「日本の良心」今月3日に死去
日本で2人目のノーベル文学賞受賞者
アジアの代表的知性人であり、平和活動家
大江健三郎さん。写真は生前の2005年の訪韓の時の様子=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社
アジアの代表的な知性人であり、日本の作家として2人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんが人生の幕を下ろした。享年88。
「醜い日本」を告発し告白してきた実践的知性として、国際社会の平和運動に献身してきた大江健三郎さんが3日、老衰のため死去したと、講談社が13日発表した。
1935年1月に愛媛県で生まれた大江健三郎さんは、東京大学仏文学科に在学中の1958年、短編「飼育」で芥川賞を受賞し、文壇に華やかに名を知らしめた。当時で最年少の受賞記録であり、これは1999年に平野啓一郎さんが数カ月年少の23歳で受賞となるまで破られることはなかった。
大江健三郎さんは30編ほどの長編小説、ノンフィクション、エッセイ、評論、脚本などジャンルを越えた作家として活動してきた。戦後の平和再建、原爆被害告発、天皇制および憲法9条改悪反対といった国内外の政治問題をはじめ、長男(1963年生まれ)を通じてさらに深く観察することになった障害、宗教と救援など、尖鋭な現代イシューを文学と人生のテーマとして自ら抱え込んだ。安保闘争に取り組んだ男性を主人公に国家の暴力を批判した初の長編『万延元年のフットボール』(1967)、障害を持つ子どもの親として経験する人生を省察した『個人的な体験』(1964)などは、一貫した生の凝縮であり、予告に過ぎない。『ヒロシマ・ノート』(1965)や、出版後に元日本軍指揮官および遺族と裁判で争うことになったノンフィクション『沖縄ノート』(1970)なども代表作として挙げられる。大江さんは、『雪国』の著者の川端康成以来26年ぶりに日本の作家として受賞したノーベル文学賞(1994年)の授賞スピーチで、「美しい日本の私」を強調した川端康成の感想を事実上否定する態度を取った。
大江さんは、安倍政権が憲法9条の改定を進めていた2014年、平和憲法を守るための「九条の会」の一員として、韓国のキム・ヨンホ慶北大学名誉教授と同年6月13日に行った対談で、「日本は中国を侵略し、韓国の土地と人を日本のものにしました。アジアで日本が犯したことに対する贖罪(しょくざい)が全くなされていません。少なくとも戦争を覚えている私たちは生涯アジアで起きたことを記憶し、贖罪しなければならないというのが私の考えの根本です。その精神が平和憲法9条に表現されています」と明言している。
大江健三郎さんは2015年、反戦および平和運動に専念したいと絶筆宣言をし、その後社会運動に力を注いできた。訃報が10日たって知らされたことからも、彼が最近の日本社会では隠遁してきたことが伺われる。
大江健三郎さん(左)が2014年6月13日午前、東京世田谷区の自宅でキム・ヨンホ慶北大学名誉教授(韓国社会責任投資フォーラム理事長)に「九条の会」について説明している=キル・ユンヒョン記者//ハンギョレ新聞社
文学評論家のイ・ミョンウォン氏は13日、フェイスブックに「戦後日本の良心と呼べる作家の大江健三郎先生が亡くなった」とし「安倍2期政権の登場以後、抵抗の意味で絶筆すると宣言したこともあった。謹んで冥福をお祈りする。韓国と日本の政界で起きている同調右傾化の現実を見ると、残念極まりない」と書いた。
大江健三郎さんのトレードマークでもあった丸いフレームの眼鏡は、サルトルやジェームズ・ジョイスなどに影響を受けたもの。眼鏡越しに彼が生涯切に望んでいた世界は、今や地の上から見守るしかなくなった。
イム・インテク、チョ・ギウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)