新井駅も終わり、次に向かうは第二の目的地です。播但線から離れ西進し、播但道・朝来ICを超えると、こんな清流沿いのクネクネ道(R429)となります。
この日はあまりバイクとは出会わなかったのですが、バイク乗りの皆さんはクネクネ道をよくご存じのようで、やたらバイクを見かけるようになり、こんな小さな橋の近くにMT-03を停めます。
この橋は「羽渕鋳鉄橋」です。
橋の近くにあったパネルの画像をどうぞ。明治18年に架けられた橋です。かっては皇室財産である「ご紋章」が付けられていたことから、明治時代にあっては国家的資産であったことが伺えます。
やがて、こんな標識が目に入りました。第二の目的地とは「ムーセ旧宅」と「神子畑(みこばた)選鉱所跡」です。
「ムーセ旧宅」近くにMT-03を停めます。
「ムーセ旧宅」です。
「ムーセ旧宅」の解説は下記のパネルの画像のとおりですが、生野銀山での外国人技術者宿舎(邸宅。明治政府が建築)を移築したようです。
それでは内部に入ってみましょうか。移築されたことで内装が現在と同じクロス張りなのが興醒めですが、それでも窓枠などが年代を感じます。
道中に見た「羽渕鋳鉄橋」と同じ、鋳鉄橋の一部が展示されていました。
これが「羽渕鋳鉄橋」に付けられていたのと同じ「ご紋章」です。あまりに立派で驚きました。
「神子選鉱所跡」の全体模型も展示されています。
それでは「神子選鉱所跡」を見ましょうか。こんな案内看板が設置されています。
一番目を引くのは、巨大な漏斗であるシックナーです。
シックナーは2つありました。
やはり、この手のモノはモノクロが似合います。^^
「神子選鉱所跡」は規模が大きく、一枚の画像では収まりません。シックナーの反対側はひな壇になっており、画像左側の斜めに走っているのはインクラインと呼ばれるケーブルカーです。
この神子選鉱所ですが、当初は生野銀山と並んで銀鉱石を採掘していました。しかし後には、明延鉱山で採掘された鉱石を選鉱していたようです。
ここで「選鉱」の解説です。選鉱とは有用鉱物(金、銀、亜鉛、銅etc)を無価値成分から分離し回収する操作ですが、現在ではいくつかの方法があります。
①外観の差により人手によって選別する手選。
②比重を利用する比重選鉱。
③表面の濡れやすさの差による浮遊選鉱。
④磁性を利用する磁力選鉱。
⑤電気伝導度を利用する静電選鉱。
⑥放射能の差を利用する放射能選鉱。
この神子選鉱所は、山の上部から明神電車(一円電車)で明延鉱山から鉱石を運び、順次、ひな壇で上記①の手選別しながら下に降ろしていたと想像できます。そして最終的にはシックナーで、②の比重による選別をされていたのでしょう。
何にしても、これだけ大規模な選鉱所があったとは驚きです。明治時代以降、富国強兵のために外貨を稼ぐための国家施策だったことでしょう。その証が前述の「ご紋章」に現れています。
「神子選鉱所跡」には廃校になった小学校校舎や一円電車も展示されているのですが、暑くてバテバテ・・・僅か数百メートルを歩く元気も無く「神子選鉱所跡」を後にしました。また季節が良い頃(秋かな?)に再訪したいと思います。
「神子選鉱所跡」の次に到着したのは、駅巡り再開の生野駅。
続いて到着したのは長谷駅です。この駅を素通りするとグッチさんに怒られます(笑)。駅舎の前には軽1BOXが・・・クルマから降りられた人に「道に迷われましたか?」と話かけられました。^^
話しかけた方はJR西日本系列会社の方で、JR社員のOBさんでした。何でも定期的に駅舎の清掃をされているようで、この日は長谷駅から新井駅まで清掃されるそうです。こんな感じで清掃されていました。
何度も来ている長谷駅ですが、あらためてホームと駅名標です。長谷駅の平均乗車客数は、15人/日(2015年)という、兵庫県内ではベスト5に入る少なさでしょう。ちなみに1位は、加古川線・久下村駅の4人/日(2015年)だと思います。
ここはホームの西側です。今や空地となっていますが、かっては貨物線の引込ヤードでした。先ほどのJR社員のOBさんによると、大河内発電所建設の時には、貨物列車で大型資材がこの貨物ヤードに運び込まれたそうです。
突然、列車が近付くアナウンスが・・・慌ててホームに上がると、特急「はまかぜ」の通過でした。
JR社員のOBさんから「お気を付けて」のお見送りを受け、前回の播但線巡りの出発点となった寺前駅に到着です。この駅で、この日の駅巡りは完了です。
この日の天気予報は夜から雨との予報でしたが、既に雲の厚みは増している感じ・・・そんなところで播但道・神崎南ICから高速に乗り込み、一気に明石まで帰ってきました。そして番外の目的地である吉野家に到着です。(笑)
目的は、この時期恒例の鰻重です。さらに定番の漬物+味噌汁のBセットです(計820円なり)
しかし、穴子と見間違うぐらいの細い鰻に愕然!さらに好物の白菜の漬物も少なく・・・(涙)。間が悪かったのでしょうか。お味の方は十分に美味しかったので、日をあらためリベンジです。
今回で「あらためて播但線巡り」も完了です。やはり播但線の駅巡りは楽しく・・・それにしても神子選鉱所跡へのルートであるR429や、長谷駅から寺前駅へのルートであるK39は数多くのバイクが走っていました。
皆さん、交通量が少ないクネクネ道路をよくご存知です。しかし地元の方にとっては貴重な生活道路ですので、爆音を発しながらの強引な運転は控えたいものです。
この日はあまりバイクとは出会わなかったのですが、バイク乗りの皆さんはクネクネ道をよくご存じのようで、やたらバイクを見かけるようになり、こんな小さな橋の近くにMT-03を停めます。
この橋は「羽渕鋳鉄橋」です。
橋の近くにあったパネルの画像をどうぞ。明治18年に架けられた橋です。かっては皇室財産である「ご紋章」が付けられていたことから、明治時代にあっては国家的資産であったことが伺えます。
やがて、こんな標識が目に入りました。第二の目的地とは「ムーセ旧宅」と「神子畑(みこばた)選鉱所跡」です。
「ムーセ旧宅」近くにMT-03を停めます。
「ムーセ旧宅」です。
「ムーセ旧宅」の解説は下記のパネルの画像のとおりですが、生野銀山での外国人技術者宿舎(邸宅。明治政府が建築)を移築したようです。
それでは内部に入ってみましょうか。移築されたことで内装が現在と同じクロス張りなのが興醒めですが、それでも窓枠などが年代を感じます。
道中に見た「羽渕鋳鉄橋」と同じ、鋳鉄橋の一部が展示されていました。
これが「羽渕鋳鉄橋」に付けられていたのと同じ「ご紋章」です。あまりに立派で驚きました。
「神子選鉱所跡」の全体模型も展示されています。
それでは「神子選鉱所跡」を見ましょうか。こんな案内看板が設置されています。
一番目を引くのは、巨大な漏斗であるシックナーです。
シックナーは2つありました。
やはり、この手のモノはモノクロが似合います。^^
「神子選鉱所跡」は規模が大きく、一枚の画像では収まりません。シックナーの反対側はひな壇になっており、画像左側の斜めに走っているのはインクラインと呼ばれるケーブルカーです。
この神子選鉱所ですが、当初は生野銀山と並んで銀鉱石を採掘していました。しかし後には、明延鉱山で採掘された鉱石を選鉱していたようです。
ここで「選鉱」の解説です。選鉱とは有用鉱物(金、銀、亜鉛、銅etc)を無価値成分から分離し回収する操作ですが、現在ではいくつかの方法があります。
①外観の差により人手によって選別する手選。
②比重を利用する比重選鉱。
③表面の濡れやすさの差による浮遊選鉱。
④磁性を利用する磁力選鉱。
⑤電気伝導度を利用する静電選鉱。
⑥放射能の差を利用する放射能選鉱。
この神子選鉱所は、山の上部から明神電車(一円電車)で明延鉱山から鉱石を運び、順次、ひな壇で上記①の手選別しながら下に降ろしていたと想像できます。そして最終的にはシックナーで、②の比重による選別をされていたのでしょう。
何にしても、これだけ大規模な選鉱所があったとは驚きです。明治時代以降、富国強兵のために外貨を稼ぐための国家施策だったことでしょう。その証が前述の「ご紋章」に現れています。
「神子選鉱所跡」には廃校になった小学校校舎や一円電車も展示されているのですが、暑くてバテバテ・・・僅か数百メートルを歩く元気も無く「神子選鉱所跡」を後にしました。また季節が良い頃(秋かな?)に再訪したいと思います。
「神子選鉱所跡」の次に到着したのは、駅巡り再開の生野駅。
続いて到着したのは長谷駅です。この駅を素通りするとグッチさんに怒られます(笑)。駅舎の前には軽1BOXが・・・クルマから降りられた人に「道に迷われましたか?」と話かけられました。^^
話しかけた方はJR西日本系列会社の方で、JR社員のOBさんでした。何でも定期的に駅舎の清掃をされているようで、この日は長谷駅から新井駅まで清掃されるそうです。こんな感じで清掃されていました。
何度も来ている長谷駅ですが、あらためてホームと駅名標です。長谷駅の平均乗車客数は、15人/日(2015年)という、兵庫県内ではベスト5に入る少なさでしょう。ちなみに1位は、加古川線・久下村駅の4人/日(2015年)だと思います。
ここはホームの西側です。今や空地となっていますが、かっては貨物線の引込ヤードでした。先ほどのJR社員のOBさんによると、大河内発電所建設の時には、貨物列車で大型資材がこの貨物ヤードに運び込まれたそうです。
突然、列車が近付くアナウンスが・・・慌ててホームに上がると、特急「はまかぜ」の通過でした。
JR社員のOBさんから「お気を付けて」のお見送りを受け、前回の播但線巡りの出発点となった寺前駅に到着です。この駅で、この日の駅巡りは完了です。
この日の天気予報は夜から雨との予報でしたが、既に雲の厚みは増している感じ・・・そんなところで播但道・神崎南ICから高速に乗り込み、一気に明石まで帰ってきました。そして番外の目的地である吉野家に到着です。(笑)
目的は、この時期恒例の鰻重です。さらに定番の漬物+味噌汁のBセットです(計820円なり)
しかし、穴子と見間違うぐらいの細い鰻に愕然!さらに好物の白菜の漬物も少なく・・・(涙)。間が悪かったのでしょうか。お味の方は十分に美味しかったので、日をあらためリベンジです。
今回で「あらためて播但線巡り」も完了です。やはり播但線の駅巡りは楽しく・・・それにしても神子選鉱所跡へのルートであるR429や、長谷駅から寺前駅へのルートであるK39は数多くのバイクが走っていました。
皆さん、交通量が少ないクネクネ道路をよくご存知です。しかし地元の方にとっては貴重な生活道路ですので、爆音を発しながらの強引な運転は控えたいものです。