師走のbeau garçon映画祭③
「ソーリー・エンジェル」
1993年のフランス。劇作家のジャックは、仕事で訪れたレンヌで大学生のアルチュールと出会い、二人は強く惹かれ合う。パリに戻ったジャックは、エイズで余命いくばくもない元恋人マルコを自室に引き取とる。一方アルチュールは、年下の恋人ができるもののジャックのことを忘れられずにいた…
久々にこれぞフランス映画!なフランス映画を観た感じ。同じクリストフ・オノレ監督の「ジョルジュ・バタイユ ママン」はあまり面白くなかったけど、この作品は佳かったです。ハリウッドのド派手な娯楽作も大好きですが、こういう人生の悲喜こもごもを誇張も飾りもなく描く映画も好き。あまりにも非ドラマティックで淡々としすぎると、かったるい退屈な映画になってしまいますが、この作品はがっつりBL映画ということで、そこはクリア。男たちの軽やかな恋愛と優しい友情、重く厳しい現実が、知的で軽妙な会話とセンスのいい音楽、ちょっと名作「男と女」を思い出させる流麗な演出、パリの街並みや地方の風景を美しく撮ったカメラワークで描かれていました。
フランス映画に出てくるパリのアパルトマンが好きです。決して豪華でも最新式でもないけど、外観の古めかしさが趣深く、室内のインテリアとかも高価なものではないけどナチュラルにおしゃれで、マネしたいな~といつも思ってしまいます。窓から見える景色も素敵。ジャックの病室の窓からの景色とか、とてもフォトジェニックでした。パリのレストラン、セーヌ川岸、橋の上etc.どこも絵になる。撮り方も、外国人が撮った観光地パリではなく、そこも生粋のフランス映画です。映画で見るパリって、こんな街で暮らしてみたいと思わせるけど、実際に行った時は騙された!とガッカリしたものです
90年代といえば、エイズの時代。当時は恐怖の死病として世界を震撼させ、ゲイへの差別偏見が激化、そしてゲイの権利を求める運動が盛んになった時代です。それらは数々の映画やドラマで描かれてきました。「BPM ビート・パー・ミニット」で主人公たちが参加したアクトアップもチラっと出てきますが、この作品ではそういうゲイの苦闘やムーブメントはほとんど描かれていません。あくまでその時代を駆け抜けたゲイたちの、自由と喪失の日々の物語です。
軽やかで奔放な恋愛には憧れますが、ハッテンバでセックスの相手を漁って不特定多数の相手と所かまわずヤるとか、それじゃあ病気にもなるよな~と呆れ戦慄さえする無謀さ、不用心さです。ジャックとアルチュールも出会った夜にヤルのですが、映画館での初めての出会いと、夜の街や公園を散歩しながら二人が交わす会話が洒脱でした。ちなみに観ていた映画は「ピアノ・レッスン」でした。芸術や哲学、人生を、インテリぶってではなくフツーに日常会話として話すのがカッコいい。でもそれはフランス人だからであって、日本の俳優がやると似合わないし鼻につくだけかも。ジャックとアルチュールはずっと友だち以上恋人未満のままで、その距離感とか駆け引きもフランス人っぽくて好き。二人とも相手にドハマリしないところが心地よかったです。
日本では考えられないほど、フランス人の自由なライフスタイルに驚かされます。ジャックには10歳ぐらいの息子がいて、その母親(元妻って感じではなかったけど)ともども同性愛を理解、ていうか、特別のことだと思ってなさそうなんですよ。ジャックも元カレに続いてエイズを発症し、余命いくばくもなくなるのですが、そんな中で出会ったアルチュールの若さの輝きは、救いでもあり苦痛でもあったのでしょうか。会いたいけど会わない、というジャックの態度は、大人の悲しい思慮だったのかな。軽やかに、時に愉快に物語は進行するのですが、ジャックがある選択をし実行に移そうとするラストは悲痛でした。何も知らずジャックからの連絡を待つアルチュールの姿も切なかったです。一緒に未来を歩める関係になれたはずなのに。天使の残酷なイタズラのような、二人の出会いと恋でした。
ジャック役は、「湖の見知らぬ男」でもゲイ役だったピエール・ドゥラドンシャン。地味イケメン。ルックスよりも、大人の優しさと落ち着きが魅力的。なにげないジャケットやシャツでも洗練してるところが、さすがフランス俳優。キムタクの悪趣味な“いい年してファッション”とは大違い。アルチュール役は、「アマンダと僕」での好演も忘れ難いヴァンサン・ラコスト。ファニーフェイスで可愛いんだけど、たまに吉岡秀隆、またはピーウィーハーマンに似て見てて主演二人ともスゴい脱ぎっぷりのよさ、ヤリっぷりのよさで、有名俳優がBLものをやるならあれぐらいは!と思う良い例でした。
↑ 地味イケメンのピエール・ドゥラドンシャン、邦画出演経験あり!某人気女優&俳優主演の大コケ映画ですが
「ソーリー・エンジェル」
1993年のフランス。劇作家のジャックは、仕事で訪れたレンヌで大学生のアルチュールと出会い、二人は強く惹かれ合う。パリに戻ったジャックは、エイズで余命いくばくもない元恋人マルコを自室に引き取とる。一方アルチュールは、年下の恋人ができるもののジャックのことを忘れられずにいた…
久々にこれぞフランス映画!なフランス映画を観た感じ。同じクリストフ・オノレ監督の「ジョルジュ・バタイユ ママン」はあまり面白くなかったけど、この作品は佳かったです。ハリウッドのド派手な娯楽作も大好きですが、こういう人生の悲喜こもごもを誇張も飾りもなく描く映画も好き。あまりにも非ドラマティックで淡々としすぎると、かったるい退屈な映画になってしまいますが、この作品はがっつりBL映画ということで、そこはクリア。男たちの軽やかな恋愛と優しい友情、重く厳しい現実が、知的で軽妙な会話とセンスのいい音楽、ちょっと名作「男と女」を思い出させる流麗な演出、パリの街並みや地方の風景を美しく撮ったカメラワークで描かれていました。
フランス映画に出てくるパリのアパルトマンが好きです。決して豪華でも最新式でもないけど、外観の古めかしさが趣深く、室内のインテリアとかも高価なものではないけどナチュラルにおしゃれで、マネしたいな~といつも思ってしまいます。窓から見える景色も素敵。ジャックの病室の窓からの景色とか、とてもフォトジェニックでした。パリのレストラン、セーヌ川岸、橋の上etc.どこも絵になる。撮り方も、外国人が撮った観光地パリではなく、そこも生粋のフランス映画です。映画で見るパリって、こんな街で暮らしてみたいと思わせるけど、実際に行った時は騙された!とガッカリしたものです
90年代といえば、エイズの時代。当時は恐怖の死病として世界を震撼させ、ゲイへの差別偏見が激化、そしてゲイの権利を求める運動が盛んになった時代です。それらは数々の映画やドラマで描かれてきました。「BPM ビート・パー・ミニット」で主人公たちが参加したアクトアップもチラっと出てきますが、この作品ではそういうゲイの苦闘やムーブメントはほとんど描かれていません。あくまでその時代を駆け抜けたゲイたちの、自由と喪失の日々の物語です。
軽やかで奔放な恋愛には憧れますが、ハッテンバでセックスの相手を漁って不特定多数の相手と所かまわずヤるとか、それじゃあ病気にもなるよな~と呆れ戦慄さえする無謀さ、不用心さです。ジャックとアルチュールも出会った夜にヤルのですが、映画館での初めての出会いと、夜の街や公園を散歩しながら二人が交わす会話が洒脱でした。ちなみに観ていた映画は「ピアノ・レッスン」でした。芸術や哲学、人生を、インテリぶってではなくフツーに日常会話として話すのがカッコいい。でもそれはフランス人だからであって、日本の俳優がやると似合わないし鼻につくだけかも。ジャックとアルチュールはずっと友だち以上恋人未満のままで、その距離感とか駆け引きもフランス人っぽくて好き。二人とも相手にドハマリしないところが心地よかったです。
日本では考えられないほど、フランス人の自由なライフスタイルに驚かされます。ジャックには10歳ぐらいの息子がいて、その母親(元妻って感じではなかったけど)ともども同性愛を理解、ていうか、特別のことだと思ってなさそうなんですよ。ジャックも元カレに続いてエイズを発症し、余命いくばくもなくなるのですが、そんな中で出会ったアルチュールの若さの輝きは、救いでもあり苦痛でもあったのでしょうか。会いたいけど会わない、というジャックの態度は、大人の悲しい思慮だったのかな。軽やかに、時に愉快に物語は進行するのですが、ジャックがある選択をし実行に移そうとするラストは悲痛でした。何も知らずジャックからの連絡を待つアルチュールの姿も切なかったです。一緒に未来を歩める関係になれたはずなのに。天使の残酷なイタズラのような、二人の出会いと恋でした。
ジャック役は、「湖の見知らぬ男」でもゲイ役だったピエール・ドゥラドンシャン。地味イケメン。ルックスよりも、大人の優しさと落ち着きが魅力的。なにげないジャケットやシャツでも洗練してるところが、さすがフランス俳優。キムタクの悪趣味な“いい年してファッション”とは大違い。アルチュール役は、「アマンダと僕」での好演も忘れ難いヴァンサン・ラコスト。ファニーフェイスで可愛いんだけど、たまに吉岡秀隆、またはピーウィーハーマンに似て見てて主演二人ともスゴい脱ぎっぷりのよさ、ヤリっぷりのよさで、有名俳優がBLものをやるならあれぐらいは!と思う良い例でした。
↑ 地味イケメンのピエール・ドゥラドンシャン、邦画出演経験あり!某人気女優&俳優主演の大コケ映画ですが