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新しい時代を切り開くために

2006-07-19 | 市民のくらしのなかで

 私のお祖父さんは、大橋 孝(よし)と言う。向日市史に名前が出ている。

「孝」の弟に「大橋五郎」と言う人がいた。

その兄弟の父は、大橋七郎右衛門といい  母はモトといった。
 

   97歳の私の母からすると、五郎さんは叔父さんになる。時々この叔父さんのこと

を話してくれる。   また五郎さんが書いた1枚の文書が、私の手元にある.
 

  五郎さんの肩書きは、「学習院教授正六位」である。母は、数学の先生だったと

言っている.また、四国でなくなったのだが、お葬式の時、天皇からしきみ(白布)がき

たと言っていた。
 

1枚の紙と言うのは、この五郎さんが大橋家先祖代々のお墓のあるお寺(福島県)を

廻って書き上げた系図である。
 

  年代がハッキリしているのは、応永(1394~1424)17年 旧、福島県伊達郡

小国村大字上小国に開創せる「小国寺」の開創以来の檀家である.当時ここには7

軒しか人家はなく、大橋家は、同寺の開創に際し、建築物その他種々の物品を寄進

したと記録があると言う.

   さらに、何故この地にきたのか、大橋と言う姓がどうしてつけられたのか、もっと先

祖は誰なのかにまでさかのぼって書かれている。不明な年代のところが何故不明な

のか、当時の時代背景も書かれている。
 

 福島に「常泉寺」と言う寺があり、そこにも大橋家の墓がある。東京の叔母さん・母

の妹のご主人(養子)がなくなった時、その寺から10何代目の坊さんがわざわざ出て

きたのを思い出す。私も参列し写真を写した。
 

    一度五郎さんが作った系図を持って、その足跡をたどろうと思っている。
 

 小国寺があるところを霊山と言うがその名も書かれている。この町の町長は共産

党で大橋と言うひとだった。一度メールを打ったが返事がない、ここにも行きたいと

思っている。

コメント (2)
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