大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

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日本語版新聞紹介

ひとつの見識だが

2006-07-25 | 市民のくらしのなかで

 天皇のA級戦犯合祀以来の靖国神社不参拝は私の心、発言メモは

どこでも大きな波紋を呼んでいる。

北朝鮮のミサイルをふっとばす勢いである。

 この問題を議論して、第二次世界大戦の戦争責任を明確にすることが必要だ。

さらに、戦後世界に何を公約して、再出発することが出来たのか現憲法の平和原

則の再確認
が必要である。

 私は、天皇がそう言う理由で靖国参拝しなかったのは、一つの見識であると思う。

 靖国史観で、天皇を利用しようと考えていた連中にとっては、計り知れない痛手で

ある。小泉総理の記者会見は、全く理性を失っている目をしていた。個人の自由、政

教分離、心の問題と言ういつものコメントが破れかぶれに言っているように聞こえ

た。天皇の考えや発言メモは、自民党や公明党役員たちにとっては、曲げることの

出来ないものであるからこそ、今後の打消しにどのような手を使ってくるのか注意が

必要である。

 だからと言って、天皇が平和主義者だったとか、国民のことを第一義的に考えてい

たと言うことはありえないことである。

 

 本来なら戦争が終わり現憲法が出来るまでの間に、天皇自身が「私が超A級戦犯

です。どうもすみませんでした」「明治以来長い間のご支援ご協力に感謝します。」そ

うして、皇室の解散を国民に宣言し、自分は切腹するのが筋である。天皇が武士道

をわきまえていたら、・・・・・・・

 しかし、彼は神道であり 己のことを第1に考えていたのではないか。

平和主義者どころか利己主義者だったのではなかろうか。
 
  その天皇が不快感を示している「戦犯の合祀」については、天皇ですら具合

が悪いと思っていたことが分かる。それくらい理屈が通らないことなのだ。 
 

A級戦犯とされたひとをどう思っているのか、というメモはなかったのだろうか。天皇

から言えば戦争を計画し、その実行部隊の先頭に立った側近中の側近である。

 もし、計画が成功していれば、たくさん褒美をもらう家来だ。お城の一つももらうこと

が出来たかもしれない連中だ。
 
 だから生き残った責任者としてとして、「側近」を赤紙一枚で集めた一兵卒と同じ

神社ではしのびがたく、区別して特別にお祭りする神社を作りたいと考えていたかも

しれないのではなかろうか。        そんな不快感だったとすれば…・・

 

 

 

コメント
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