乗客残し船長避難か イタリア豪華客船座礁
イタリアの豪華客船座礁事故で、事故直後の船内の様子が明らかになってきました。船長が適切な対応をせず、混乱を拡大させた可能性が出てきました。
船内アナウンス:「ただいま停電が起こっています。すべて指示のもとに動いていますので、皆様落ち着いて行動してください」
これは、ANNが入手した座礁直後の船内ビデオです。混乱するなか、日本語でもアナウンスが流れています。複数の乗客によりますと、アナウンスでは「技術的な問題だ」とだけ伝えられ、事故が起きたという情報はなかったということです。
日本人乗客:「『電気系統の故障などでこういう状況になっていますが、問題は特にないです』と。本当ですかねと疑問に感じた」
このように船長が事故直後、正確な状況を伝えず、船内の混乱を拡大させた可能性も出てきました。また、多くの乗客らが船に残り、救助を待っているにもか かわらず、船長が先に避難をしていた疑いも出てきました。ローマの日本大使館は、日本人乗客43人全員の無事を確認しています。この事故では、少なくとも 3人が死亡し、新たに2人の死亡も確認されました。
韓国人新婚夫婦、転覆のイタリア豪華客船から救出
2012年01月16日08時58分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
- 「生き残ることができれば、生涯より深く愛し合おうと両手を強く握って誓った」。14日(現地時間)、イタリア中部のジリオ島沖で座礁して転覆した豪 華客船「コスタ・コンコルディア号」から劇的に救助された韓国人新婚夫婦のハン・ギソクさん(29、中学教師、男性)とチョン・ヘジンさん(29、高校教 師、女性)は15日、中央日報との電話でこのように述べた。2人は船体の下側の船室から事故24時間後に救助された。2人はローマのホテルで1-2日間ほ どさらに滞在した後に帰国する計画だ。
以下は一問一答。
--現在の健康状態は。
「特に問題はない。病院でもそういう診断を受けた。腕と足に擦り傷ができた程度にすぎない」
--脱出できず船内に閉じ込められるようになった理由は。
「夕食をした後、早めに就寝した。夢うつつに船が大きく揺れて騒々しいという感じがしたが、船旅行が初めてだったので元々そういうものだと思った」
--船員から脱出の誘導はなかったのか。
「誰かが客室に入ってきて、何か話して行った覚えはある。部屋を間違って来た人だと思った」
--自ら脱出は試みなかったのか。
「客室から出て階段の方へ行こうとしたが、船がかなり傾いていたので行けなかった。部屋にいると閉じ込められてしまいそうだったので、傾いた廊下の隅で大声を出しながらライフジャケットに付いている笛を吹いた」
--船の中は暗くなかったのか。
「昼間は片方からわずかに光が入るので真っ暗ではなかったが、晩になると完全に真っ暗になった」
--救助された経緯は。
「携帯電話で確認した時間で0時ごろ、外から船をたたく音が聞こえ、大声で叫んだ。その声を聞いて、私たちが中にいることを、外から分かったと思われる。いくつか穴を開ける作業が行われ、3、4時間後に救助隊が入ってきて、私たちを船の外に出してくれた」
--24時間閉じ込められている間、どんなことを考えたか。
「最初は船が沈むと思ってお互い別れのあいさつまでした。その後、船がそれ以上傾かなくなり、希望を持ち始めた」
仁川沖のタンカー爆発で5人死亡…船体が真っ二つに=韓国
2012年01月16日08時34分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
- 4200トン級の原油運搬船が海上で爆発し、5人が死亡、6人が行方不明となった。15日午前8時5分ごろ、仁川市甕津郡(インチョンシ・オンジング ン)の紫月島(チャウォルド)から北側3マイルの海上を航行していた原油運搬船「ドゥラ3号」で大きな爆発が起きた。
この爆発で船体は真っ二つになり半分ほど沈み、イ・ジンスさん(20)ら5人が死亡、ユ・ジュンテ1等航海士(52)ら6人の行方がわからなくなった。アン・サンウォン船長(57)ら5人は出動した海洋警察の警備艇に救助された。
事故を起こした船には韓国人船員11人とミャンマー人船員5人の16人が乗っていた。
アン船長は、「事故の瞬間『ドン』と大きな轟音とともに操舵室の窓ガラスがすべて壊れる衝撃があり瞬間的に床にうつ伏せになった。気がつくと船体の中間部分が割れて浸水していた」と話した。
事故原因は船体内部の油蒸気による爆発である可能性が大きいと警察はみている。アン船長は「当直者を除いた船員11人が油類貯蔵タンクで残量除去作業に入って20~30分で爆発が起きた。操舵室など船尾にいた5人は無事だった」と伝えた。
また「現時点では外部要因による爆発よりは、油蒸気に静電気が飛んで爆発した可能性が大きい」と話した。事故船舶が所属するドゥラ海 運関係者も、「ドゥラ3号が油類タンクの中に残っている油蒸気を抜く過程で事故を起こしたとみられる」と話した。船体が割れたため船尾の生存者が救助のた めに船首側に接近できなかったことも行方不明者が増えた一因とみられる。
ドゥラ3号は忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の大山(テサン)港でガソリン6500トンを載せて仁川港に到着し、14日までSK埠頭で荷役をした後、この日午前6時30分に仁川港を出港して大山港に戻る途中だった。
事故船舶にはC重油80トンと軽油40トンの燃料油が積まれていたが船尾の油類タンクは破損せず海上に油は流出しなかった。