【コラム】謝罪は日本の良心に委ねよう=韓国
2015年03月17日/中央日報日本語版
このほど日本を訪問したドイツのアンゲラ・メルケル首相は、「ドイツは過去(歴史)と正面から向き合った」と日本に入れ知恵した。第2次大戦後にドイ ツがホロコーストなどナチスの蛮行を率直にざんげし、当事国に深い謝罪と十分な賠償をしたという意味だ。朝日新聞社での講演で、「日本が歴史問題をめぐる 中国と韓国との問題をどのように克服すべきか」という質問に対するメルケル首相の返事だった。この席に安倍晋三首相はいなかったが、首脳会談パートナーで あった彼を念頭に置いたものと推察できる。
第2次大戦終戦70周年を迎える今年、ドイツと日本の2つの戦犯国の国際的位置付けはこのように違っている。戦争犯罪の質を考えれば ドイツが日本に入れ知恵する立場ではない。600万人のユダヤ人を残酷に虐殺した「記憶したくない歴史」を持つドイツは言い訳のしようがない。だが、ドイ ツの首相が外交的欠礼を押し切ってこのように堂々と日本に「ともに進もう」で勧誘できるようになった力はまさに謝罪にある。
戦後のドイツ史は謝罪の歴史と言える。その中でも1970年12月7日に当時のブラント西ドイツ首相がポーランド・ワルシャワのユダ ヤ人慰霊塔の前にひざまずき哀悼の意を示した場面は圧巻だった。これに対し、「あの日ひざまずいたのは1人だったが、立ち上がったのはドイツ全体だった」 という評価が出てきた。10年にわたり執権しているメルケル首相も機会があるたびに告解するようにざんげの発言をした。
1月にベルリンで開かれたアウシュビッツ強制収容所解放70周年演説では、「ナチスの蛮行を再確認し記憶することはドイツ人の恒久的責任」と述べた。
もちろん日本も謝罪をすることはあった。50年前に韓日修交をしながら韓国に賠償金も支 払った。村山談話と河野談話を通じ、植民支配で隣国に苦痛を与えた点と軍慰安婦制度運営の強制性を認め謝罪した。ドイツと異なる点は一貫性と真正性にあ る。謝罪というのは一度すればその以前の心構えに戻ってはならない「不可逆性」を持つ行為だ。それでも日本政府と政治家らは時に謝りながらもたびたび挑発 する二重性を見せてきた。そのせいでドイツとは違いこれまで過去史問題で被害国とのぎすぎすした関係から抜け出せないのだ。
過去史に対するドイツと日本の差はこのように開きが大きい。結局選択は日本にかかっている。謝罪を通じ最も大きな利益を得る国は謝罪を受ける国ではなく謝罪をする国であることをドイツがすでに示した。
韓国も考えてみる問題がある。「許しは被害者がすることだ」という言葉がある。ドイツの教訓に習うのかどうするかは日本が自ら決めな ければならないことだ。韓国が日本に謝罪を強要し続けてみても効果はない。日本の右翼の巧妙な“被害者マーケティング”に巻き込まれれば第三国の目には韓 国がまるで駄々をこねているように映る危険もある。イスラエル、フランス、ポーランドはドイツに先に謝罪を要求しなかった。ドイツの謝罪を受け入れ許した だけだ。
韓国は領土など国益と直結した問題では決して日本に譲歩できない。だが、いつまでも過去史に対する謝罪と賠償を要求ばかりはできない。このことが韓国の最高国益がかかった事案とは言えないのではないか。
もちろん韓国が安倍政権の態度を受け入れるのは厳しい。それにもかかわらず韓国が大きな決断を先に下すことで未来指向的な韓日関係の 土台を作らなければならない。これはただ大統領や政府、政治家だけのことではない。韓国の国民ももっと大きな国益のために雅量を示す必要がある。謝罪は日 本の良心に委ねよう。今年は韓日国交正常化50周年になる年だ。日本に白旗を強要することはできない。白旗を揚げる日本でもない。
ハン・ギョンファン外交・安保エディター(中央SUNDAY第418号)