gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』

2011-07-20 04:56:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督の'73年作品『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』をスカパーの東映チャンネルで見ました。赤い手袋、赤いマスク、そして「風紀」の腕章をした女子高生たちが、一人の女子高生を半裸にして腕に注射針を差し込み、じわじわと血を抜き取り殺そうとします。死の恐怖から暴れ出した被害者の女子高生は屋上に逃げますが、結局追いつめられて転落死します。地面の血だまりに砂をかけて後片付けをする一般女子高生たち。現れた名和宏に対して、警察はうまく処理しておきますからと言って立ち去り、名和宏は校門をガラガラと閉めさせます。赤字でタイトル。とここまで見て、先を見ることを断念しました。以上のような陰惨な冒頭シーンに辟易したのと、その直後に登場した主演の杉本美樹さんの表情も今一つ冴えないように思えたからです。池玲子さんや杉本美樹さんを主演にした『女番長』シリーズや『恐怖女子高校』シリーズが、本作を最後に姿を消すこととなったのもうなずけるような気がしました。

 さて、2010年日本翻訳出版文化賞を受賞した、トマス・ピンチョンの'97年作品『メイスン&ディクスン』を読みました。
 「1763年から4年間にわたって、歴史上の実在人物メイスンとディクスンがアメリカ大陸を測量しながら旅した日々の記録『The Journal of Charles Mason and Jeremiah Dixon』を種本とし、そこにあることないことをつけ加えて(細かいところになるほど「ないこと」優勢だが)、真剣な話も滑稽な話も形而上的な話も下世話な話もリアルな話も幻想的な話もごっちゃにシャッフルして出来上がった、きわめて壮大な〈もうひとつの歴史〉が、二人の主人公に寄り添う形で展開されていくのが本書です。そしてそれを読んだ者は『とにかく二人の「いい」奴と一緒に長い時を過ごしたなあ』という、よく出来たヴィクトリア朝小説のような、きわめて古典的な満足を得ることができます。
 メイスンとディクソンの名は、ペンシルヴェニアの植民者とメリーランドの植民者との間の境界線紛争を解決するために、両者の依頼を受けて、アメリカ大陸に線を引いた人物として歴史上知られ、結果的にはこの線が、南北戦争以前は自由州と奴隷州を区切る線として機能し、その後も人種差別をめぐる暗い歴史を象徴する線として何かにつけて引き合いに出されることとなりました。したがって、本書でも、線を引くこと自体の孕む悪というものが大きなテーマとなっているのですが、こうしたシリアスなテーマはドタバタや悪ふざけを通してでしか生きた形で浮かび上がってこないということを、実例をもって示したのがまた本書であるとも言えるでしょう。」
 と、ここまでは訳者である柴田元幸さんのあとがきから引用させていただきました。この本は上下巻合わせて1100ページを超える大著であり、柴田さんがやはりあとがきで述べているように、種本にしたがって18世紀英語を模し、大文字を多用した文体が基調をなしているらしく、柴田さんによる訳文も、わざと古風な文体で書かれていて、丹念に一文一文読んでいかないと、内容が頭になかなか入って来ず、私は最初の60ページに至ろうとするところで、先を読むのを断念してしまいました。がその一方で、柴田さんがあとがきで本書のバックグランド・ミュージックとして推奨している、マーク・ノップラーとジェイムズ・テイラーの『Sailing to Philadelpia』(この本からインスピレーションを得て作られた曲なのだそうです)をYouTubeで探して聞きながら、柴田さんの書いたあとがきを読んでいると、それだけでこの大著を楽しんだ気になることもできました。いずれ改めて、時間をたっぷりかけて、再びこの本の読破に挑戦してみたいと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/