大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

横断歩道をはさんで左右30メートルの出会い。12回連載 おおはしみつる

2015-03-21 | 科学最前線

12年間、向陽小学校正門前の交通指導を「腰痛」のためやめることにしました。

 

何よりもよかったことは、この場所では12年間、子どもは無事故だったことです。

向陽小学校の正門前京都府道は、向日市のメイン道路で朝の7時50分から8時20分の30分間に上り下り合わせて000台以上の自動車・バイク・自転車が通り、

小学生000人、中学生00、高校生00人、通勤や保育所通いの方々がひっきりなしに通り、自動車を止めなければ道路の横断は、ほとんど不可能なところです。


 正門前には、通学路の標識や横断歩道のしるしもあるのですが、「横断中」の旗を揚げなければ自主的に止まってくれる車は殆どない。

ただ毎日通る顔見知りの10人ほどの方は最徐行で通られます。

毎日ここを通る人、車が多いので、1分前に家を出ればここで30秒以上止まれるのにと思いながら車を止め続けました。


  毎日朝のわずか30分間のことですが、遅くても7時に起きて、朝風呂につかり出て行くのですちょっと計算してみると、1年に180日×12年=2160日 

30分×2160で1080時間立っていたことになり、横断歩道をはさんで左右30メートルの色いろな出会いは本当に楽しかった。もしここに立っていなければ、

子どもの友達はできていなかった。顔は覚えているが名前は知らない、ここだけの友人?がたくさんできました。


 明日から12回に分けて連載?します。 世直し発言は、「日朝協会京都府連のブログ」に「投稿」しますので、ぜひ読んでください。


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二人そろってのサインは珍しいそうです。自宅にあるお宝映像です。

2015-03-20 | 原発やめろ!

1988年池谷・西川両君がそろって向日市体育館にきました。そのときいただいたサインです。

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このようなことまでわかるのですね! でも、言われてみればまさに自然な考えをうらずけている。

2015-03-20 | 科学最前線

ここから本文です生命居住可能領域内の惑星、銀河系に数十億個存在か 研究

AFP=時事 3月19日(木)16時1分配信

 
 このような記事を見つけました。誰かにいいたくてアップしました。

【AFP=時事】天の川銀河(Milky Way)には、主星のハビタブルゾーン(生命居住可能領域)内を公転している惑星が数十億個存在する可能性があるとの研究論文が18日、英国王立天文学会 の学会誌「Monthly Notices of the Royal Astronomical Society、MNRAS」に掲載された。

地球サイズの惑星を発見、生命居住可能領域で初 NASAなど

  太陽系外に存在する、いわゆる「系外惑星」の探査を目的として2009年に打ち上げられた米航空宇宙局(NASA)の宇宙望遠鏡「ケプラー (Kepler)」により、これまでに数千個の惑星が発見されている。その多くは、1つの恒星の周りを複数の惑星が公転する太陽系に似た惑星系内に存在し ているという。

 オーストラリア国立大学(Australian National University)とデンマーク・ニールス・ボーア研究所(Niels Bohr Institute)の共同研究チームは、このケプラーの観測データを用いて、ハビタブルゾーン内に惑星が存在している可能性のある恒星が、天の川銀河内 にどれほどあるかの算出を試みた。ハビタブルゾーンとは、原始的または複雑な生命体の必要条件とされる水が液体の状態で存在できる環境だ。

 この試みで研究チームは、250年前に発見された「ボーデの法則」を一般化した最新版を使用した。これによると、惑星が主星の周りを一周するのにかかる 時間が分かれば、他の惑星の公転周期を計算でき、それによって惑星の位置を判定したり、比率の系列から「欠けている」惑星を見つけたりすることができるの だという。元々のボーデの法則では、発見前に天王星の位置が正しく予測されていた。

 ニールス・ボーア研究所の研究員、ステフェン・ヤコブセン(Steffen Jacobsen)氏は「われわれはこの手法を用いて、ケプラー衛星の観測により3~6個の惑星が見つかっている151の惑星系で、存在している可能性のある惑星の位置を計算した」と語る。

■生命はどこに? 

 研究チームは、151の惑星系のハビタブルゾーン内にそれぞれ1個~3個、合計228個の惑星が存在するとの推測値を得た。

「現在得られている統計データと示唆材料によると、ハビタブルゾーン内にある惑星の多くは固体であるとみられ、液体の水と生命が存在している可能性のある場所だ」とヤコブセン氏は話している。

 計算結果を基にさらに広範囲の推定を行うと、生命居住可能領域内に複数の惑星を持つ恒星が天の川銀河だけでも数十億個存在する可能性があることをこの結果は意味していると声明は述べている。【翻訳編集】 AFPBB News

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つり名人・日本画家、亀山素光さん直筆の色紙です。

2015-03-19 | 原発やめろ!

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一種の巨大衝撃波が放たれ、現在地球の軌道を横切っている」とバーガー所長は説明する。

2015-03-18 | 世直し文化・野党共闘


猛烈な太陽嵐発生、電力網や衛星に障害の恐れ

AFP=時事 3月18日(水)10時7分配信


【AFP=時事】米海洋大気局(National Oceanic and Atmospheric Administration、NOAA)は17日、先週末に2回連続で起きた太陽表面での爆発現象「太陽フレア」により強烈な磁気嵐が発生し、地球上の 電力網や通信網に障害が生じる恐れがあると発表した。

【解説】宇宙天気とは何か

 今回の磁気嵐は、強度を5段階で示すNOAAスケールで2番目に強い「G4」レベルとされている。

 NOAA宇宙気象予報センター(Space Weather Prediction Center)のトマス・バーガー(Thomas Berger)所長は「現在われわれは猛烈に強い磁気嵐を経験している」と語った。

 当局によると、すでに米国のアラスカ(Alaska)、ミネソタ(Minnesota)、ウィスコンシン(Wisconsin)、ワシントン (Washington)、ノースダコタ(North Dakota)、サウスダコタ(South Dakota)の各州の住民からはオーロラ(極光)が観測されたとの報告が寄せられており、欧州でも今回の磁気嵐によるオーロラが日没までに見られる見込 みという。

 磁気嵐は、3月15日に2回にわたり起きた太陽コロナの巨大爆発現象が原因で発生した。「これら2つの爆発は合体して1つの爆発となり、これによって一種の巨大衝撃波が放たれ、現在地球の軌道を横切っている」とバーガー所長は説明する。

 今回の爆発の力で放たれた衝撃波は、地球を直撃ではなく、かすめる程度のものだった。だが、磁気嵐の強度と移動速度は予想をはるかに上回ったと、宇宙気象予報センター主席予報官のボブ・ラトリッジ(Bob Rutledge)氏は指摘している。

 同氏は記者会見で「当初はG1程度の軽微レベルの磁気嵐が昨日(16日)または今日(17日)の遅くに始まると予測していた」「だが実際には、磁気嵐の 到着は予想より約14~15時間早かった」「磁気嵐の強度も、当初の予想をはるかに上回る強さになっている」と語った。宇宙気象予報の誤差範囲は通常、時 間帯で7時間、強度レベルでプラスマイナス1だという。

 G4レベルの磁気嵐は頻繁に発生している。直近のG4磁気嵐は2013年末に記録された。ラトリッジ氏によると、さらに強いG5レベルの磁気嵐は、はるかにまれな現象で、最後に検出されてからすでに10年以上経過している。

 バーガー所長によると、これまでのところ当局は停電の報告は受けておらず、磁気嵐に伴う「太陽放射嵐」の兆候もみられないという。「これは少し異例だ」 とバーガー所長は話す。「今のところ、地球軌道内の太陽放射レベルは許容範囲内にあるので、人工衛星や航空機に対する脅威は存在しない」という。

 NOAAによると、G4レベルの磁気嵐は「広範囲に電圧制御問題を引き起こしたり、一部の保護システムに誤作動を生じさせ主要資産が電力網から遮断され る事態を起こしたりする可能性がある」という。今回の磁気嵐は24~36時間継続するとみられている。【翻訳編集】 AFPBB News

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新基地を往復する おびただしい数のオスプレイが 名護市民の頭上を飛んでいく

2015-03-18 | 日本共産党ホームページより

どこが「沖縄の負担軽減」か 

飛び交うオスプレイ、強襲揚陸艦接岸答えられず

参院予算委 山下書記局長が質問

辺野古新基地建設中止 普天間基地閉鎖・撤去を

 

 

 日本政府が建設強行を狙う沖縄県名護市辺野古の米軍新基地が、米軍殴り込み部隊の巨大な出撃拠点となることがあらためて浮かびあがりました。日本 共産党の山下芳生書記局長は17日の参院予算委員会で質問に立ち、安倍政権が新基地建設によって「沖縄の負担軽減に資する」としている根拠を一つ一つ突き 崩しました。 


写真

(写真)質問する山下芳生議員=17日、参院予算委

 山下氏は、政府が新基地建設の理由として「普天間基地の危険性除去」をあげていることに対し、「同じ痛みを、同じ沖縄県民に押し付けることはでき ない」(宜野湾市民)との声があがっていることを紹介。「『痛み』は他の場所に移すのではなく、取りのぞくものだ」と主張しました。そのうえで、新基地建設の根拠の一つである「辺野古では騒音が大幅に軽減される」という政府の説明を批判しました。

 山下氏は「今でも辺野古周辺の住民は、ヘリパッド(着陸帯)に離発着するオスプレイの騒音被害を受けている。『騒音を大幅に軽減する』というな ら、こうした訓練はやめさせるべきではないか」と追及。さらに、新基地建設後に予想される飛行経路(図)を示し、「新基地ができると、各地のヘリパッドと 新基地を往復するおびただしい数のオスプレイが名護市民の頭上を飛んでいくことになる。騒音が今以上にひどくなるのは明らかではないか」と指摘しました。

 これに対し中谷元・防衛相は「防音工事など適切に対処する」とのべるだけでした。

 山下氏は、新基地では「基地機能が減り、面積も小さくなる」という政府の主張についても批判しました。

 新基地には、1800メートルの滑走路2本が建設されるとともに、普天間基地にはなかった弾薬搭載エリア、巨大な艦船が接岸できる係船機能付き護岸、タンカーが接岸できる燃料桟橋が建設されます。

 山下氏は、新基地がキャンプ・シュワブ、辺野古弾薬庫と一体で運用されることを、米海兵隊文書「戦略展望2025」が明記していることを暴露し、「『戦略的出撃拠点として機能する』(同文書)巨大な基地に生まれ変わるということだ」と強調しました。

 新基地に建設される係船機能付き護岸に、「殴り込み部隊」の中核となる強襲揚陸艦が接岸しないという保証はあるのか―。山下氏は、すでに大浦湾で米軍の強襲揚陸艦が訓練している事実を示し、「新基地ができたら、利用するのは当たり前ではないか」と迫りました。

 安倍首相は「強襲揚陸艦の運用を前提としていない」と繰り返し、「来ない」という保証も「来させない」という意思も示せず、山下氏は、新基地建設断念と普天間基地の閉鎖・撤去を強く求めました。

図
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10年にわたり執権しているメルケル首相も機会があるたびに告解するようにざんげの発言をした。

2015-03-17 | 韓国あれこれ・・・

【コラム】謝罪は日本の良心に委ねよう=韓国

2015年03月17日/中央日報日本語版

  このほど日本を訪問したドイツのアンゲラ・メルケル首相は、「ドイツは過去(歴史)と正面から向き合った」と日本に入れ知恵した。第2次大戦後にドイ ツがホロコーストなどナチスの蛮行を率直にざんげし、当事国に深い謝罪と十分な賠償をしたという意味だ。朝日新聞社での講演で、「日本が歴史問題をめぐる 中国と韓国との問題をどのように克服すべきか」という質問に対するメルケル首相の返事だった。この席に安倍晋三首相はいなかったが、首脳会談パートナーで あった彼を念頭に置いたものと推察できる。

  第2次大戦終戦70周年を迎える今年、ドイツと日本の2つの戦犯国の国際的位置付けはこのように違っている。戦争犯罪の質を考えれば ドイツが日本に入れ知恵する立場ではない。600万人のユダヤ人を残酷に虐殺した「記憶したくない歴史」を持つドイツは言い訳のしようがない。だが、ドイ ツの首相が外交的欠礼を押し切ってこのように堂々と日本に「ともに進もう」で勧誘できるようになった力はまさに謝罪にある。

  戦後のドイツ史は謝罪の歴史と言える。その中でも1970年12月7日に当時のブラント西ドイツ首相がポーランド・ワルシャワのユダ ヤ人慰霊塔の前にひざまずき哀悼の意を示した場面は圧巻だった。これに対し、「あの日ひざまずいたのは1人だったが、立ち上がったのはドイツ全体だった」 という評価が出てきた。10年にわたり執権しているメルケル首相も機会があるたびに告解するようにざんげの発言をした。

  1月にベルリンで開かれたアウシュビッツ強制収容所解放70周年演説では、「ナチスの蛮行を再確認し記憶することはドイツ人の恒久的責任」と述べた。

 もちろん日本も謝罪をすることはあった。50年前に韓日修交をしながら韓国に賠償金も支 払った。村山談話と河野談話を通じ、植民支配で隣国に苦痛を与えた点と軍慰安婦制度運営の強制性を認め謝罪した。ドイツと異なる点は一貫性と真正性にあ る。謝罪というのは一度すればその以前の心構えに戻ってはならない「不可逆性」を持つ行為だ。それでも日本政府と政治家らは時に謝りながらもたびたび挑発 する二重性を見せてきた。そのせいでドイツとは違いこれまで過去史問題で被害国とのぎすぎすした関係から抜け出せないのだ。

  過去史に対するドイツと日本の差はこのように開きが大きい。結局選択は日本にかかっている。謝罪を通じ最も大きな利益を得る国は謝罪を受ける国ではなく謝罪をする国であることをドイツがすでに示した。

  韓国も考えてみる問題がある。「許しは被害者がすることだ」という言葉がある。ドイツの教訓に習うのかどうするかは日本が自ら決めな ければならないことだ。韓国が日本に謝罪を強要し続けてみても効果はない。日本の右翼の巧妙な“被害者マーケティング”に巻き込まれれば第三国の目には韓 国がまるで駄々をこねているように映る危険もある。イスラエル、フランス、ポーランドはドイツに先に謝罪を要求しなかった。ドイツの謝罪を受け入れ許した だけだ。

  韓国は領土など国益と直結した問題では決して日本に譲歩できない。だが、いつまでも過去史に対する謝罪と賠償を要求ばかりはできない。このことが韓国の最高国益がかかった事案とは言えないのではないか。

  もちろん韓国が安倍政権の態度を受け入れるのは厳しい。それにもかかわらず韓国が大きな決断を先に下すことで未来指向的な韓日関係の 土台を作らなければならない。これはただ大統領や政府、政治家だけのことではない。韓国の国民ももっと大きな国益のために雅量を示す必要がある。謝罪は日 本の良心に委ねよう。今年は韓日国交正常化50周年になる年だ。日本に白旗を強要することはできない。白旗を揚げる日本でもない。

  ハン・ギョンファン外交・安保エディター(中央SUNDAY第418号)

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日本は、戦後処理の問題を含めてドイツに学ぶべきところがたくさんあります。

2015-03-16 | 世界の変化はすすむ

第2次世界大戦終結70年

アンネの最期の地で

独ベルゲン・ベルゼン強制収容所記念館の広報チーフ ステファニー・ビルブさん

ナチスの犯罪と向き合って若い人に悲惨な生涯伝える

 

 

 『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ人少女アンネ・フランクが、15歳の短い命を落とした地、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所跡を 訪ねました。過去の悲劇を伝え、歴史の継承につとめる同収容所記念館の広報チーフ、ステファニー・ビルブさんに、アンネの最期について話してもらいまし た。(聞き手 ジャーナリスト・大内田わこ)


写真

(写真)ステファニー・ビルブさん(大内田わこ撮影)

 ――1944年の秋、アンネ・フランクと姉マルゴットが、アウシュビッツ(ポーランド)から送られて来た時の、ベルゲン・ベルゼンは、どんな状態だったのでしょうか?

 一言で言えば、まさに混乱状態だったと思います。当時、至る所でヒトラー・ドイツの戦争が行き詰まり、連合軍に攻められていました。それでナチスは、ポーランドにつくったたくさんの強制収容所から、まだ働けると思える多くの人々を、国内の強制収容所へと移送しました。

 ベルゲンもその一つです。もともと1万人ぐらいを収容する戦争捕虜用の収容所だったのが、43年からナチスの強制収容所として使われるようになってから、収容者の数もどんどん増えています。戦争末期の45年3月は、1カ月だけで1万8千人もの人が移送されました。

飢餓も常態化

地図:ベルゲン・ベルゼン位置

 ――アンネ姉妹は、44年10月末にアウシュビッツを出て4日がかりでベルゲンへ着いています。その旅は、貨車にすし詰め状態の上、食べ物 はおろか水さえ満足に与えられなかったと聞きます。その頃ベルゲンは、もう霜柱が立つような気候ですよね。衰弱した彼女たちにとってさらにつらい状態が待 ち構えていたのですね。

 アウシュビッツからの、アンネを含む3千人の女性たちが到着したとき、すでに囚人を収容した木造のバラックは飽和状態でした。それで新たにテント を建てることになったのですが、床はむき出しの土の上にわらを敷いただけ、もちろんベッドもありません。雨が降れば、すぐにぬかるむ状態でした。

 その上、アンネたちが着いてまもない11月8日、ベルゲンは大きな嵐に見舞われます。テントは吹き飛ばされ、行き場を失った女性たちは結局、過密 状態だったバラックの中に押し込められることになるのです。食料は同じ分量のものを2倍3倍の人数で分けることになるわけですから、飢餓状態も常態化して いたと言えます。

 ――そんな中で、チフスに。

 そうですね。彼女たちがいつ亡くなったのか、はっきり分かっているのは3月ということだけで、日にちは分からないのです。ここは45年3月15日 に、イギリス軍によって解放されたのですが、連合軍の接近を知ったナチスが、逃亡するとき重要な資料のほとんどを焼いてしまったものですから。

 ただ、解放後、生きてここを出ることができたアンネの友達(ヤニー・プリレスレイベル)の証言によると、病人用のバラックに移されていた姉妹を見 舞ったら、いるはずのベッドに2人はいなかった。すぐに意味を悟って探し、バラックの前の死体の山に2人を見つけ、そこから引きずり出して、集団の墓地と されていた露天の場所まで運んで葬った、と語っています。

 ――そうですか…、その年には、ものすごい数の人々が亡くなったそうですね。

 3月だけで、1万8千人が亡くなり、その多くがチフスか餓死です。ここにはガス室はなく、小さな焼却炉が一つあったのですが、死者の数があまりにも多く、焼くこともできなくなり、大きな穴を掘ってそこを墓場としたのです。

写真

(写真)北西ドイツの交通の要衝ハノーバーから、ローカル線で30分余のツェレ駅からバスに乗り継いで、1時間あまり原野を走ると、厳しい風に吹きさらされるベルゲンの大地が広がり、強制収容所跡があります

 ですから、この跡地を歩かれると分かりますが、あちこちに、2000、5000など数字を書いた塚があります。それぐらいの数の方たちがそこに眠っているという証しです。跡地にはアンネ姉妹のお墓のように、いくつかの墓標がありますが、それは後に建てられたものです。

 (ベルゲン・ベルゼンは、後にニュルンベルク国際軍事裁判で「巨大なる恐るべき死体置き場」と呼ばれ、ナチスの犯罪の証拠とされました)

 ――若い人の訪問も多いですか?

 特に学校の授業の一環として、たくさんの生徒たちがやって来ます。彼らは、ここへ来るまでにもうすでにアンネ・フランクのことは、『日記』を読ん だりしてよく知っているのですが、ここへ来て、アンネがカオス(混乱)状態の中で死んでいったということを知るのです。そしてまた、彼女が多くの悲惨な生 涯を終わった人々のなかの1人であるということも学びます。

 ――アンネを通してナチスの犯罪についても学んでいくわけですね。

 私も16歳のときに『日記』を読みました。自分と同じぐらいの年齢なのにとてもおとなという感じを持ちました。彼女の日常、2年間という長い時間 を、隠れ家で息をひそめて生きなければならなかった少女がいたということにとてもショックを受けました。なぜ、どうして? ユダヤ人だというだけで。そう いう疑問や関心から、ホロコースト(大虐殺)やわが国の歴史、特に国家社会主義の問題が私の勉強のテーマとなりました。

心痛めること

写真

(写真)アンネ・フランクと姉マルゴットの墓

 ――それでこのお仕事を。

 2000年からここで。やりがいのある仕事です。心を痛めることもたくさんあります。例えば、生存者の方のお話をうかがうときです。40人あまりの方から貴重な体験を聞きました。また、アンネの最期を語る時なども勇気がいります。

 今、こういうタブレット(液晶画面を持つ携帯パソコン)を使って、収容所の説明をしています。ここは病気のまん延で、手が付けられない状態だった ため、解放したイギリス軍がバラックなどすべてを焼き払いました。ですから訪れた人は広い跡地に立った時、当時の様子をイメージするのが、なかなか難しい のです。やってみると、若い人たちにとても人気です。彼らは扱いも上手です。私などより。(笑い)

 ――日本は、戦後処理の問題を含めてドイツに学ぶべきところがたくさんありますね。

 私には忘れられない思い出があります。大学のゼミ(歴史学部)で、それぞれの国の国歌を歌おうということになった時、日本の留学生くみこが歌えな い、歌いたくないと言ったのです。私にはすぐ、それが歴史問題だと分かりました。ドイツも日本も過去の問題を抱えた国です。ただドイツは過去ときちんと向 き合い、反省し、周りの国とも仲良くやってきています。その経験を私は誇りに思います。確かに時間がかかることでしょうが、日本のこれからにとっても、そ れはとても大事なことではないでしょうか。

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インド首相がスリランカを訪れるのは28年ぶり。インドもアメリカも隣の国と仲直り、日本は???

2015-03-15 | 世界の変化はすすむ

インド・スリランカ「新時代」

モディ印首相 28年ぶり訪問

 

 

 【ニューデリー=安川崇】インドのモディ首相が13日、スリランカを訪問し、同国のシリセナ新大統領と会談しました。国際会議を除いて、インド首相がスリランカを訪れるのは28年ぶり。両国外交の「新時代」(地元メディア)に期待の声が上がっています。


 コロンボでの首脳会談後、モディ氏は「シリセナ大統領は先月訪印した。そのすぐ後に私がここへ来れたことをうれしく思う。隣国関係はこうあるべきだ」との声明を発表。シリセナ氏も一連の訪問が「2国間協力の新しいページを開く」と強調しました。

 印首相による前回の訪問は1987年、ラジブ・ガンジー首相の時代。当時、スリランカでは少数派タミル人の分離国家樹立を目指すタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)と政府軍との内戦が激化しつつありました。

 タミル人はインド南部のタミルナド州などにも多く住んでおり、互いに強い同胞感情を持っています。当時、タミル政党の突き上げを受けたガンジー氏 はスリランカ内戦への介入を決め、同国を訪問。LTTEの武装解除を目指してインド平和維持軍(IPKF)を派遣しました。しかし戦闘は泥沼化し、インド 軍は90年までに撤退します。

 翌年、インド総選挙の遊説中にガンジー氏(当時は野党)は暗殺され、警察はLTTEの犯行と発表。IPKF派遣への報復だったとみられています。これが外交的な「傷」となり、以来、首相訪問は途絶えました。

 一方、今回の訪問実現の背景には、スリランカ側の政治環境の変化もあります。

 同国のラジャパクサ前大統領は、内戦を武力終結させる段階で多数のタミル人民間人を死亡させたとして欧米が強く批判。これに反発する中で前政権は中国との連携を強めていったとされます。

 これに対し「少数派との和解」を掲げて選挙に勝利したシリセナ大統領は、欧米やインドとの関係正常化を表明していました。

 モディ氏は今回、印首相として初めてタミル人が多く住む北部のジャフナも訪問。両国間には漁業権をめぐるトラブルなどの懸案事項もありますが、両首脳は「長期的解決策を探る」との意志を示しています。

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私も参加してきました。官邸前と国会議事堂前。再稼働なんて信じられない」と憤ります!

2015-03-14 | 市民のくらしのなかで

原発ゼロへ 抗議140回

官邸前行動

 

 

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(写真)「原発再稼働反対」「原発を廃炉に」と、抗議の声をあげる人たち=13日、首相官邸前

 「原発やめろ」「すべての原発再稼働反対」。ドラムのリズムに合わせ、力強いコールが響きます。首都圏反原発連合(反原連)は13日、140回目 の首相官邸前抗議行動を行いました。福島第1原発事故から4年たっても放射能汚染が深刻化するなか、原発再稼働に突き進む安倍晋三政権に、1300人(主 催者発表)の参加者が抗議の声をあげました。

 愛知県美浜町の女性(44)は初参加。「あんなひどい事故が起きたのに再稼働なんて信じられない」と憤ります。「何もできないことにうずうずしていて、ここにずっと来たかった。国民の声の力を感じながら、愛知で原発に反対と言っていた友人の分もコールしたい」

 神奈川県逗子市から参加した57歳と54歳の夫妻は「再稼働にはとにかく反対。政府は日本を滅ぼす気か」と怒ります。初めて参加した幸恵さんは 「政府が国民の声を無視し続けることに危機感を持っています。一人でも多くの人が意思表示をしなければと思って来ました」と話しました。

 1年半ぶりに参加した埼玉県狭山市の男性会社員(50)は「きょうここで原発反対の思いを新たにして、また声を上げに来たい」と語りました。

吉良議員も訴え

写真

(写真)コールする吉良議員=13日、国会正門前

 日本共産党の吉良よし子参院議員は13日、首相官邸前抗議に参加して、国会正門前でスピーチしました。

 吉良議員は、福島第1原発事故で発生した放射性廃棄物を中間貯蔵施設へ搬入する作業が開始されたことにふれ、「原発を動かすだけで核のゴミは出続 けます。処理の方法もわからないのに再稼働なんて許されません」と強調。「粘り強く声を上げ続けましょう」と呼びかけ「原発いらない」「再稼働 反対」と コールしました。

 


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日本も中国に学んでこういうことをする必要がある!

2015-03-14 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

中国 3年連続で貧困層1千万人を救済

人民網日本語版 2015年03月13日17:42
 

国務院扶貧弁公室の劉永富室長はこのほど、人民日報社の両会(全国人民代表大会と全国政協会議)情報番組「両会e客庁」に出演した際、「2012年から 2014年にかけて、全国の農村では貧困人口が減り、12年は前年比2300万人、13年は同1600万人、14年は同1232万人、それぞれ減少した」 と述べた。人民日報が伝えた。

貧困対策は国がうち出した小康(ややゆとりのある)社会の全面的建設という目標における最も困難な任務だ。劉室長の説明では、中国には現在、連なった特別 貧困地域が14カ所、貧困県が592県、貧困村が12万8千村残っており、貧困人口は7千万人あまりいる。このうち約1200万世帯は病人を抱え、約 600万人が危険な状態の住居に暮らしているという。

14年には、中国の省(自治区・直轄市)・市・県・郷の4級の政府の職員43万人が作業チーム12万5千チームを設立し、貧困村に行って救済活動を行っ た。劉室長は、「ターゲットを絞った貧困救済活動は今、良好なスタートを切った。昨年には貧困救済予算とプロジェクト審査認可権の7%が県レベルに移行さ れている」と話す。

また劉室長は、「中国にはまだ7千万人あまりの貧困人口がおり、貧困からの脱出は必ず対処しなければならない問題だ。どんなに困難でも、今年も農村の貧困 人口を1千万人以上減らさなければならない。この任務は達成できると信じているが、引き続き努力することが必要だ」と語った。(編集KS)

「人民網日本語版」2015年3月13日

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政府に作業の中断を要請していましたが、安倍政権は一顧だ にせず作業を強行しました。

2015-03-13 | 日本共産党ホームページより

辺野古 ボーリング再開を強行

翁長知事 「許可取り消しに対応」

県民ら強く抗議

 

 

 防衛省沖縄防衛局は12日、沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設に向けて、昨年9月以降中断していた海底掘削(ボーリング)調査を約6カ月ぶり に再開しました。沖縄県の翁長雄志知事は仲井真弘多前知事による埋め立て承認の検証を進める間、政府に作業の中断を要請していましたが、安倍政権は一顧だ にせず作業を強行しました。


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(写真)ボーリング調査を開始したスパット台船(右)と移動中の台船(中央)、作業中の大型クレーン船(左)=12日、沖縄県名護市辺野古沖

 翁長知事は記者団に対し、「調査再開は遺憾」と述べ、「あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地は造らせないという公約の実現に向け、全力で取り 組む」とあらためて表明しました。県は掘削調査の根拠となる岩礁破砕許可の取り消しに向け、作業を急いでいます。知事は取り消しについて「しっかり対応し ていく」と述べました。

 菅義偉官房長官は同日午前の記者会見で、「一昨年に当時の(仲井真)知事から辺野古の埋め立て承認をいただいて工事を行っている」と述べ、「粛々、淡々」と作業を強行する考えを示しました。

 防衛局は12日午前10時半ごろ、2基の作業足場(スパット台船)のうち、11日に大浦湾沖に設置していた1基で掘削調査を開始。足場から、杭のような棒状の機材が海面に向かって伸ばされているのが確認されました。

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(写真)新基地建設をとめるため団結して頑張ろうとこぶしをあげる市民ら=12日、沖縄県名護市

 さらに、2基目の台船も1基目の北側に移動させ、掘削の準備を開始。台船付近の大型クレーン船も杭状の機材を海面に沈める作業を始めました。昨年8~9月の作業では比較的水深の浅い地点で調査を行っていましたが、今回は深場での調査に着手したもようです。

 県民らは抗議船5隻を繰り出して「辺野古の海は宝の海だ」「子や孫に説明できないような作業はやめろ」と海上から抗議を行いました。一方、海上保安庁は抗議船に乗り込んできて強制排除や拘束を図るなど、現場は一時騒然としました。

 また、キャンプ・シュワブゲート前でも終日、県民らがボーリング調査再開への抗議を繰り返しました。

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私の祖父は、福島県飯坂温泉の近く、ご先祖様は常泉寺に眠っています。

2015-03-12 | 市民のくらしのなかで

東日本大震災・原発事故4年 住まい・生業 再建遠く

悲しみ 怒り…追悼の被災地 政治の役割 より重要に

 

 

 東日本大震災は11日、発生から4年を迎えました。死者・行方不明者1万8475人、震災後の傷病悪化などによる震災関連死は全国で3194人に のぼります。被災地では、犠牲者を追悼する人々の姿が絶えませんでした。4年たっても、約22万9000人が避難生活を続けています。東京電力福島第1原 発事故も収束とはほど遠い状況です。長期化する仮設住宅暮らし、深刻化する健康被害、再建がすすまない生業(なりわい)―。住まいと生業の再建をすすめ、 国民の命と財産を守る政治の役割がますます重要になっています。


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(写真)津波の爪あとが残る防災対策庁舎前で献花し手を合わせる人たち=11日、宮城県南三陸町

岩 手 大槌町

 住民の約1割が犠牲になった岩手県大槌町の赤浜地区では、復興計画を話し合う住民組織「赤浜地域復興協議会」が被災した旧赤浜小学校の体育館で「追悼の会」を開きました。参加者は犠牲者93人分の「慰霊灯ろう」に火をともし、地震発生時刻に合わせ黙とうしました。

 仮設住宅で家族と暮らす29歳の女性は「仮設住宅の生活にも慣れましたが、災害公営住宅ができるのはまだ先なので、4年たって復興が進んでいるのかどうか実感がわきません」と話しました。

 沿岸部に住む妻の妹など親族十数人が津波の犠牲になった男性(78)は「つらいけど悲しみを超えないと先に進めません。亡くなった人の分もがんばって生きようと思っています。これからも追悼の行事には必ず参加して、供養しつづけたい」と話しました。

 追悼の会の後、参加者は海岸へ下りて、海に向かって手を合わせ祈りました。 (佐藤幸治)

宮 城 南三陸町

 津波で破壊され、職員や住民43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎には、雪が舞う中、夜明けごろから人々が集まり、献花しました。義妹や知人らを亡くした男性(67)は「長いようで短いような4年間だった。一日も早い町の復興を願う」と話しました。

 津波で家が流され、仮設住宅に暮らす男性(67)は、町から人が流出している現状に触れ、「(亡くなった知人らに)希望があるという報告ができず悔しい」と涙ぐみました。

福 島 南相馬市

 「お父さんに会えるのはこの場所」。福島県南相馬市小高区の女性(77)は避難指示区域内にある夫=当時(75)=の墓にお参りしました。車に孫 たちを乗せ、追われるように津波から逃げましたが、農作業中だった夫は間に合いませんでした。「孫たちの成長を見守ってほしい」と伝えたといいます。

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被災者の生活再建まで公的支援は強めこそすれ、打ち切るべき ではありません。 支援は国の責任・義務

2015-03-11 | 日本共産党ホームページより

東日本大震災4年

生活取り戻すまで続く支援を

 

 

 亡くなった方と行方不明者が1万8500人にのぼり、岩手、宮城、福島の3県を中心に、東日本に甚大な被害をもたらした2011年の東日本大震災 から11日で丸4年を迎えます。いまだに避難生活を続ける人は23万人近くに達し、震災が原因になった「関連死」も3000人を突破しました。被災した東 京電力福島第1原発が重大事故を起こした福島県では、事故収束のめども立たず、12万人が県内外で避難生活を送っています。住民はいまも生活と生業(なり わい)を取り戻せていません。すべての住民が生活を再建できるまで公的支援を続けることが重要です。

遅れる復興、新たな困難

 被災地ではいま、国や自治体が進めてきた復興事業が大幅に立ち遅れ、新たな困難が次々と被災者のもとに押し寄せています。

 いまだに8万人を超す被災者が暮らすプレハブ造りの仮設住宅では、冬は寒く夏は暑いなどの問題に加え、老朽化とカビなどの発生で、いよいよ暮らせる環境ではなくなっています。もともとこれほど長い期間暮らすはずの施設ではありませんでした。

 仮設を出た被災者は災害公営住宅(復興住宅)に入居するか自力で住宅を再建するかですが、復興住宅の建設も高台での宅地造成も大幅に遅れています。長引く避難に再建をあきらめ、住み慣れた土地を離れる人も相次いでいます。

 水産関係者や地場産業の努力で農業や水産業の再建は始まっていますが、避難の長期化と人口流出が生業の再建を妨げています。新しい町並みも人出はまばらです。

 原発事故の被害が収束どころか拡大している福島では、先の見通しのない避難生活に被災者の心は打ちのめされています。飛散した放射性廃棄物を取り 除く除染も被災者の不安を取り除くにはいたらず、避難区域の縮小や賠償の打ち切りを急いでいるとしかいえない政府と東電の姿勢が、被災者の批判と怒りを呼 んでいます。

 最近の会計検査院の報告は、復興事業の遅れの大きな原因が、用地取得の困難、資材価格高騰や人手不足にあると指摘しました。消費税増税や「アベノミクス」による物価上昇などが被災者に追い打ちをかけているのは明らかです。

 安倍晋三政権は15年度までの5年間を「集中復興期間」とし、「復興加速」を繰り返してきました。しかし、実態の合わなくなった計画を押し付けた り、「集中復興期間」が終われば支援を打ち切ったり、縮小したりするなどというのは論外です。被災者の生活再建まで公的支援は強めこそすれ、打ち切るべき ではありません。

支援は国の責任・義務

 日本国憲法は13条で、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定め、25条で、「すべて国 民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と、生存権を保障しています。国際社会でも、「国内避難民を保護し、かつ、国内避難民に援助を与 える第一義的な義務と責任は国家当局にある」ことが当然の原則となって確立されています。

 日本共産党は被災者が生活と生業を取り戻すまで公的支援を続けることを大原則にすべきだと求めてきました。生活再建支援法の抜本改正を求め、被災者が笑顔を取り戻す日まで力を尽くします。

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橋下氏、言論を封殺してまで知られたくない事実があるのでしょう!

2015-03-10 | なんでこんなあほなことが

橋下市長、「都」構想の情報隠し

 

 5月17日に実施される見通しの「大阪都」構想をめぐる住民投票が近づくなか、維新の党最高顧問の橋下徹大阪市長の情報隠しが目立っています。

 ○…橋下氏は5日、同党が松野頼久幹事長名で、「都」構想に反対している内閣官房参与の藤井聡京都大学大学院教授の番組出演に異議を唱える文書を テレビ各局に送付したことを認めました。記者から「報道に対する圧力ではないか」と問われると、いら立ちながら「圧力とかじゃなく、(政治に口出しさせ る)放送局の隙だ」。

 ○…「都」構想案をめぐる法定協議会の議論を報告する広報紙「協議会だより」についても、維新の会が難色を示し、発行が見送りになりました。協議 会だよりはこれまでに3回発行され、各会派の意見も掲載されていました。「都構想周知されぬ恐れ」(「読売」4日付)と報道され、野党からも「言論封殺 だ」と批判の声が上がりました。

 橋下氏は「反対の意見ばっかりの文量になってるじゃないか」などと言い訳に終始しました。

 ○…橋下氏はこれまでも、新聞社が社説を書けば「ジジイの論説委員を突き上げろ」と記者を詰め、反対する学者にはツイッターで罵倒し、討論会を求め、国会質疑までちらつかせて大学に圧力をかけ、市の職員に対してはかん口令を命じてきました。

 ○…「都」構想には、言論を封殺してまで知られたくない事実があるのでしょうか。橋下氏が隠そうとすればするほど、「都」構想が市民にとって「百害あって一利なし」だということが鮮明になっています。

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