靖国戦犯合祀、国が主導 地方の神社から先行
戦争犯罪に問われた軍人らの靖国神社への合祀(ごうし)について、旧厚生省が日本の独立回復翌年の1953年に、公的援護制度の拡充などに応じて順を 追って無理なく進める、
との方針を決めていたことが同省の内部資料でわかった。方針に沿って、先に地方の護国神社での合祀を目指すとの記述もあり、朝日新 聞が調べたところ、6カ所でA級戦犯3人を
含む先行合祀の記録が残っていた。
天皇や閣僚の参拝や、戦争責任をめぐる議論を起こしてきたA級戦犯合祀の原点となる方針が、独立回復に際して政府内で練られていたことになる。
政府は従来、国会答弁などで、戦犯合祀は「靖国の判断」とし、宗教行為である合祀には関与しておらず、政教分離を定めた憲法に反しないとの姿勢を強調してきた。だが、今回の
文書で、終戦までと同様、政府が合祀という靖国の根幹領域に立ち入って方針を定め、戦犯合祀の環境をつくり上げたことがわかった。
上のような記事があった
保守系政治家の多くの方は、政教分離という考えを理解していない。日本国憲法の大きな柱の一つなのに・・・
ましてや、明治憲法下で育った当時の政治家と、その亜流政治家?は、あらゆる場面で憲法違反を繰り広げながら、「多数」?の力で歴史をゆがめてきたのだ。
気がつけば、早く直さねばならない。何をどう直すかは、関係者が検討すればよい。
根っこは同じ
「君が代」最高裁判決
断罪された 処分による強制
「君が代」斉唱の際、起立しなかった教員への重すぎる処分を違法とする判決が16日、最高裁判所でありました。判決は東京都教育委員会による処分についてのものですが、全国的な意義をもちます。「君が代」強制のルーツは戦前の教育です。その時代錯誤を見直し、強制をやめていくことは、日本の教育の大切な課題です。
短期間に不利益が拡大
都教委は入学式・卒業式での国歌斉唱の方法などを詳細に決め、学校に強制してきました。そのための手段が違反者への重い処分です。不起立1回目で戒告処分、2回目で10%の減給1カ月、3回目で同6カ月、4回目は停職1カ月で教壇に立てなくなります。
最高裁判決は、不起立は「個人の歴史観ないし世界観等に起因する」としました。この認識は、「君が代」「日の丸」が戦前、侵略戦争のシンボルとし て用いられてきたことから、それらに拒否感をもつ国民がいることを政府が認めてきたこととも合致します。また不起立は「物理的に式次第の遂行を妨げるもの ではない」としました。
判決は、毎年2回以上の式典のたびに処分となれば短期間で不利益が拡大することを指摘し、減給処分を違法としました。戒告処分は違法とされません でしたが、処分をエスカレートさせ、自らの信念に誠実に生きようとする先生たちを追いつめるやり方に、歯止めをかけたものです。
裁判官の一人は、体罰やセクハラ等に比べて処分が不自然に重い事実も指摘しました。都教委は態度を改めなければなりません。
東京と並んで問題になるのは、橋下徹大阪市長(前府知事)と「大阪維新の会」がたくらみ、全国から反対の声があがっている大阪府の「教育基本条例案」です。その中身は、1回目で戒告または減給、2回目で停職、3回目で免職と違法とされた東京を上回ります。
橋下市長は最高裁判決後、処分者に研修を行うことを理由に、東京とは「条件が異なる」と居直りました。しかし研修を受けても起立がいやな場合は「やめてもらう」と言うのですから、とても通用する話ではありません。条例案の撤回をつよく求めます。
判決は同時に、「君が代」強制そのものは合憲とする従来の枠をでませんでした。それでも裁判官の1人は「強制は憲法19条(思想・良心の自由)に 違反する可能性がある」という立場から反対意見を提出しました。別の裁判官は「不起立と処分の繰り返しは教育現場にふさわしくない」と「自由で闊達(かっ たつ)な教育を切に望む」と補足意見を提出しました。
子どもたちのための式に
ほんらい、入学式や卒業式は子どものためのものです。ところが国は学習指導要領を盾に「君が代」「日の丸」強制を長期に続けてきました。心に残る式かどうかはそっちのけで、起立斉唱したかどうかに血道をあげる行政や管理職―。どう考えてもゆがんでいます。
教育の原点に返り、式のあり方は各学校で話し合って自由に決めるようにすべきです。仮に「国歌斉唱」を決めた場合も、個々人に強制できないことは憲法上当然のルールです。最高裁判決を機会に、強制自体をなくすたたかいを発展させることが重要です。