またまた昨日の続きです。
第12章では世界の総人口の5分の1に当たる約13億人を有する中国について論じられ、その環境問題、すなわち、大気汚染、生物多様性の喪失、農耕地の喪失、砂漠化、湿地の喪失、草地の劣化、人為的な自然災害の規模と頻度の拡大、外来侵入種、過放牧、河川水流の停止、塩性化、土壌浸食、ごみの集積、水の汚染と不足がグローバルな影響力を持って生じていること、全体的な人口調節には成功したが、世帯数の増加、急激な都市人口の増加は避けられていないこと、消費が急激な増加を示し、それがグローバルな環境破壊の圧力となっていることなどが語られます。
第13章では、オーストラリアの現状が語られ、もともと生産性の低い自然環境・他国との高い隔絶度・間違った選択肢の採用などのために、再生しない資源(鉱物の採掘、環境再生に不向きな自然環境下での過放牧による土壌浸食など)の利用によってしか国の経済が支えられなかったことが説明されます。
そして最後に、将来に向けての展望が語られます。
まず、第14章で社会が破滅的決断を下してしまうケースの分析が行われ、問題が生まれる前に、集団がそれを予期することに失敗するケース、実際に問題が生まれた後、それを感知するのに失敗するケース、人間間の利害衝突が生じて長期を見据えた決断が先送りされてしまうケース、また宗教上の動機が判断を誤らせるケース、過去の価値観にしがみついて失敗するケース、最初に問題を感知して訴え出た人が一般庶民の反感を買うというケース、同一人物の短期と長期の動機が衝突してしまうケース、群集心理によって誤るケース、心理的拒絶を示すケースなどなど、考えられるすべてのケースが列挙されます。そして、勇敢な指導者と勇敢な国民(著者はケネディの時代を例として挙げています)がいれば、こうしたケースを回避できるのではと希望を述べています。
以下、第15章では大企業と環境の関係、第16章でグローバルに環境問題を解決していくことについて、著者なりの楽観と悲観が述べられます。
個々の文明崩壊の説明は、前著『銃・病原菌・鉄』と同じく、具体的なもので説得力に富み、読んでいて飽きさせないものでしたが、最後の結論部分において、私はやはりマッド・リドレーの『繁栄』と比較してしまいました。リドレーはあくまで人類の将来に向けて楽観的な態度を採っていたのですが、ダイアモンドは希望は持てるが、可能性としては低い(つまり人類はいずれ環境問題が原因で絶滅する、あるいは生活レベルを極端に下げて、わずかな人口で生き残る)と本著で結論づけています。私はダイアモンドがこれまでの時間軸にしたがって物を考えているのに対し、リドレーが現在実現しつつある、加速度的科学進歩へ言及している点で、リドレーの論の方により説得力があるように感じました。皆さんはいかがお考えでしょうか?
P.S この本は上下巻合わせて600ページを超える大著です。読んでる途中で投げ出したくなった方には、段落の頭だけ読んで、意読する手もあることをお伝えしておきます。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
第12章では世界の総人口の5分の1に当たる約13億人を有する中国について論じられ、その環境問題、すなわち、大気汚染、生物多様性の喪失、農耕地の喪失、砂漠化、湿地の喪失、草地の劣化、人為的な自然災害の規模と頻度の拡大、外来侵入種、過放牧、河川水流の停止、塩性化、土壌浸食、ごみの集積、水の汚染と不足がグローバルな影響力を持って生じていること、全体的な人口調節には成功したが、世帯数の増加、急激な都市人口の増加は避けられていないこと、消費が急激な増加を示し、それがグローバルな環境破壊の圧力となっていることなどが語られます。
第13章では、オーストラリアの現状が語られ、もともと生産性の低い自然環境・他国との高い隔絶度・間違った選択肢の採用などのために、再生しない資源(鉱物の採掘、環境再生に不向きな自然環境下での過放牧による土壌浸食など)の利用によってしか国の経済が支えられなかったことが説明されます。
そして最後に、将来に向けての展望が語られます。
まず、第14章で社会が破滅的決断を下してしまうケースの分析が行われ、問題が生まれる前に、集団がそれを予期することに失敗するケース、実際に問題が生まれた後、それを感知するのに失敗するケース、人間間の利害衝突が生じて長期を見据えた決断が先送りされてしまうケース、また宗教上の動機が判断を誤らせるケース、過去の価値観にしがみついて失敗するケース、最初に問題を感知して訴え出た人が一般庶民の反感を買うというケース、同一人物の短期と長期の動機が衝突してしまうケース、群集心理によって誤るケース、心理的拒絶を示すケースなどなど、考えられるすべてのケースが列挙されます。そして、勇敢な指導者と勇敢な国民(著者はケネディの時代を例として挙げています)がいれば、こうしたケースを回避できるのではと希望を述べています。
以下、第15章では大企業と環境の関係、第16章でグローバルに環境問題を解決していくことについて、著者なりの楽観と悲観が述べられます。
個々の文明崩壊の説明は、前著『銃・病原菌・鉄』と同じく、具体的なもので説得力に富み、読んでいて飽きさせないものでしたが、最後の結論部分において、私はやはりマッド・リドレーの『繁栄』と比較してしまいました。リドレーはあくまで人類の将来に向けて楽観的な態度を採っていたのですが、ダイアモンドは希望は持てるが、可能性としては低い(つまり人類はいずれ環境問題が原因で絶滅する、あるいは生活レベルを極端に下げて、わずかな人口で生き残る)と本著で結論づけています。私はダイアモンドがこれまでの時間軸にしたがって物を考えているのに対し、リドレーが現在実現しつつある、加速度的科学進歩へ言及している点で、リドレーの論の方により説得力があるように感じました。皆さんはいかがお考えでしょうか?
P.S この本は上下巻合わせて600ページを超える大著です。読んでる途中で投げ出したくなった方には、段落の頭だけ読んで、意読する手もあることをお伝えしておきます。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)