今日は天気が悪いし、息子が千葉から帰ってきて忙しく・・・そんなところで今回は遅くなりましたが、「東京へ家内と旅行です。」の最終編ということで、東京・上野恩賜公園にある国立科学博物館で展示されている、零戦21型を紹介しましょう。
先ずは、いろいろな角度からの全体です。
こんな紹介パネルが置かれています。
紹介のとおり、ニューブリテン島沖の海底から引き揚げられた零戦です。さらに「数機の部品を合わせて作られており、偵察用として2座席に改造されている」と紹介されています。
ここでのキーワードは「ラバウル」です。ラバウルとはラバウル航空隊(基地)のことで、緒戦から1943年頃までは海軍航空隊(一部、陸軍航空隊)の一大勢力でした。しかしガタルカナル島やニューギニア方面の戦いで、機材・搭乗員とも消耗します。
やがてアメリカ軍は反撃に転じ、ラバウル航空隊(基地)を通過しサイパン方面に進出。ラバウルは前線から後方に取り残された状況になり、機材の補給が止まるようになります。
そのような中、故障機や廃棄された機体から部品を集め、ラバウルの現地で造られたのがこの零戦です。ですから三菱や中島で正式に製造された機体ではありません。(主たるベースは中島飛行機製で、製造番号は31870とか)
零戦を紹介する、短いビデオも観ることができます。
それでは細部を見ていきましょう。ベースは初期の21型です。空母のエレベーターに乗せるため、主翼先端(50cm)が折り畳めるようになっています。これは21,22型の特徴です。
空母着艦時に用いる、着艦フックが付いています。大和ミュージアムの零戦62型には付いていませんので、現存する貴重な着艦フックです。
増槽。いわゆる増加燃料タンクです。容量は確か330L。最初の頃はアルミ製でしたが、戦争も終盤となると物資不足のため、ベニヤ板を曲げた木製となりました。勤労奉仕で女学生が作っている記録フィルムを、TVで観たことがあります。
補助翼(エルロン)の操作ロッドは外されています。
主脚から主翼の格納部分を見たところ。機体上面色もそうですが、どうも色目が私のイメージとは違うところです。機体上面色は、海軍機の暗緑色よりも陸軍機の暗緑色に近い感じ。主脚格納部分は若竹色ですが、これは白っぽい感じです。プラモのモデラーならお分かりでしょう。
スピンナとプロペラ、それにピトー管は新しいので、他の飛行機から流用されたか、新たに作られた感じです。
零戦は枕頭鋲と呼ばれる空気抵抗の少ないレベットが使われていますが、青四角部分はオリジナルの枕頭鋲で、黄色四角部分は復元の時に用いられた、現在のタッピングビスでしょう。
尾灯は、明らかに現在のアクリル板で造られた復元パーツです。
九九式20mm機銃の銃口です。カセット式弾倉でしたので、搭載弾数は60発でした。
主脚です。ブレーキ用油圧パイプや「くの字」のショックアブソーバーは復元されていますが、ご覧のように曲がっています。零戦自身はワイヤーで天井から吊られており、もはや主脚では機体を支えられないのでしょう。
最後にエンジンである「栄12型」を見ていきましょう。先ずは「栄12型」のスペックです。
製造社:中島飛行機(現、スバル)
形式:空冷2重星形14気筒
弁機構:OHV
ボア×ストローク:130mm×150mm
排気量:27.86L
全長:1,313mm
直径:1,150mm
乾燥重量:530 kg
圧縮比:7.2
燃料供給方式:キャブレター式
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段1速
離昇馬力:1,000HP / 2,550 rpm
公称馬力:980HP/ 2,500rpm(高度3,000m)
「栄12型」エンジン全体を左側から見たところ。
オイルクーラー(上部)とエンジン吸気口(下部)。エンジン吸気口の右上は、左側集合排気管。
エキパイは前列と後列との2in1。
赤丸は点火栓(プラグ)。各気筒シリンダーヘッドの、細かい空冷フィンが美しいです。
右側集合排気管。21型ですから、52型以降の推力式単排気管ではありません。
前側の星形7気筒の間から見える、後側の星形7気筒です。
たくさんの写真を撮ったのですが、このあたりで・・・さて総括というのも僭越ですが、個人的には「大和ミュージアムの零戦62型の方が、丁寧に復元されているなあ」でした。もっとも回収時の痛み方が違うので、単純には比較できないところです。
それでも大和ミュージアムの零戦は上からも見れますので、ミリタリー航空機ファンには嬉しいところ。ただ国立科学博物館の零戦21型は、貴重なラバウル改造機ですので、そういう意味では一見の価値は十分にあります。
先ずは、いろいろな角度からの全体です。
こんな紹介パネルが置かれています。
紹介のとおり、ニューブリテン島沖の海底から引き揚げられた零戦です。さらに「数機の部品を合わせて作られており、偵察用として2座席に改造されている」と紹介されています。
ここでのキーワードは「ラバウル」です。ラバウルとはラバウル航空隊(基地)のことで、緒戦から1943年頃までは海軍航空隊(一部、陸軍航空隊)の一大勢力でした。しかしガタルカナル島やニューギニア方面の戦いで、機材・搭乗員とも消耗します。
やがてアメリカ軍は反撃に転じ、ラバウル航空隊(基地)を通過しサイパン方面に進出。ラバウルは前線から後方に取り残された状況になり、機材の補給が止まるようになります。
そのような中、故障機や廃棄された機体から部品を集め、ラバウルの現地で造られたのがこの零戦です。ですから三菱や中島で正式に製造された機体ではありません。(主たるベースは中島飛行機製で、製造番号は31870とか)
零戦を紹介する、短いビデオも観ることができます。
それでは細部を見ていきましょう。ベースは初期の21型です。空母のエレベーターに乗せるため、主翼先端(50cm)が折り畳めるようになっています。これは21,22型の特徴です。
空母着艦時に用いる、着艦フックが付いています。大和ミュージアムの零戦62型には付いていませんので、現存する貴重な着艦フックです。
増槽。いわゆる増加燃料タンクです。容量は確か330L。最初の頃はアルミ製でしたが、戦争も終盤となると物資不足のため、ベニヤ板を曲げた木製となりました。勤労奉仕で女学生が作っている記録フィルムを、TVで観たことがあります。
補助翼(エルロン)の操作ロッドは外されています。
主脚から主翼の格納部分を見たところ。機体上面色もそうですが、どうも色目が私のイメージとは違うところです。機体上面色は、海軍機の暗緑色よりも陸軍機の暗緑色に近い感じ。主脚格納部分は若竹色ですが、これは白っぽい感じです。プラモのモデラーならお分かりでしょう。
スピンナとプロペラ、それにピトー管は新しいので、他の飛行機から流用されたか、新たに作られた感じです。
零戦は枕頭鋲と呼ばれる空気抵抗の少ないレベットが使われていますが、青四角部分はオリジナルの枕頭鋲で、黄色四角部分は復元の時に用いられた、現在のタッピングビスでしょう。
尾灯は、明らかに現在のアクリル板で造られた復元パーツです。
九九式20mm機銃の銃口です。カセット式弾倉でしたので、搭載弾数は60発でした。
主脚です。ブレーキ用油圧パイプや「くの字」のショックアブソーバーは復元されていますが、ご覧のように曲がっています。零戦自身はワイヤーで天井から吊られており、もはや主脚では機体を支えられないのでしょう。
最後にエンジンである「栄12型」を見ていきましょう。先ずは「栄12型」のスペックです。
製造社:中島飛行機(現、スバル)
形式:空冷2重星形14気筒
弁機構:OHV
ボア×ストローク:130mm×150mm
排気量:27.86L
全長:1,313mm
直径:1,150mm
乾燥重量:530 kg
圧縮比:7.2
燃料供給方式:キャブレター式
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段1速
離昇馬力:1,000HP / 2,550 rpm
公称馬力:980HP/ 2,500rpm(高度3,000m)
「栄12型」エンジン全体を左側から見たところ。
オイルクーラー(上部)とエンジン吸気口(下部)。エンジン吸気口の右上は、左側集合排気管。
エキパイは前列と後列との2in1。
赤丸は点火栓(プラグ)。各気筒シリンダーヘッドの、細かい空冷フィンが美しいです。
右側集合排気管。21型ですから、52型以降の推力式単排気管ではありません。
前側の星形7気筒の間から見える、後側の星形7気筒です。
たくさんの写真を撮ったのですが、このあたりで・・・さて総括というのも僭越ですが、個人的には「大和ミュージアムの零戦62型の方が、丁寧に復元されているなあ」でした。もっとも回収時の痛み方が違うので、単純には比較できないところです。
それでも大和ミュージアムの零戦は上からも見れますので、ミリタリー航空機ファンには嬉しいところ。ただ国立科学博物館の零戦21型は、貴重なラバウル改造機ですので、そういう意味では一見の価値は十分にあります。
それにしても、見事な空冷フィン・・・工業製品ではなく、芸術作品だと思いました~・・・(*o*)
この零戦に搭載された「栄」エンジンの空冷フィンも素晴らしいですが、もっとスゴイのは紫電改に搭載された「誉」エンジンです。私は実物の「誉」エンジンの空冷フィンを触ったことがありますが、非常に薄く手を切るのでは?を思うほど薄いフィンでした。
鋳造で製造するのは無理なので、一枚ずつ埋め込まれた空冷フィンです。バイクの空冷エンジンの比ではないですね。
シュミットさんのお得意の分野ですね!
私も何度か現物を見学しましたが
個人的感想で この機体はかなりの部分の
部品が複合型と申しましょうか?
見方を変えれば当時の戦局の苦しさが
表現されているレアなゼロ戦だとの印象でした。
機体レジが 53-122 なので間違いはないと
思いますが海底から引き上げられた状態が
とても悪かった様でかなりの部分でデフォルメ
された復元作業だと推測しました。
特にギア(車輪)関係ですがもしかして
実機は当時、フロートが装着されていたのでは?
とも邪推したりも致します。
http://a6m232.server-shared.com/page031011.html
どちらにしろ貴重なゼロ戦で
ある事は間違いないですね!
ご解説ありがとうございました。
リンク先のサイトはとても貴重ですね。と、同時に、この状況から現在の展示状態までレストアするのは超大変というか、仰るようにかなりの部分でデフォルメされたのは間違いないでしょう。その点、大和ミュージアムの零戦は一度レストアされてから、さらに精密な復元作業されているので、オリジナルにより近いのでしょう。
ギアの件ですが、零戦にフロートを付けた水上機タイプの二式水戦がありました。ラバウル方面にも配置されていたので、可能性は有り!です。
しかし零戦にスーパーチャージャーが装着されてるのにビックリでした。
オレンジ塗装は初見かも。
零戦のスーパーチャージャーですが、零戦に限らず当時の航空機には必需品でした。零戦の1段1速は初歩的で、2段2速ぐらいが標準レベルです。^^
ちなみに米軍の航空機は、排気ターボ付きが多かったです。こちらの方が構造的にもシンプルで・・・残念ながら敗戦国である日本やドイツは、ターボそのものの技術が未熟であり、排気タービンプレートに用いる耐熱性の高い金属も欠乏していました。(涙)
当時の塗料の耐久性は最悪で、南方戦線に配備された航空機はどれも一年ぐらいで、ジュラルミン地肌の銀色と濃緑色の「まんだら」になりました。(^^)
さらに戦争末期は「一斗缶で〇機塗れ」との指示のもと、薄めた塗料で塗っていましたので、スグに塗料は剥がれていたそうです。
錦江湾から引き揚げられたボロボロのゼロ戦も知覧で見学しました。霞ヶ浦を走っていたらていたらゼロ戦が見えたので思わず戻ってみたら、実物大の
レプリカでした。記念に作られたようです。
レプリカの零戦というか、旧日本陸海軍の戦闘機は各地で展示されているようです、大部分は映画の大道具として制作されたのを、撮影が終わり購入されたものですね。
来年の春には加西の鶉野飛行場で、紫電改レプリカの展示が始まるようです。貴重な紫電改ですから、撮影に行きたいものです。