どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

気がつけば もうお彼岸ってことで

2007年03月18日 | 日記
流石に 疲れた

何度か日記を書こうとはしたのだが 睡魔に言葉を奪われた

義務じゃないから毎日書こうと決めているわけじゃないが 精神活動の一切が停滞したような気分になる

まっ もともと今迄も大した活動もしていなかったけどね~

で 気がつけばもうお彼岸

あ~お墓の掃除にも行かなくちゃ

ところで お墓って必要なんだろうか

子供の頃は お墓参りが好きだった

互いに会ったことの無い 人の言葉でしか知りえない しかし自分のルーツである人に対する

奇妙なノスタルジーというか センチメンタリズムというか あるいはファンタジーなのか

文学忌というものがある

太宰の桜桃忌や 芥川の河童忌なんかは有名で そんな日はファンが墓参したりする

多くの作家は 文豪でさえなかなかこんな名前はついていないから 

あんたらはいいねぇ~なんて 漱石さんあたり 嫉妬してるかも

鳥葬(もしくは風葬)だったら死者は天に帰るわけで 墓なるものは必要無いだろう

墓の規模で有名なのはピラミッド 秦の始皇帝の陵墓の兵馬傭

どちらも生に対する執着を感じる

私の場合 墓は一種のモニュメントのような物だと思っている

残った人間達が思い出に浸るのに あるいは気持ちを一つにしたりするのには悪くない場所だ

だが 其処に愛する人がいるわけではないと私は思っている

墓に対する思いは死生観とも関係するから 今後はますます多様化の時代になるだろう

私は 祖父が自分の幼子の為に男泣きに泣きながら建てたこの墓を 

自分の代で終わらせる事に対しては一抹の後ろめたさを憶える

不甲斐ない子孫で申し訳ないと思う

しかし 自分自身に関しては骨塚でも構わないと思っている

そんな話を若気の至りで親の前で話したら 寂しそうな顔をされたっけ

大丈夫 私の生きているうちはせいぜいお墓を綺麗にしましょ

やり方はマスターしてる

歯ブラシでちゃんと墓石の彫刻の文字も綺麗に洗いますから

雑草一本たりとて残しはしません

供物もお線香もお花も ちゃんと用意するけどね

でも やっぱり其処には居ない

私にとっては そもそも居るとか居ないとかじゃ無い

上手くは言えないけれど 望めば何時でも手に入る 感じる確かなイマージュ 
コメント
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