法華口駅を後にして向かったのは鶉野飛行場の防空壕です。ここは以前に行かれたことがあるCuteさんが先頭を走り案内してもらいます。法華口駅からは5分ほどで到着ですね。
以前にもこのブログで紹介した鶉野飛行場ですが、この飛行場は旧海軍航空隊の飛行場です。この飛行場から沖縄に向かって、九七式艦上攻撃機などの特攻隊が出撃しました。
また隣接して、紫電や紫電改を生産する川西航空機(現、新明和工業)の工場があり、鶉野飛行場を使ってテスト飛行が行われた後、各部隊に配属されました。
今回訪れたのは、防空壕というより米軍機からの攻撃を受けることから地下に設けられた司令部跡です。入口はこんな感じです。

鉄筋コンクリートで固められた階段を下りていきます。

最初の部屋です。天井から紫電改(RC機かな?)が天井から吊り下げられています。

大体、8畳ぐらいの大きさの部屋が二部屋あり、レンガ積みの壁で仕切られていました。こんな感じで資料が展示されています。


紫電改と、特攻機として使われた九七式艦上攻撃機の模型も置かれていました。

在りし日の鶉野飛行場での海軍機です。米軍機マークの紫電は、終戦後、調査のために米軍に引き渡されるのでしょう。

単なるジュラルミンの板のようですが、本物の紫電改の部品です。意外と厚みがありました。

左側の燃料タンクカバーの穴の部分は、空気抵抗を減らすために枕頭ビスで取り付けるようになっているのがお分かりでしょうか。
他には特攻隊員の遺書も展示されていましたが、さすがに撮影は出来なかったですね。沈んだ気持ちで防空壕を出ると、目の前には神戸大学農学部の牧場が広がっています。

柵の近くまで行って、足元の草をむしって振ると牛さんが私の方に近づいてきました。草を牛さんの口元まで出すと、私の手まで生暖かい舌でベロリと・・・(笑)。慌てて草を離すと、落ちた草をけなげに食べています。

さらに、他の牛さん達も、「僕にも頂戴」で近づいてきました。

牛さんと戯れた後、飛行場滑走路に到着です。

前述したとおり、この飛行場から特攻隊が出撃しましたので慰霊碑が建っています。

滑走路の状況です。写真に写っているのは、当時の1/2ぐらいの長さでしょうか。


滑走路の見学を終え、ここでranmaさん、310さん、takさんとはお別れです。また一緒に走りましょう。次に向かうは、飛行場に来襲する米軍機を撃墜するための対空機銃の銃座跡です。
滑走路から、大体、直線距離で200mぐらい離れたところにあります。バイクは道端にズラリと並べて駐車です。(Cuteさんのスカブが写っていませんし、まささんのグラマジェが切れているのはご容赦を)

道路から50mぐらい離れた田んぼの中に、こんもりと盛り上がったところが対空機銃の銃座跡でした。全景はこんな感じです。

滑走路から離れた位置にあるのは、滑走路に沿って攻撃する米軍機を長く捕捉するためでしょう。また機銃の迎角と照準の関係から、この位置がベストポジションだったと推測されます。
ここに座っていたのは「九六式二十五粍高角機銃」だと思います。参考までに写真をどうぞ。

横から入るようになっていますが、危険なことと雨水が貯まっているので進入防止柵が取り付けられています。

最近設置されたような太陽光パネルが・・・横からの通路は暗いので、照明用の電源でしょうか。

対空機銃の銃座跡の見学も終わり、いよいよ帰路とします。最後まで案内していただいたCuteさん、ありがとうございました。帰路はR175として、最後の休憩で小野の「ひまわりの丘公園」に到着です。そしてR175~第二神明で、適時、流れ解散となりました。


今回もお土産をいただきました。ありがとうございます。「me262a-1a」のステッカーはtakさんから、「そろばんビレッジ」のカードはグッチさんからです。

花粉とPM2.5で喉や鼻がムズムズしましたが、ぽかぽか陽気で楽しい一日となりました。また皆さん、走りに行きましょう。
以前にもこのブログで紹介した鶉野飛行場ですが、この飛行場は旧海軍航空隊の飛行場です。この飛行場から沖縄に向かって、九七式艦上攻撃機などの特攻隊が出撃しました。
また隣接して、紫電や紫電改を生産する川西航空機(現、新明和工業)の工場があり、鶉野飛行場を使ってテスト飛行が行われた後、各部隊に配属されました。
今回訪れたのは、防空壕というより米軍機からの攻撃を受けることから地下に設けられた司令部跡です。入口はこんな感じです。

鉄筋コンクリートで固められた階段を下りていきます。

最初の部屋です。天井から紫電改(RC機かな?)が天井から吊り下げられています。

大体、8畳ぐらいの大きさの部屋が二部屋あり、レンガ積みの壁で仕切られていました。こんな感じで資料が展示されています。


紫電改と、特攻機として使われた九七式艦上攻撃機の模型も置かれていました。

在りし日の鶉野飛行場での海軍機です。米軍機マークの紫電は、終戦後、調査のために米軍に引き渡されるのでしょう。

単なるジュラルミンの板のようですが、本物の紫電改の部品です。意外と厚みがありました。

左側の燃料タンクカバーの穴の部分は、空気抵抗を減らすために枕頭ビスで取り付けるようになっているのがお分かりでしょうか。
他には特攻隊員の遺書も展示されていましたが、さすがに撮影は出来なかったですね。沈んだ気持ちで防空壕を出ると、目の前には神戸大学農学部の牧場が広がっています。

柵の近くまで行って、足元の草をむしって振ると牛さんが私の方に近づいてきました。草を牛さんの口元まで出すと、私の手まで生暖かい舌でベロリと・・・(笑)。慌てて草を離すと、落ちた草をけなげに食べています。

さらに、他の牛さん達も、「僕にも頂戴」で近づいてきました。

牛さんと戯れた後、飛行場滑走路に到着です。

前述したとおり、この飛行場から特攻隊が出撃しましたので慰霊碑が建っています。

滑走路の状況です。写真に写っているのは、当時の1/2ぐらいの長さでしょうか。


滑走路の見学を終え、ここでranmaさん、310さん、takさんとはお別れです。また一緒に走りましょう。次に向かうは、飛行場に来襲する米軍機を撃墜するための対空機銃の銃座跡です。
滑走路から、大体、直線距離で200mぐらい離れたところにあります。バイクは道端にズラリと並べて駐車です。(Cuteさんのスカブが写っていませんし、まささんのグラマジェが切れているのはご容赦を)

道路から50mぐらい離れた田んぼの中に、こんもりと盛り上がったところが対空機銃の銃座跡でした。全景はこんな感じです。

滑走路から離れた位置にあるのは、滑走路に沿って攻撃する米軍機を長く捕捉するためでしょう。また機銃の迎角と照準の関係から、この位置がベストポジションだったと推測されます。
ここに座っていたのは「九六式二十五粍高角機銃」だと思います。参考までに写真をどうぞ。

横から入るようになっていますが、危険なことと雨水が貯まっているので進入防止柵が取り付けられています。

最近設置されたような太陽光パネルが・・・横からの通路は暗いので、照明用の電源でしょうか。

対空機銃の銃座跡の見学も終わり、いよいよ帰路とします。最後まで案内していただいたCuteさん、ありがとうございました。帰路はR175として、最後の休憩で小野の「ひまわりの丘公園」に到着です。そしてR175~第二神明で、適時、流れ解散となりました。


今回もお土産をいただきました。ありがとうございます。「me262a-1a」のステッカーはtakさんから、「そろばんビレッジ」のカードはグッチさんからです。

花粉とPM2.5で喉や鼻がムズムズしましたが、ぽかぽか陽気で楽しい一日となりました。また皆さん、走りに行きましょう。