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中島らも・鮫肌文殊『イッツ・オンリー・ア・トークショー』

2007-07-08 16:29:11 | ノンジャンル
 故中島らも氏と鮫肌文殊氏がゲストを呼んで舞台でトークショーをしたものを本にしたものです。吾妻ひでお氏が「2」の方を推薦していたので、「1」の方を先に読んでみました。
 室井祐月女史の前に男性陣タジタジの図があったり、らも氏がやたらケンカ越しで野坂昭如氏と今にもケンカが始まりそうでドキドキしたトークバトルが特に印象的でしたが、それ以外では、大村アトム「ガンジー(石原)さん、喪服は持ってはったんですけど、黒の革靴を持ってない。で、思い切りはって靴屋行ったんやけど、家にビーチサンダルしかなかったんで、喪服着て、ビーチサンダル履いて靴屋の人に『革靴ください』言うて。」(P.13)、鮫肌「僕ら、新宿のシアタートップスの舞台に出てましたからね。いま思うと信じられませんけど(笑)。リリパットが中華芝居を始めたときに、僕とガンジーさんが棒を振り回しながら戦うというシーンがあったんですけど、ボロボロで客席から失笑がもれてたもんね。アンケートに「あいつら誰や?即刻やめさせろ!」と書いてあって(笑)。旗揚げメンバーやっちゅうねん!」(p.26)、鮫肌「(前略)ガンジーさんがボコボコになったっていうと、日比谷野外音楽堂の話もあるじゃないですか。「じゃがたら」ってバンドのボーカルだった江戸アケミさんが亡くなったときの追悼ライブに行って。また、このオッサンが「じゃがたら」好きなもんやから、アホほど酒飲んでですね。「アケミー!」とか言うて一人で騒ぎまくってたんでしょうね。あまりほえるもんやから、横にいた客がブチ切れて「てめえ、うすせぇんだよ!」ってボカッと。」ガンジー「ベロンベロンやったから、なんも憶えてないんやけど(笑)。」鮫肌「気がついたら、ライブは終わってて。血まみれで横たわっていた、と。雨の野音ですよ。ザーザー降りで。」ガンジー「また見てきたようなことを。(笑)」(p.32)、ガンジー「おかげさんで。(髪の毛が)あっという間になくなりましたけど。美容室で『ロッド・スチュワートにして』って言ったことあるから。」らも・鮫肌「んっ‥‥(笑)」ガンジー「なにがおかしいの!」鮫肌「誰がロッド・スチュワートやねん!」ガンジー「わしや、わし!」らも「ヘラはいってきた(笑)」ガンジー「らもさん、なんて注文します?」らも「おれは昔の話やから、だーれも知らんと思うけど、『トワ・エ・モワみたいに』って。」鮫肌「それもかなりやね。(笑)」ガンジー「ほんで、ちょっと髪の毛も弱ってきたころ、『松山千春にして』って言うたわ。」鮫肌「いまの?」ガンジー「いや、『季節の中で』『長い夜』とか流行ってた頃。まだ髪の毛あってんけど、なんか妙にひかれるものがあってんね。」(P.50~51)、大槻ケンジ「僕はそんな鮫肌さんの気持ちがわかるというか、八○年代のパンク界では『人前で脱げる』『ウンゲロができる』っていうことでヒーローになれた時代があったんですよ。」鮫肌「そうですね。いま『プロジェクトX』で感動的なナレーションをしている田口トモロヲさんだって渋谷のライブハウス『ラ・ママ』のステージの上でウンコしてましたからね。」(p.64)、らも「おれが見た中で一番すごいケンカっていうのは、氷屋VSサラリーマン。氷屋は、鉤づめ持ってて、もう一方の手にはノコギリ持ってるわけよ。でも、その氷屋は気が弱いねん。サラリーマンの方は横山やすしみたいな感じの、昔ボクシングかなんかやってたみたいなヤツで。サラリーマンが飛びかかろうとすると、氷屋がオオッ!て声を出して相手を威嚇する。その戦いが約十二分続いた。」大槻「時間、計ってた!」らも「うん。」(p.69)大槻「俺、高校卒業した頃かな、「もう子供じゃない」ってモヒカンにしたんですね。ところが、斜めにズレちゃって。前だけ残して全部剃ったんですよね。そしたら、たこ八郎みたいになっちゃって(笑)。実家に住んでましたから、帽子をかぶって家族とごはんを食べてたんだけど、親父が黙って帽子をとったんですよ。食卓は見事にシーンと水をうったみたいに静まりかえりましたよね(笑)。そのあと近所で「大槻さんとこの息子はムショ帰りだ」とか「いや違う、あれは宗教だ」「「いや違う、あれはただのバカだ」って噂が飛び交ってたんだけど、三番目が正しかったんですね。しばらくいたたまれない日々が続きましたよ。」(p.74~5)
 これ以外にも笑える話、満載です。無条件でオススメです。