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ビル・エヴァンスの誕生日

2008-08-16 16:16:47 | ノンジャンル
 北京オリンピックでの卓球女子団体、日本対香港。福原選手の無邪気な応援や福岡選手の線の細さに惹かれたりしましたが、何といってもサーブ前の平野選手の表情が、ブルース・リーの戦い前の鋭い目つきそっくりで、スゴイと思いました。次戦の韓国戦に勝てば、日本初の卓球でのメダル。目が離せません。

 さて、今日はジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスの生誕79年目の誕生日です。1929年8月16日アメリカ・ニュージャージー州プレインフィールドに生まれ、6才でピアノを始め、13才で兄ハリーの代役でバンドに初めて加わり、ハイスクール時代に兄とバンドを結成。17才でアルバイトでジャズを演奏し、大学卒業後、プロ活動を開始します。'58年、29才の時、白人で初めてマイルス・デイヴィス・グループに参加。'59年、30才の時、ベーシストのスコット・ラファロと出会い、ピアノ中心ではなく、ピアノ・ベース・ドラムスが対等に演奏しあう新しい形のジャズ・トリオを実現するも、'61年にスコット・ラファロを自動車事故で失い、ショックのため、しばらくピアノが弾けなくなります。'66年、36才の時、父ハリー・L・エヴァンスが亡くなり、'73年日本公演が終わった直後、子供ができなくて離婚を申しだされていた妻のエレインが電車への飛び込み自殺。'75年、46才の時、初めての子供エヴァンに恵まれますが、'79年、49才の時、兄のハリーが自殺し、'80年9月9日、麻薬による肝硬変で入院しなけらばいけない体にもかかわらず演奏を続け、演奏後病院に担ぎこまれますが、亡くなります。享年51才でした。
 このように、ビルの人生は周囲の人々の死にむしばまれ、最後にはそれに負けるように、ほとんど自殺のような形で死んでいます。これはビルの曲またはアルバムに、死者に対するトリビュート曲が多く見られることに繋がっていますし、彼のソロ演奏の澄み切った音色にも表れているように思います。
 また、彼の演奏が実質的には'59年に始まり、新しいジャズの形を実現した点は、映画におけるヌーヴェル・ヴァーグの持つ意味と重なり、不思議な偶然を感じます。これはアントニオ・カルロス・ジョビンがボサノヴァを始めた年にも一致します。
 最近、テレビCMでもビルの「ワルス・フォー・デビー」が取り上げられているように、ビルの復権が見られる気がします。多くの人に今改めてビルを発見してほしい、そんな思いの私です。
 もしビル・エヴァンスに興味のある方は、このサイトの「Favorite Music」の中にある「Bill Evans」のところをご覧ください。

なぜこれがバリアフリーコンサート?

2008-08-15 16:00:05 | ノンジャンル
 北京オリンピックの女子ソフトボールチームのセカンド、ショート、センターというフィールドの中心を守る3人は、我が家からすぐの厚木商業高校のOGです。地元出身の選手の応援をする初めての機会に恵まれています。

 さて、先日、厚木文化会館で行なわれたバリアフリーコンサートというのに行ってきました。理由は私自身が障害者なので、どんなコンサートが行なわれるのだろうという好奇心と、全米大会で優勝したことのある厚木高校のチアリーディングを生で見てみたいと思ったからです。
 さて、オープニングの白龍太鼓は以前にも見て素晴らしさを知っていたので、今回も堪能しました。問題は次の速水けんたろうコンサートです。
 速水さんが「ダンゴ三兄弟」を歌っていた元歌のお兄さんであることは知っていました。しかし、そのコンサートが完全に子供向けのファミリコンサートとは知りませんでした。いきなり走ってきて登場し、「みんな、元気かなー!」で始まり、お遊戯とかけ声を強制(?)しながら進むコンサートは大人一人で来ていた私にはそれはそれは居心地の悪いコンサートでした。舞台の前に踊れるスペースが設けられていて、知的障害の人が踊っていて、そのうまさにビックリし、ダウン症の人は運動に関しては不自由ではないんだと認識を新たにできたのが唯一の収穫と言えるでしょうか。厚木高のチアリーディングも動きのキレは感じましたが、期待外れでした。
 でも、バリアフリーのコンサートが何で子供向けコンサートになってしまうのか、未だに謎です。知的障害の人に的を絞ったコンサートなのかもしれませんが、車椅子で来ている人たちには大人の人もたくさんいましたし、髪が白い人も何人かいました。そういった人も知的障害なら子供向けコンサートが楽しめるのでしょうか? 疑問です。
 私が付き合いのある障害者はほとんどが精神障害者なので、知的障害に関しては知らないことが多過ぎます。先日も脳に器質障害のある人が知的障害で、ない人が精神障害なのか、と仲間の精神障害の人に聞いてみましたが、結局分からずじまいでした。少なくとも私がデイケアを利用させてもらっている精神病院の入院患者の中にダウン症の人はいません。その辺のことを改めて勉強し直さないといけないな、と思いました。

高野秀行『アジア新聞屋台村』

2008-08-14 15:14:00 | ノンジャンル
 日本は体操男子団体で銀を取りましたが、その演技の高度さに驚きました。以前は10点満点だったのが、今は15点台の点数が出るほどになっています。とても人間技とは思えない素晴らしさでした。

 高野秀行さんが'06年に出した「アジア新聞屋台村」を読みました。台湾人の若い女性・劉さんが経営するエイジアンという会社が発行するタイ語と日本語で書かれた新聞にコラムの執筆を頼まれた著者が、エイジアンで出会う人々や出来事について書いた本です。
 著者がオフィスに行くと、日本にいるタイ人、台湾人、ミャンマー人、インドネシア人、マレーシア人とそれぞれの国に興味を持つ日本人に向けて、それぞれの言葉と日本語からなる5紙の新聞が作られていて、日本人のスタッフが一人もいないことから日本語で書かれた記事におかしな日本語が多く見られることから、著者は自ら5紙の日本語の部分の校閲をするようになりますが、それまで編集長もいなければ会議を開いたこともない会社に戸惑い、著者は無意識のうちに会社の日本化をしていこうとします。
 社長の劉さんはエネルギッシュな人ですが、安定した収入がある仕事は退屈だといって放り出し、一獲千金を目指して自前の電話会社を作ったり、いろんなことに手を出しては失敗しますが、明るさを失いません。そんな劉さんに著者はあきれながらも、惹かれていきます。
 スタッフにも個性溢れる人が多くいて、日韓問題に敏感で、仕事のまとめ役であり、著者が淡い恋心を抱く美人だが姉御肌の韓国人、大金持ちの息子のインテリのインドネシア人、やはり大金持ちの娘でインテリのタイ人、敬虔なイスラム教徒のインドネシア人らが登場します。
 そして著者は最後に次のようなことに考え至ります。「日本に最も欠けているもの、それは選択肢なのだ。会社でも家庭でも学校でもボランティア活動でも、日本の集団というのは価値観が著しく集約されている。その価値観から外れると、はじきだされる。
 集団を離れても自力でやれる強い人はいい。だが、集団にはついていけず、かといって一人でやっていける強い人はそう多くない。たいていの人は弱いのだ。
 そういう群れからはぐれた人たちの選択肢となりうるのがエイジアン人なのである。
 日本人みんながエイジアン人になったら、それは困る。しかし、エイジアン人は社会からこぼれたものを拾い上げる力がある。(中略)
 今までも十分、エイジアン的に生きてきたが、このときあらためて私は決意した。
 私は私の培ってきたエイジアン魂で生きていこう、と。」
 なぜ著者がこういう気持ちになったのかは、「日本人同士は同質性のなかにわざわざ差異を探すのが得意だが、外国人同士は異質性のなかに共通項を探していく。(中略)そのなかに入れば、とても気楽に仲間が見つけられる。」ことに気付いたからです。
 最近頻発する無差別殺人の容疑者の供述を聞いても、彼らがすごく疎外感を感じていることが分かります。彼らのそばにエイジアン魂を持った人がいてくれれば、彼らも犯罪を犯さなくて済んだかもしれません。そんなことも考えさせてくれ、また楽しませてもくれる、とてもお得な本がこの本です。ぜひ書店で手に入れられることをオススメします。

あきれた五輪中継

2008-08-13 16:28:23 | ノンジャンル
 先日、NHKのアナウンサーが五輪の個人戦の結果を知らせる際に、1位はちゃんと選手名で紹介していたのに、「2位は中国、3位はアメリカ」と紹介していたのを聞いて、唖然としてしまいました。
 冷戦時代は共産主義諸国が国威発揚のためにオリンピックを利用していたのは周知の事実ですが、その頃からオリンピックを政治的に利用しないようにしようという意見が度々出されていたにも関わらず、日本の主要新聞は国別メダル獲得数を報道し続け、最近ではそうした意見も聞かなくなってしまいました。「参加することに意義がある」という言葉も今では死語なのでしょうか?
 おそらく選手の名前を言う時間がなかったのだとは思いますが、それなら「2位以下はご覧の通りです」と言った方がどれほど良かっただろうと思います。もし自分が2位や3位の選手だったとして、「2位は日本です」と報道されたとしたら、いい気持ちはしないでしょう。
 チーム競技は国別にチームが編成されるため、国威発揚となるのは仕方がないこととは思いますが、それでもやってる選手たちは国のためと言うよりも、応援してくれてる人たちのため、チームメイトのため、家族のためといった気持ちの方が強いのではと想像します。柔道の内柴選手は息子さんのために戦っていましたよね。もちろん国のためという気持ちが一番強い選手もいるとは思いますが‥‥。
 それより、右よりの政治家が日の丸、君が代の強制を主張する時に、オリンピックの表彰式で揚がる日の丸や君が代のことに言及しますが、これは国への従属の強制を正当化することとは全く別のことだと思います。
 選手がオリンピック前のインタビューで「楽しんでやりたい」と言うようになった今、選手同士の戦いの場としてオリンピックを捕え直す必要が出てきているのではないでしょうか? そんなことを考えさせてくれたNHKアナウンサーの一言でした。(と書いてるそばから、またNHKのアナウンサーが個人戦の結果を「銀はアメリカ、銅は中国」と言っていました。)

ジャ・ジャンクー監督『一瞬の夢』

2008-08-12 18:10:04 | ノンジャンル
 トリノ五輪でのカーリングの本橋選手を追いかけて見たように、女子バトミントンダブルスの「オグシオ」で有名な潮田選手を追いかけようと思っていたのですが、昨日負けてしまいました。次は福原愛選手を応援しようと思います。

 さて、WOWOWでジャ・ジャンクー監督が'97年に撮った長編第一作「一瞬の夢」を見ました。
 メガネ姿の若者・ウーはバスに乗りますが、警官だと言って切符代を払おうとはしません。街では犯罪の取締りを強化するという放送が流されています。結婚を期に地域開発に寄付するという若い実業家ヨンをテレビクルーが撮影しています。ウーは配達人がすられた財布の中の身分証を見つけてくれと頼まれ、仲間で財布をすったという男に捨てた身分証を探せと命じます。ウーは身分証を依頼人に返し、そこへ来た警官から更正するように言われます。ヨンはウーを結婚式に呼べば、自分が元スリだったことがバレると思い、ウーを呼ばないと知人に話します。ウーはヨンと一緒に北京に来た時、ヨンが結婚する時には大金を祝い金として包むと約束していたので、ヨンを訪ね祝い金を渡そうとしますが、ヨンは汚れた金は受け取れないと言って受け取らず、ウーは無理矢理祝い金を置いて帰ります。ヨンへのインタビュー番組を見るウーとヨン。カラオケ屋で女の子・メイメイに促されても歌わないウーは、女店主に女の子がなってないと難癖をつけ、女店主はメイメイに朝までウーに付き合えと命じます。メイメイは田舎に電話しますが、親には映画女優をしていることになっているらしいことが分かります。美容室にもウーは付き合い、メイメイは店に帰りますが、別れ際にウーの頬にキスします。ウーは街をさまよい、またカラオケ屋に行きますが、メイメイは病気で休んでいました。ウーは見舞いに行き、彼女が欲しがっている湯たんぽを買って来ると、メイメイはウーのリクエストに応えて歌い、あなたも歌ってという彼女にライターから流れるメロディーを聞かせると、メイメイは頭をウーの膝に乗せます。銭湯で歌うウー。カラオケ屋でメイメイとウーが歌っていると、ヨンの使いが金を返しに来ます。メイメイはウーに彼氏になってと言い、ウーも受け入れます。幸福な日々の中、ウーは婚約指輪を買い、カラオケ屋に行きますが、メイメイは客と姿を消していました。ウーは母に指輪をやりますが、母はウーの兄の彼女にやってしまいます。ウーは万引きしているところを捕まり、警官に所持品を全部押収され、手錠をかけられます。テレビではウーの逮捕が報じられ、市民の喜びの声が流されます。メイメイからウーのポケベルに「幸運を祈る」と送られてきます。町中でワイヤーに手錠で繋がれたウーは、多くの人々の見せ物になるのでした。
 ジャ・ジャンクー監督がまだ映画学校の学生の時に製作した作品で、全編ロケ、出演者も素人だと思われます。常に街の音が背景に流れ、逆光で撮られたシーンが目立ち、画面の粒子の粗さもドキュメンタリーのようでした。現代の中国でこれだけ生々しく犯罪者を描いた映画というのも珍しいと思います。ジャ・ジャンクー監督の他の作品も見たくなる、そんな映画でした。オススメです。