今日はお昼頃にMT-03のOIL交換を予約していたので、短い時間での出撃です。先ずは明石の大蔵海岸前のR28を東進し、
次にR2を東進し、神戸方面を目指します。少しだけ寄道ということで、キレイに再塗装された長田(まささん、お元気ですか?)の鉄人前で記念撮影。
再塗装されて、初めて来ました。前よりも濃いめの塗装です。鉄人の下のMT-03は豆粒のようです。^^
再塗装されても、誰かが鉄人の足に上がるようで・・・もうキズが付いています。せっかく再塗装されたのです。大事にしましょう。
結局、自宅から1時間ほどで目的地に到着です。ここは御影公会堂です。御影公会堂は戦前に建築された建物ですが、最近、リニューアルされたので行ってみました。
御影公会堂に来たのは、ジブリの「火垂るの墓」中で御影公会堂が登場することもあります。これが「火垂るの墓」での御影公会堂が登場するシーンです。
節子を背負った清太が歩いているあたりで撮影しました。アニメの世界ですが、「火垂るの墓」の清太と同じ場所に立つことが出来ました。
あらためて御影公会堂の全景です。今や周りには高層ビルが建ち並んでいますが、その中でも異彩を放っています。
それでは内部に入ってみましょうか。入口に至る階段や出入口は、おそらくリニューアル前のままでしょう。歴史を感じます。
リニューアルされてキレイですが、当時のデザインというか造形美が素晴らしいです。
階段手すりは、御影石が使われています。これも当時のオリジナルでしょう。
この御影公会堂のもう一つの魅力は、地下にある食堂です。それでは地下に降りてみましょう。地下には、御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーもあります。
嘉納治五郎といえば柔道で有名ですが、御影出身の方です。
御影公会堂の歴史と、御影の歴史を紹介する展示パネルもありました。
上の画像では見辛いので、一部をピックアップしての紹介です。御影公会堂は1933年(昭和8年)に建築されましたが、1945年(昭和20年)の神戸大空襲で内部を全焼したようです。前述の「火垂るの墓」で描かれた空襲でしょう。
これが終戦直後の御影公会堂の写真です。赤四角が御影公会堂ですが、周りは焼け野原です。そして青丸が、節子を背負った清太が歩いていたあたりでしょう。
そして2017年(平成29年)に、リニューアル工事が終わりました。
それでは、いよいよ食堂に・・・ここが食堂です。
メニューはこんな感じ。
人気のオムライスは800円(税込)です。
こんな注意書が・・・昭和8年当時の内装のようです。
開店5分前には、15人ぐらいの方がお待ちでした。
私は7番目でしたが、10分ぐらい待って名前を呼ばれました。席に付いて目に付いたのは、写真や昭和29年頃の資料です。先ず写真ですが、サングラスの方は「火垂るの墓」の原作者である野坂昭如さんです。来店されたんですね。
昭和29年ごろのメニューです。カレーライスが100円、コーヒーが50円という今では信じられないお値段です。
昭和29年当時のチラシです。
これが昭和29年の食堂内部の写真です。
これが現在・・・テーブルや椅子などが違いますが、ほとんど変わっていません。
時計も古い感じ・・・「NATIONAL」と書かれていますが、現在のPanasonic製ではありません。下には小さく「SEIKOSHA」(精工舎)と書かれていますので、昭和20~30年代ぐらいの時計でしょう。
サラダ・スープ付のオムライスセット(税込1,000円)をオーダーしました。先ずはサラダとスープが出てきて、
そして待望のオムライスが出てきました。サイズは「ボムの樹」のSSサイズぐらいで、小さ目です。
中はチキンの入ったケチャップ・ライスです。
オムライスの玉子の外面は固いですが、内部はフワフワ玉子です。シェフの職人技ですね。(汚い画像で申し訳ないのです)
さてお味の方ですが、いかにも「昭和」を感じるものです。割とあっさりとしたお味でした。美味しい・美味しくないという評価よりも、歴史を感じる食堂でシェフの腕前を感じるオムライスです。
最後にお店の名刺をいただき、御影公会堂を後にしました。ちなみに食堂前には、20人ほどのお客さんが入店をお待ちでした。人気店のようです。
1時間ぐらいで、行き付けのバイク屋さんのピットに到着です。
OIL交換と、ドライブチェーン調整etcで終了。納車後、一年を過ぎたので、ブレーキ関係や冷却水あたりも見ていただきましたが、全く問題無しでした。
山ほど積まれたカタログの中から、MT-10(絶対に買えない)とシグナスXのカタログを頂きました。^^
御影公会堂は、建物に時代を感じ、食堂は昭和の洋食屋さんでした。特に食堂は、ありきたりのファミレスに飽きた方はぜひどうぞ。
御影周辺は今でもお金持ちの大邸宅が多いですが、食堂でオムライスを食べていると、何か自分もその一人になったような気分を味わえます。^^
次にR2を東進し、神戸方面を目指します。少しだけ寄道ということで、キレイに再塗装された長田(まささん、お元気ですか?)の鉄人前で記念撮影。
再塗装されて、初めて来ました。前よりも濃いめの塗装です。鉄人の下のMT-03は豆粒のようです。^^
再塗装されても、誰かが鉄人の足に上がるようで・・・もうキズが付いています。せっかく再塗装されたのです。大事にしましょう。
結局、自宅から1時間ほどで目的地に到着です。ここは御影公会堂です。御影公会堂は戦前に建築された建物ですが、最近、リニューアルされたので行ってみました。
御影公会堂に来たのは、ジブリの「火垂るの墓」中で御影公会堂が登場することもあります。これが「火垂るの墓」での御影公会堂が登場するシーンです。
節子を背負った清太が歩いているあたりで撮影しました。アニメの世界ですが、「火垂るの墓」の清太と同じ場所に立つことが出来ました。
あらためて御影公会堂の全景です。今や周りには高層ビルが建ち並んでいますが、その中でも異彩を放っています。
それでは内部に入ってみましょうか。入口に至る階段や出入口は、おそらくリニューアル前のままでしょう。歴史を感じます。
リニューアルされてキレイですが、当時のデザインというか造形美が素晴らしいです。
階段手すりは、御影石が使われています。これも当時のオリジナルでしょう。
この御影公会堂のもう一つの魅力は、地下にある食堂です。それでは地下に降りてみましょう。地下には、御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーもあります。
嘉納治五郎といえば柔道で有名ですが、御影出身の方です。
御影公会堂の歴史と、御影の歴史を紹介する展示パネルもありました。
上の画像では見辛いので、一部をピックアップしての紹介です。御影公会堂は1933年(昭和8年)に建築されましたが、1945年(昭和20年)の神戸大空襲で内部を全焼したようです。前述の「火垂るの墓」で描かれた空襲でしょう。
これが終戦直後の御影公会堂の写真です。赤四角が御影公会堂ですが、周りは焼け野原です。そして青丸が、節子を背負った清太が歩いていたあたりでしょう。
そして2017年(平成29年)に、リニューアル工事が終わりました。
それでは、いよいよ食堂に・・・ここが食堂です。
メニューはこんな感じ。
人気のオムライスは800円(税込)です。
こんな注意書が・・・昭和8年当時の内装のようです。
開店5分前には、15人ぐらいの方がお待ちでした。
私は7番目でしたが、10分ぐらい待って名前を呼ばれました。席に付いて目に付いたのは、写真や昭和29年頃の資料です。先ず写真ですが、サングラスの方は「火垂るの墓」の原作者である野坂昭如さんです。来店されたんですね。
昭和29年ごろのメニューです。カレーライスが100円、コーヒーが50円という今では信じられないお値段です。
昭和29年当時のチラシです。
これが昭和29年の食堂内部の写真です。
これが現在・・・テーブルや椅子などが違いますが、ほとんど変わっていません。
時計も古い感じ・・・「NATIONAL」と書かれていますが、現在のPanasonic製ではありません。下には小さく「SEIKOSHA」(精工舎)と書かれていますので、昭和20~30年代ぐらいの時計でしょう。
サラダ・スープ付のオムライスセット(税込1,000円)をオーダーしました。先ずはサラダとスープが出てきて、
そして待望のオムライスが出てきました。サイズは「ボムの樹」のSSサイズぐらいで、小さ目です。
中はチキンの入ったケチャップ・ライスです。
オムライスの玉子の外面は固いですが、内部はフワフワ玉子です。シェフの職人技ですね。(汚い画像で申し訳ないのです)
さてお味の方ですが、いかにも「昭和」を感じるものです。割とあっさりとしたお味でした。美味しい・美味しくないという評価よりも、歴史を感じる食堂でシェフの腕前を感じるオムライスです。
最後にお店の名刺をいただき、御影公会堂を後にしました。ちなみに食堂前には、20人ほどのお客さんが入店をお待ちでした。人気店のようです。
1時間ぐらいで、行き付けのバイク屋さんのピットに到着です。
OIL交換と、ドライブチェーン調整etcで終了。納車後、一年を過ぎたので、ブレーキ関係や冷却水あたりも見ていただきましたが、全く問題無しでした。
山ほど積まれたカタログの中から、MT-10(絶対に買えない)とシグナスXのカタログを頂きました。^^
御影公会堂は、建物に時代を感じ、食堂は昭和の洋食屋さんでした。特に食堂は、ありきたりのファミレスに飽きた方はぜひどうぞ。
御影周辺は今でもお金持ちの大邸宅が多いですが、食堂でオムライスを食べていると、何か自分もその一人になったような気分を味わえます。^^