gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

木皿泉『晩パン屋』その1

2014-05-01 07:24:00 | ノンジャンル
 WOWOWライブの『洋楽主義』でボブ・ディランの回を見ましたが、彼の原点がウディ・ガスリーで、NYでデビューし、公民権運動と反戦運動の中でポピュラーになっていったことを初めて知りました。

 さて、'13年に刊行された文藝別冊・KAWADE夢ムック『総特集・木皿泉 物語る夫婦の脚本(これまで)と小説(これから)』に収録されている、木皿泉さんの短篇作品『晩パン屋』を読みました。
 昼間の「晩パン屋」は「明日、あります」という分厚い札がぶら下がっているだけだが、そろそろ暗くなろうかという頃になると、やっと入口が開いて小さなあかりが灯り、焼き上がったパンがガラスのケースに並びはじめる。来る客はさまざまで、近所の年寄りが寝る前に明日のパンを買いに来るのを皮切りに、塾へ行く子供の虫やしない、今から仕事に向かう人、仕事を終えて帰ってくる人の夕食に、と客が途切れることはない。店主は若い男で20代後半に見え、みんなは「ツバサさん」と呼んでいた。ツバサにはコトブキという弟がいた。コトブキ自身も実の弟だと信じきっていたが、実は三歳の時、ツバサに拾われてきていた。ツバサは、もう250年ほど生きている、吸血鬼とよばれるたぐいのものだった。
 飛行機の搭乗待ちをしているとき、空港ロビーを走り回っていたのがコトブキだった。彼は自分の真後ろの席に乗ってきた。その飛行機は墜落し、ツバサはコトブキを抱き止め、彼ら2人だけが助かり、ツバサは救助隊が来る前に去ろうとすると、コトブキは必死に彼を追ってきた。人間の子供など連れていくことはできないと思いながら、ツバサはコトブキを連れて現場を去った。
 夜中の2時半を過ぎる頃、「晩パン屋」の客足は少し落ちつき、ツバサは休憩のため少し外に出る。吸血鬼は同じ場所に百年以上いてはいけないという。桜の寿命もまた百年ほどなので、ツバサは新しい土地に来ると、まず桜の木を植えた。その桜の木がここ数年、あまり花をつけなくなってきている。「でも、コトブキがなぁ」とツバサは思う。
 店に戻ると、高校の制服をどこで脱いだのか、見たことのないジャケットを着たコトブキが戻ってきた。バンドの練習と本人は言っているが本当のところはわからない。中学二年あたりからか? それまでは明るくて、いつもフニャフニャ笑っていて、幸せな匂いをふりまいていたコトブキが、見るからに面白くなさそうな顔をし、こちらが何を言っても「ん」としか返事をしなくなった。話を合わせるために、コトブキが夢中のゲームをし、マンガも読んでみたが、どれも殺伐としたものだった。なぜ目の前の人間(ツバサのこと)の気持ちをおもんぱかったり、いたわったりせずに、仲間と呼ぶ同級生にばかり気をつかうのか。
 2番目のピークである早朝の客たちが途切れた頃、ようやく夜が明ける気配になる。大急ぎで片付けをし、それでもたいてい朝になってしまい、長袖のシャツをはおり、サングラスをかけ、息を止めて、外に飛び出し、「明日、あります」の札を表の扉の把手に引っかけ、急いで浴室に飛び込み、冷たいシャワーを浴びる。すでに露出した肌はヤケドの一歩手前の状態で、赤くほてっている。外に出て札をかけるだけなのに、毎朝命がけである。最初はパン屋なんてとてもできないと思っていた。経験もないし、料理などしたこともない。だが小さいコトブキのためなら何でもできると思えたのは、なぜだろう。今でも、その気持ちは変わらない。
 次の日、ツバサは久しぶりに京都に住む吸血鬼の竹月を訪ねた。彼は好きになった人間の蕗子さんと住んでいるが、蕗子さんは今年で81歳になり、死期が迫っていて、竹月は蕗子さんの死を見取るつもりでいる。竹月は百年のルールのことに言及し、「オレたち、すでに良くないことが起きてるのかもな。だって、こんなに苦しいこと今までにあったか?」と言う。確かにそうだった。コトブキと会うまでは、好きな場所に好きなだけ居る、という気ままな日々だった。そして惜しいことをしたと地団駄踏んだり、悔しいと泣くほど怒ったり、ひーひー苦しみながら笑ったりすることは、コトブキと暮らしてからだった。死んでいく人の世話や、誰かを食べさせるために働くことは、苦しいことではなく、むしろ喜びだった。二人は、いつの間にか、そんなことに気づき、それを失うことの苦しさを味わうようになってしまっていたのだ。(明日へ続きます‥‥)

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/