。この映画ではセックスシーンは端折られてますが、事後のシーンが何とも生々しくて。出すもん出したら我に返り、オロオロと動転しながらナニを水差しの水で洗うジョン。うつろな様子で汚れたアソコを拭くジュリー。二人の不毛な関係を浮き彫りにしていました。
ヤっちゃった後が、これまた大変なことに。こっちが耳を塞ぎたくなるほど、憎悪と嫌悪にまみれた罵り合いを、二人はおっぱじめるんですよ。相手の心を殺そうとしているような侮辱と蔑み。私がどっちかだったら、黙れー!!と間違いなく刺し殺してますわ。ジュリーとジョン、まるで「欲望という名の電車」のヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドでした。どうしようもなく傷つけ合うジュリーとジョンに、何で冷静にならないのか、ロマンチックになれないのか、と不思議に思えてなりませんでした。そこがこの作品の重要なポイント、テーマなんですよね~。当時のスウェーデン、この映画ではアイルランド、などヨーロッパの厳格な階級制度。現代の庶民には理解できない、易々とは乗り越えられないシビアな格差やモラルがあったのですね。
ジュリーが絶望のあまり狂ってしまったのは、ジョンの愛を得られなかったからではなく、自分にとっては卑しい犬に等しい男に汚された、辱められた、という屈辱と自己嫌悪に打ちのめされてしまったからなのでしょう。とはいえ、彼女の選んだカタのつけかたは、やっぱ異常です。
ジョンの立場や心情も、当時の賤の男の悲しさ、卑屈さに満ちていて、愚かに思えつつも同情。ジュリーへの憧れや欲望は確かにありつつ、それを凌駕する憎しみや軽蔑が、あのような残酷な仕打ちに彼を導いたのでしょうか。まさに階級社会への怨念です。
ジュリー役は、今やハリウッドきっての名女優であるジェシカ・チャステイン。彼女、今回も怖すぎ。ほとんどホラーでした。神経症ちっくな狂態、ゾンビな虚無顔にドン引き。少女のようにか細い声は可愛いのですが、物狂おしい罵声はド迫力。馬面ニューハーフ顔なジェシカですが、この映画の彼女は今まで見た中でいちばん美人だったかも。ちなみに「令嬢ジュリー」は、若い頃のイザベル・アジャーニも舞台で演じたとか。イザベルのジュリーもスゴそう。
ジョン役は、大好きなコリン・ファレル
コリン、お仕着せの召使い衣装も似合ってて、カッコかわいかった彼はやっぱ、貴族よりも下男系ですよ。前半は強引なお嬢さまにオロオロタジタジ従順、バカにされても殴られてもガマンの子、迫られて困惑しつつハアハア悶えてるドMコリン、後半は強気になって攻めに出るドSコリン、どっちもチョベリグ(死語)ひざまずいて女の靴に口づけするコリンに萌え~。コリンみたいな男、服従させてみたいですね~。
コリンといえば、あの眉毛が今回も気になって。でも今となっては、あの独特な八の字眉毛も、コリンのチャームポイントですよね。こんなに長い台詞を喋るコリン、こんなに激情的な演技するコリン、初めて見たような気がします。舞台でもイケてそうなコリンですが、ジェシカ・チャステインのあまりの凄絶さに圧倒され飲み込まれていたような印象も。コリン、今度はロマンチックな恋愛映画に出て!
料理女役のサマンサ・モートンが、すっかり貫禄あるおばさんになってました。てっきりジョンのお母ちゃん役かと思ったし。ほぼ3人だけの登場人物、屋敷内だけで展開される映画で、まるで舞台劇みたいでしたが、森や庭園の自然も美しく撮られていました。
↑男汁出しまくりなコリンが好き先日発表されたゴールデン・グローブ賞のノミネーション、コメディ部門の主演男優賞に、「ロブスター」で候補入り!🎊まさかの受賞だった「ヒットマンズ・レクイエム」に続いて2度目の驚喜、あるでしょうか