私のお祖父さんは、大橋 孝(よし)と言う。向日市史に名前が出ている。
「孝」の弟に「大橋五郎」と言う人がいた。
その兄弟の父は、大橋七郎右衛門といい 母はモトといった。
97歳の私の母からすると、五郎さんは叔父さんになる。時々この叔父さんのこと
を話してくれる。 また五郎さんが書いた1枚の文書が、私の手元にある.
五郎さんの肩書きは、「学習院教授正六位」である。母は、数学の先生だったと
言っている.また、四国でなくなったのだが、お葬式の時、天皇からしきみ(白布)がき
たと言っていた。
1枚の紙と言うのは、この五郎さんが大橋家先祖代々のお墓のあるお寺(福島県)を
廻って書き上げた系図である。
年代がハッキリしているのは、応永(1394~1424)17年 旧、福島県伊達郡
小国村大字上小国に開創せる「小国寺」の開創以来の檀家である.当時ここには7
軒しか人家はなく、大橋家は、同寺の開創に際し、建築物その他種々の物品を寄進
したと記録があると言う.
さらに、何故この地にきたのか、大橋と言う姓がどうしてつけられたのか、もっと先
祖は誰なのかにまでさかのぼって書かれている。不明な年代のところが何故不明な
のか、当時の時代背景も書かれている。
福島に「常泉寺」と言う寺があり、そこにも大橋家の墓がある。東京の叔母さん・母
の妹のご主人(養子)がなくなった時、その寺から10何代目の坊さんがわざわざ出て
きたのを思い出す。私も参列し写真を写した。
一度五郎さんが作った系図を持って、その足跡をたどろうと思っている。
小国寺があるところを霊山と言うがその名も書かれている。この町の町長は共産
党で大橋と言うひとだった。一度メールを打ったが返事がない、ここにも行きたいと
思っている。