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「私、8日に夜間勤務に出てと言われちゃった(泣泣)」と、 娘が急に決まった夜勤に落ち込んでいると、母親は「頑張って」のスタンプとともに「急にだね(泣)明日仕事終わってからお母さんとトーキング・・

2022-10-22 | 市民のくらしのなかで

「大企業だから信じていたのに…」

夜勤組だった娘は帰ってこなかった=韓国

登録:2022-10-21 06:36 修正:2022-10-21 07:42
 
SPCパン工場で死亡した労働者の母親、初インタビュー
 
 
15日、SPLの工場で作業中に亡くなった20代労働者が生前母親と交わしたカカオトークのメッセージ=遺族提供//ハンギョレ新聞社

 「いつも幸せに」「アイラブユー、大大大好き~」

 娘が母親に送ったカカオトークのメッセージには「ハートスタンプ」が並んでいた。メッセンジャーのチャットルームでの親子は友達のようだった。「私、8日に夜間勤務に出てと言われちゃった(泣泣)」と、 娘が急に決まった夜勤に落ち込んでいると、母親は「頑張って」のスタンプとともに「急にだね(泣)明日仕事終わってからお母さんとトーキング(話)しよう。お疲れ様~」という返事を送った。午後9時38分、娘は夜間勤務の時もきちんと「おやすみなさい」のメッセージを送り、母親は「応援するよ、愛している」のスタンプで返事を送った。しかし、15日以降、2人のやり取りは見られない。パリバゲットで有名なSPCグループ系列会社のパン工場で働いていた娘は、15日午前6時15分頃、「2交代制12時間勤務」の夜間作業をしていたところ、ソース混合機(撹拌機)に体が挟まれて死亡した。夜間作業開始から10時間目の出来事だった。

 「優しくて親切で、本当に非のうち処のない、そんな娘でした。娘だけが生きがいだったのに…今、自分の半分が切り離された感じです」

 20日、忠清南道天安(チョナン)のある納骨堂で、初めてマスコミ各社の公式インタビューに応じた母親は、依然として現実を受け入れられない様子だった。事故から6日目を迎えたこの日、母親と遺族約10人は外部に出棺の事実を知らせず、静かに葬儀を終えた。午前8時頃、娘は一握りの灰となった。突然訪れた季節外れの寒波が去り、平年の気温が戻ってきたが、母親は以前には戻れない。

 パン作りが好きで高校でもベーカリー科を専攻した娘は高校卒業直後、パリバゲットの店舗の非正規製パン士(パン製造技能士)として就職した。「卒業後すぐに店舗で働き始めました。でも、一人で仕事をしなければならず、とても大変そうでした。上司との関係でストレスが溜まって…7カ月働いて辞めました」

 
 
京畿道平沢のSPLの工場で機械に体が挟まって死亡する事故が発生した翌日の16日、正義党の議員が工場を訪問した。関係者が現場を確認するために事故の発生した撹拌機を覆った布を外しており、後ろでは労働者たちの作業が続いている=正義党のイ・ウンジュ議員室提供//ハンギョレ新聞社

 過度な業務のせいでパリバゲットの店舗から逃げるように辞めたが、娘はパン作りを諦めきれなかった。そこで入社したのがパリバゲットにパン生地などを納品するSPLの工場だった。「(正社員として入社したうえ)大企業だからとても喜んでいました。娘は後にお店を運営するつもりでした」

 SPLの工場で働きながら、娘はしばしば激務を訴えた。娘は1年以上2交代制の夜間勤務組として働き、一晩中10~15キロにもなる材料を運び、機械を稼働させた。2週間は夜間、2週間は昼間の繰り返しだった。母親は12時間の徹夜勤務後、疲れ切った様子で家に帰ってくる娘がとても不憫だった。「重いものをたくさん運ばなければならず、とてもつらいと言っていました。家に帰るたびにぐったりしているのが気の毒で…。20代前半の子が、湿布を貼ってパスをスプレーしていましたが、それでも大企業だから信じていました。大企業だから…」

 事故以降、母親は娘を「一家の稼ぎ頭」と描写するマスコミの報道に怒りを覚えた。娘は自ら夜間勤務を「選んだ」わけではないからだ。「人手がない中、娘が仕事もできて優しいから夜間組に投入しようと、会社側がほぼ強要するように迫ったようです。人手を補うため、ほとんど半強制的に投入されたんです」。実際、事故以後、民主労総全国化学繊維食品産業労働組合は17日、記者会見を行い、「夜間勤務の人員が足りず、会社に補充要請をしたが受け入れられなかった」として、劣悪な夜間人材状況を暴露した。

 葬儀を行う間、葬儀場にはSPCグループのホ・ヨンイン会長など多くの会社関係者が訪れた。 しかし、誰もなぜ娘が一人で働いて事故に遭ったのかは説明してくれなかった。 「なぜその機械には安全装置がなかったのか、なぜ2人1組というマニュアルが守られなかったのか、説明してくれる人は誰もいません。機械に安全装置を取り付けるのがそんなに大変なのでしょうか。労働者を機械とみなさない限り、そのような機械で働けとは言えないと思います」。母親は一週間前にも従業員が機械に挟まれる事故があったこと、それ以前にも無数の事故があったことを全く知らなかった。「事故が頻繁に起きるところで子どもを勤務させたい親はいません。娘は心配されると思って言わなかったようですが…。そんなことがあるのをもっと早く知っていれば、あの会社に就職すると言った時、どんな会社なのかもう少し調べればよかった」。母親の無念が後悔を募らせる。

 パン好きだった娘は、死ぬ日までパンを作っていた。そして今もSPLの工場では劣悪な労働環境の中で労働者がパンを作っている。

 「いつも事件が起きているのに、何も変わっていないじゃないですか。どうかこんなことが起きないようにしてほしいです。会社に望むことは一つしかありません。働く労働者のために最小限の勤務環境を作ってほしいということ。労働者の安全が確保されていない環境で作られたものは買わないでほしい。(事故に遭うのは)うちの娘が本当に最後になることを願っています」

チャン・ヒョヌン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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